TRACK-5 白闇の狂気 7
瞼を焼くような白い光の波が引いていく。その引き波に意識が吸い寄せられ、目を開けた。
「え……?」
目の前の光景に唖然とする。どこかの施設の敷地内らしい。大きな建物と、植林と、公園のような緑地帯が確認できた。
別段変わった光景ではない。だが、なぜ自分がこんな所にいるのか、それが分からない。
(俺は、店にいて)
エヴァンは混乱する思考を、どうにか整理しようと努めた。普段、小難しいことを考える目的にはあまり使わない脳である。起きた現象を論理的に成立させる説明を、筋道立てて組み上げることが出来ない。
(子どもがいたんだ。俺はそいつの手を)
手を掴んだ。すると視界に白い光が満ちて、
目を開ければ、ここにいた。
来る、と、子どもは言った。だから、急げ、と。
あの子どもは何者だ。どうやってここまで来たんだ。いや、そこも重要だが――、
「ここはどこだ?」
ぐるりと辺りを見渡す。遠くの方から喧騒が聴こえる。悲鳴、だろうか。それに、厭な気配がひしひしと漂ってくる。
「いんのかよ」
エヴァンは右手で拳を作って、左手に打ちつける。ぱしん、と小気味いい乾いた音がした。
敵が徘徊しているようだ。それも数が多い。
エヴァンは、今自分がやるべきことを選択した。すなわち、小難しい思考に脳を使うのをやめ、敵を倒すことにのみ心身を従事させる。シンプル且つ、自分にとってはごく真っ当な答えだ。銃は置いてきたが――そもそも〈パープルヘイズ〉で仕事している間にまで携帯しているわけではない――この身ひとつあればいい。
レジーニを呼び出そうと思い、ジーンズのポケットを探る。が、携帯端末は無かった。店に置きっ放してしまったらしい。まあいいか、と小さく肩をすくめた。
「よっしゃ、訳わかんねーことは後回しだ。どっからでもかかって」
来い、と締めくくるつもりだった。一人気合を入れながら建物の方を振り返り、締めの言葉を発しようとした、その時。
空気を切り裂くような音がして、建物に光の筋がはしった。次の瞬間、鼓膜を突き破らんばかりの轟音とともに、建物が破壊された。
火山噴火のように建物の残骸が噴き上がり、瓦礫が雨霰と地面に降り注ぐ。強烈な爆風が、粉塵とともに身体に吹きつける。エヴァンはとっさに両腕で顔と頭部を保護した。
爆風が収まるのを待ってから顔を上げたエヴァンは、無念にも陥落した建物を見上げて言葉を失った。建物のあちこちから火の手が上がっている。噴き上がりこそしないが、外壁はまだガラガラと音を立てて崩れている。
かなり大きな建築物であったものが、今や燃え落ちる瓦礫の塊と化していた。
「な、なんだ……?」
これはメメントの仕業なのだろうか。これほどの所業、かなりの大物が暴れていると見ていいだろう。
用心しながら建物の方へと近づいていく。すると、建物の中からも、何かがこちらに近づいてくるのが見えた。
厭な感覚が背筋を舐め、反射的に足を止めた。どくり、と心臓が跳ねた。
近づいてくるそれは、人影である。灰色の土煙と火の粉の舞う中を、迷いなき足取りでこちらに向かってくる。
人影が接近するにつれ、エヴァンの動悸は激しくなった。厭な感覚も強くなっている。近づいてくるその人影が、何かとても“よくないもの”だと、彼の本能が警鐘を鳴らしているのであった。
メメントとは違う“厭なもの”。それは、自分にとっての“厭なもの”なのか。それとも。
あるいはすべての――。
額を一筋、汗が垂れ落ちた。
静かに細胞装置に働きかけ、いつでも〈イフリート〉を起動出来るよう、戦闘態勢を整える。
粉塵の中から、真っ白な人影が姿を現した。
痩せ細った白い体躯に、白い奇妙な服を着た、白い髪の少年だった。
長い袖とぼうぼうに伸びた髪が、吹く風に嬲られている。少年は片腕を上げ、袖口から生白い腕を出して、無造作に前髪をかき上げた。
両頬に痛々しい傷痕を持つ、その顔立ちは人形のように整っていた。あらゆる部位が白で統一されている中、赤紫の瞳だけが、禍々しいまでの鮮やかさを放っている。
少年は無機質で無感情な眼差しで、じっとエヴァンを見つめた。その、人肌の温もりを微塵も感じられない目線は、エヴァンをたじろがせる。説明のしようがない、薄暗い気持ちになる。
