表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/41

TRACK-5 白闇の狂気 8

 左頬に鋭い痛みがはしる。赤い飛沫しぶきは、頬から視界を横切るように飛び散った。

 エヴァンはよろめき、踏鞴たたらを踏んだ。左頬に手をやる。指先が傷口に触れ、痛みに顔を歪めた。己の鮮血で指先が濡れた。

 血の量は多いが、傷は浅かった。マキニアンの高い回復力によって、たちどころに傷口が癒えていく。

「こンの野郎……」

 頬を濡らした血を、手の甲で無造作に拭い取り、エヴァンはシェドを睨みつけた。

 白い少年は、頑是無がんぜない子どものように、けらけらと笑っている。

「仲間だと? 仲間なのに殺すってか。随分な仕打ちじゃねえかよ」

「なにをいってるの? なかまだからだよ。でなくちゃいみがないじゃないか。これがぼくたちがうまれたいみなんだから」

「お前の言ってるこたァ、さっぱり分かんねーんだよ」

 ファイティングポーズをとるエヴァンの両腕が、赤き鋼鉄のグローブに覆われる。細胞装置ナノギア〈イフリート〉の調子はすこぶる良い。アルフォンセの真心こもった定期メンテナンスのおかげでもあり、歯ごたえのありそうな相手を前に、気分が高ぶってきたせいでもある。

「来いよガキンチョ。悪さが過ぎると痛い目に遭うって教えてやっから」

 やる気を見せるエヴァンに、シェドは満面笑顔を浮かべ、両手を広げた。

「ぼくをころすんだね! いいよ、さあ! だけど〈イフリート〉なんかじゃぼくにかてっこないってわかってるよね? ほんきでやらなきゃぼくをころせないよ? ほんとのちからをださなくちゃだめだよ」

「うっせーな! どっかの赤ゴーグルと同じようなこと言ってんじゃねーよ! これが俺の力なの! あとでぴーぴー泣いても知らね……」

 決め台詞が決まる前に、エヴァンは強烈な衝撃によって遥か後方に吹き飛ばされた。数メートル宙を飛び、緑地帯に生えた木に背中から叩きつけられ、芝生の上に落ちた。

 肺から空気が絞り出されたあと、すぐにまた空気を取り込んだため、大いに咳き込んだ。呼吸を整えながら立ち上がり、シェドのいる方向に目を向ける。

 シェドの長い袖の片方から、妙なものが突き出ていた。よく見ればそれは、子どもの玩具にある、飛び出すボクシンググローブそのものの形状をしていた。

 シェドはボクシンググローブのバネを揺らしながら、愉快そうに笑っている。

「テメー、ふざけたスペック持ってるじゃねーか。その袖ん中はおもちゃ箱か?」

「ぼくの〈トリックスター〉にできないことはない。あいつらがそういうふうにした。いちばんつよいこにするためさ。なのに、ぼくがじゃまになったからって、はいきするんだよ? ほんとうにひどいやつらだ、だいきらいだよ。ぼくが“アダム”になったら、みんなころしてやるんだ」

 唇を尖らせるシェドの様子は、ねた子どもと変わりなかった。しかし、発する言葉は凶悪極まりない。   

「なにがいちばんゆるせないかって、ぼくのしょぶんにきみをりようしたこと。ああ、あのときはきみじゃなくて、ラグナだったんだっけ」

「お前、何言ってんだ?」

 シェドの話は、一つも理解できなかった。彼が一体、何について語っているのか、皆目見当もつかなかった。

 しかしシェドは、エヴァンの反応などお構いなしに、話を続ける。

「ラグナはぼくをころしたんだよ、いちどね。だけどラグナは“ほんとうのなかま”じゃないから、ぼくにはきかない。ぼくをころせるのはきみか“アダム”だけだもの。あのときぼくをころしたのがきみだったら、いまごろきみは“つぎのアダム”になってて、せかいはかわってただろうね」

「“アダム”ってのは何だ。俺が……ラグナがお前を一度殺したって、そりゃどういうわけだ。殺したのなら、何でお前はここにいる」

「ぼくはころされた。だけどしんでない。それだけだよ。だからここにいる。きみをさがして、やっとあえた」

 ボクシンググローブが、シェドの袖の中に収められた。シェドは薄く笑い、赤紫マゼンタの瞳を、一層ぎらつかせた。

「さあ、やろうエヴァン。“つぎのアダム”がどっちなのか、きめなくちゃ。“いまのアダム”はもう、そんなにながくいきられない。ときがちかづいてきてる」

 シェドの周りに風が立つ。彼の白い髪や服が風になぶられ、生き物のようにうねる。

「これは“ほんとうのなかま”だけの、しんせいなぎしきだ。ほかのやつらがかいにゅうしていいことじゃない。じゃまするやつらは、みんなしねばいい」

 シェドの身体が、ふわりと宙に浮いた。地面からほんの十センチ程度の高さだが、たしかに浮いていた。浮遊能力を持つマキニアンが存在するなど、エヴァンは聞いたことがなかった。


「きみのいのちはぼくのもの。ぼくのいのちはきみのもの。すべてのいのちは“アダム”のもの」

 エヴァンは〈イフリート〉の具象装置フェノミネイターさせ、迎撃態勢をとった。

「“アダム”になるのはひとりだけ」


 両腕を広げたシェドは、大きく背を仰け反らせると、勢いをつけて腕を前に払った。シェドの両腕から真空の刃が無数に発生し、エヴァンに向かって発射される。エヴァンは街灯にハンドワイヤーを巻きつけ、空中に飛び上がって回避した。標的を失った真空刃は、緑地帯の植木やベンチを切り裂いた。

 しかしシェドが少し手を動かすと、真空刃の一部は方向転換し、外灯の上に降り立ったエヴァンを再び狙う。同時に、シェドの片方の袖から鎖が射出され、外灯の根元に巻きついた。シェドの片腕一振りで、外灯はいとも簡単に地面から引き抜かれる。頂上のエヴァンはバランスを崩した。そこへ、真空の刃が襲いかかる。

 エヴァンはとっさに、もう一度ハンドワイヤーを伸ばした。今度は、掘り起こされた外灯の根元に絡みつかせ、ワイヤーの形状を戻すことで、真空刃から逃れた。またしても標的を逃した真空刃は、街灯の柱を切り刻んだ。

 エヴァンはハンドワイヤーを完全には戻さなかった。地に足が着くや否や、コンクリートの塊に覆われたままの街灯の根元を、シェドに向けて投げたのだ。

 シェドは鉄棒とコンクリートの塊を、造作もなく叩き落す。その一瞬の隙に、エヴェンは彼我との距離を詰めた。

 パンチのラッシュを浴びせる。赤き鋼鉄の拳の連打が、風を切るほどのスピードをもって繰り出される。合間に蹴りを組み込みコンボで攻めた。 

 シェドはエヴァンの攻撃を、浮遊したまま軽々とかわした。うっすら笑みを浮かべ、最小限の動きでいなしている。

 ブローをかわしたシェドは、エヴァンの頭上を飛び越えた。背後に回るや、長い袖を大きく振りかぶる。勢いよく突き出した袖の中から、幾本もの鎖が放たれ、エヴァンの両腕と首を捕らえた。

「ぐあっ!!」

 喉が締め付けられ、呼吸が詰まる。鎖を外そうにも、両腕の自由が利かない。エヴァンはそのまま後方に引っ張られ、崩れかけの建物に投げつけられた。

 今度は瞬時に受身を取り、体勢を戻す。その時、頭上に影が落ちた。見上げる空中に、シェドが浮いている。弾丸落下してきたシェドを横転で回避。シェドの着地地点は、大砲を喰らったかのように大きくめり込んだ。

 地に埋まったシェドの顎を、炎を纏わせた〈イフリート〉のアッパーで狙う。しかし、直撃寸前、シェドは仰け反ってこれを避けた。

 背を反らせた状態で、埋もれた片足を土ごと蹴り上げる。土と瓦礫に紛れたシェドの蹴りは、エヴァンの胸部にヒットした。

 倒れずに踏みとどまったエヴァンに、追撃がかかる。正面、背後、左右から、蹴技と衝撃波が連続で仕掛けられた。シェドの動作は軽いながらも、あまりの速さに目で追うことが出来ない。白いつむじ風に取り囲まれたようだった。 

 一方的な攻撃に、エヴァンは防御し続けるしかなかった。だが、その防御も長く続かない。何度目かの衝撃波で、エヴァンは大きく弾き飛ばされた。

 空中に放られたその時、地面に散らばった外灯の残骸である鉄棒が、エヴァンの視界に映った。瞬時に判断したエヴァンは、ハンドワイヤーを伸ばして鉄の破片を幾つか拾い上げた。

 もう片手のハンドワイヤーを別の外灯に巻きつける。遠心力によって、エヴァンの身体は勢いよく半回転した。回転の間に〈イフリート〉の炎をハンドワイヤーに伝わらせ、先端の鉄片を燃え上がらせた。黄金色の熱の塊と化した鉄片を、シェドに向かって放つ。

 凄まじいスピードで投げられた鉄片は、さしものシェドも避けきれず、頭と腕、脇腹に喰らった。

 シェドはしかし、体勢を崩すことなく立っている。皮膚と髪が燃えたものの、虫を払うように顔や手を振ると、炎も傷も瞬く間に消えた。

 外灯から地に降り立ったエヴァンは、ほとんどダメージを受けていないシェドを、歯がゆい思いで見た。 

 シェドは眉根を寄せ、肩をすくめてみせる。

「エヴァン、ぼくのいったこときいてた?〈イフリート〉じゃだめだって。ほんとうのちからでたたかわないと、ぼくをころせないんだよ。ちゃんとやってよ」

「うっせえっつーの!〈レーヴァティン・・〉は俺の力じゃねえ! あれはラグナだ、俺はラグナじゃない、だから違う!」

 反論すると、シェドはあからさまに呆れた表情を見せ、まるで分からず屋の子どもに対するように、大袈裟なため息をついた。

「ラグナはきみにうえつけられたものだけど、〈レーヴァティン〉はそうじゃない。わからないの? きみのちからなのに。ラグナがじゃましてるからいけないんだ。ラグナなんかけしちゃえよ」

「黙ってろ、お前の指図は受けねえ」

「エヴァン。ラグナはただのふた・・だよ。あいつらのことばはぜんぶうそだ。うそつきなんだ。きみをおもいどおりにしたかっただけ。そんなことできるわけないのにね」

「黙れ!」

「ぼくにできることはきみにもできること。はやくほんとうのきみをとりもどしてよ」

「黙れっつってんだろうが!!!」

 エヴァンの中で、マグマのような激しい感情が湧き起こった。瞬間、空気が振動し、轟音とともに強烈な衝動波が発生した。建物の壁を震わせ、残っていた窓ガラスが割れ、設置物を弾き飛ばし、大地を揺るがし、木々を薙ぎ倒した。

 衝動波はシェドに迫った。だが、彼の周囲には不可視の防壁が張り巡らされており、シェドは掠り傷ひとつ追わなかった。

 やがて衝動波は治まったが、エヴァンの心臓は早鐘を打ち続けていた。肩で息をしながら、たった今起きた出来事に呆然と立ちすくむ。

 嵐が直撃した後のような周囲の惨状に、我が目を疑った。

「何だよ、これ……俺が、……やったのか」

〈イフリート〉にこんな力があるはずがない。視線を落とすと、赤い鋼鉄の両腕がわなわなと震えていた。

「ほら、できた」

 シェドはそう言って、嬉しそうに笑った。エヴァンは動揺を打ち消そうと、何度も首を横に振った。

「違う。これは俺の力じゃない」

「ちがわないよ。だって、いまのきみは、ちゃんとエヴァンじゃないか」

「そんなわけあるか!〈イフリート〉は近接特化型スペックだ! あんな技は無い!」

「スペックなんか、ぼくたちにはかんけいないよ。さあエヴァン、ほんとうのちからをとりもどして。つづきをやろう。どちらかがしぬまで」

 シェドは無邪気な笑い声を上げ、自分自身を抱くように腕を胴に回した。

「ほんきになれないのなら、どうしようか。あとなんにんころしたらいい? ひゃくにんくらい? ごひゃくにんくらいだったら、すこしはおこる? おこったらほんきだしてくれる?」

「やめろ! 誰も巻き込むな!」

 エヴァンの狼狽を見て、シェドはますます笑った。何もかもを弄んでいる。シェドにとっては、自分以外のすべてが、取るに足らないものなのだ。

 端正な白面に、慈悲の欠片もない残酷な笑顔が広がる。

 と、その表情が急に曇った。

 シェドの目線が下に落ちる。エヴァンの視線もまた、同じところに注がれた。

 シェドの痩せた胴体から、黒く光る物体が突き出ているのだ。

 狂気の少年の腹を貫く物体が剣であると、エヴァンが認識した時。

 黒く巨大な何かが、天よりシェドの背後に降り立った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