(なんだ、コイツ)
脳裏に、幻と化したあの子どもの後ろ姿が蘇る。「来る」と言っていた、それはこの白い少年のことなのだ。それだけは理解出来た。
白い少年は、しばし無言でエヴァンを見つめ続けていたのだが。
突然、ぱっと弾けるような笑顔になり、たたたっと駆け寄ってきた。そして、エヴァンが避ける間もなく、抱きついたのである。
何がなにやら分からないエヴァンは、白い少年に抱きつかれたまま、呆然と突っ立っているしかなかった。
おそらくではあるが、この少年と、こんな風に親しげに抱擁を交わし合っている場合ではないのである。だが、振りほどけない。あまりに突飛な出来事に出鼻を挫かれた、というのもあるのだが、単純に「引き離せない」のだ。
その華奢な身体つきに反した怪力を発揮しているわけでも、ロープのような結束具で縛られたわけでもない。
ただ、彼を振りほどくことが、出来ない。
少年の身体は冷たかった。異様に冷えている。ここまで冷たいと、生命維持に関わるのではないかと思うほど、体温が低かった。
「お、お前、何者だ」
やっとそれだけを口に出来た。白い少年は、エヴァンの胸にうずめていた顔を上げ、赤紫の双眸を細めた。笑っている。が、気味が悪い。
「さがしたんだよ。ずっときみのことさがしてたんだ。きっとここであえるとおもった。だからまってたんだ。きてくれるとしんじてたよ」
少年の物言いは、意外にも快活だった。
「捜してたって、俺を? お前が、か?」
戸惑うエヴァンを尻目に少年は頷く。エヴァンから少し離れ、怪しい微笑みで見上げた。
「お前は誰だ。何で俺を知ってて、捜してたんだ」
「わかってるよ、きみはぼくをおぼえてない。ぼくのことだけじゃなく、いろんなことをわすれてる。わすれさせられたんだ。ひどいよね」
部屋の隅に害虫を見つけた時のように、少年は鼻にしわを寄せて嫌悪感を表した。
少年は、エヴァンの記憶が改竄されていることを知っている。エヴァンが何者なのかを知っている。
「お前、〈処刑人〉か」
かつては自分も、正確には“もう一人の自分”が所属していた、〈SALUT〉の上位部隊だ。
白い少年は、口元だけで笑った。
「シェドだよ。シェド=ラザ。おぼえてなくってもいいよ、これからまたしってくれればね、エヴァン」
シェドと名乗った少年は、エヴァンの頬に触れようと手を伸ばした。エヴァンは反射的に、その手を払い落とす。
シェド=ラザ。かつて同じ部隊に所属していたという――当然ながらマキニアンであるはずだ。だが、その頃のエヴァンはといえば、ラグナ=ラルスという別人格を植えつけられていたのである。記憶操作も施されている今、エヴァンにシェド=ラザという人物に関する記憶は、一切ない。
だというのに、この胸のざわつきは何なのだろう。
会ってはならない人物に会ってしまった。
漠然とそう感じていた。
「お前、俺がエヴァンだと何故分かる?〈処刑人〉時代の仲間なら、俺をラグナだと認識するんじゃねえのか」
「わかるさ。だってぼくらをむすびつけているものは、ほかのやつらとはぜんぜんちがうもの。きみがラグナから、もとのエヴァンにもどってるってことくらい、すぐにわかる。だから、ぼくはうれしいんだ。ラグナじゃなくて、きみにあえたから」
「俺を捜していたのは、何でだ」
「そんなの、あいたかったからにきまってる。ぼくらは“なかま”だよ、ほんとうのね。あいつらはわかってない。ぼくらをひきはなしたってむだなんだ。“ほんとうのなかま”は、かならずひとつになる。そういうしくみだから。あいつらが、じぶんたちのおもいどおりにしようったってだめなんだ」
シェドの言葉は、何一つ分からなかった。彼が何について熱弁をふるっているのか、エヴァンにはまるで理解できない。
「あいつらにみつかるまえにあえてよかった。しんぱいしないで、あいつらにはぜったいにきみをわたさないから」
その時、少年はやっと、心からの笑顔を見せた。眼尻と口の端を下げ、安心したようにため息をつく。
「だって」
ひゅっと、風を斬る小さな音が聴こえた。
「ぼくがころすから」
視界に、赤い飛沫が散る。




