表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/41

TRACK-5 白闇の狂気 4

 誰かに呼ばれたような気がして、あたりを見回した。

 店主が呼んだのかと思い、厨房に向かって声をかける。俺を呼んだ?

厨房で片づけをしている店主は、流し台で鍋を洗っている最中だった。流れる水の音で、こちらの声は掻き消されたらしい。店主は気づくことなく、大きな背中を向けたままだ。

 気のせいかと思い、店の方に戻った。出入り口に、いつの間にか、小さな人影が立っていた。

 扉のガラスから射し込むによる逆光を浴びている人影は、はっきりした顔立ちも分からず、まさしく影そのものだった。

 そんな状況でも、出で立ちくらいは把握できる。

 背格好からして子どもだ。年の頃は十歳前後だろうか。水色っぽい患者服を着ている。

 髪は金髪だが、少し茶色が混じっているように見えた。

 子どもは黙って俯いている。出入り口に立ち尽くしたまま、こちらに近づいてくる気配はない。

 ざわ、と、胸が騒いだ。この子どもを、知っている気がしたのだ。

 一人で来たのか? 親はどこだ? 

 尋ねてみたが、子どもは答えなかった。

 答える代わりに、くるりときびすを返し、扉に吸い込まれるようにして消えてしまった。

 扉を開けることなくいなくなった子どもに驚き、追いかけるために急いで出入り口扉を開けた。

 外を確認すると、果たして子どもは、いた。こちらに背を向けている。

 扉を開けたままにして、恐る恐る子どもに語りかけた。

 お前はどこから来たんだ? 親はいないのか? 

 子どもはやはり質問には答えない。その時、頭の中に何かが響き渡った。

 声とも音ともつかない。例えるならインスピレーションのようなもの。閃光の如きイメージが脳を貫き、一つのメッセージとなって認識される。


 ――来る。


 ――急いで。


 子どもは顔を伏せたまま、身体の半分をこちらに向け、その小さな手を差し伸べた。

 何が来るのか。何を急ぐのか。そしてお前は何者なのか。

 沸き起こる数々の疑問は、しかし言葉にならなかった。疑問を口に出すより先に、身体が動いていたのだ。

 

 何かが“来る”のだ。

 そして、自分は行かねばならない。


 片手を上げて、子どもの手を、包み込むように掴む。


 刹那、視界は白光に飲み込まれた。


 

        *


 

 ワーズワース大学は、突如出現した怪物の群れによって、瞬く間に恐怖の世界に突き落とされた。

 何処からともなく現れた怪物は、奇怪な角頭と牛に似たものと、それらよりも大きな怪物――ねじれた角の四肢を生やし、頭蓋骨がむき出しになった形態――の三種類で群れていた。

 化け物の群れは手近な学生らを次々と襲い始める。あまりに突然の出来事に、誰もがすぐに状況把握できなかった。だが、同じ学び舎で青春のときを過ごす仲間が、一人また一人と化け物の餌食になる光景を目にして、未知なる脅威に晒されているのだと実感した。

 混乱は病のように拡大し、学生らは我先にと逃げ出す。恐慌状態に陥った構内では、教授や職員らの誘導が始まった。

 早い段階で避難行動が行われたのは、一人の生物学者の鬼気迫る警告を、学長が受け取ったからであった。

 この生物学者は、普段から感情をほとんどおもてに出さず、いつも不機嫌そうにしている。そんな彼が学長室に駆け込んできて、今すぐ構内にいる全員を避難させろ、と言ってきたのだ。理由を問うも、そんな時間はないと返される始末。いついかなる時も決して慌てない彼がこのような言動をとるとは、何かよほどの理由があるのだろう。学長が重い腰を上げようとしたその時、外から空気をつんざくような悲鳴が聞こえてきたのだった。

 現実の出来事とは思えない地獄絵図におののく学長は、避難誘導する教職員らの中に、くだんの生物学者の姿がないことに気づいた。

 どこへ行ったのかと辺りを見回してみると、彼は逃げるどころか、地獄絵図の只中に向かって行こうとしていたのだった。

 大声で呼び止めるが、彼の耳には届かなかった。追おうとした学長は、他の職員に引き止められた。

 そして、更なる脅威が訪れた。



 複数体の牛頭メメントが、小柄な黒髪の少女を取り囲んでいる。襲い掛かるタイミングを見計らいながら蠢く化け物を、しかし少女は恐れることなく、つぶらな橙色の双眸でしっかりと見据える。

 最も若きマキニアン――シェン=ユイは、流れるような動作で、戦いの構えをとった。

この構えは、正しい武道の流派を習ったものではない。大好きなアクション映画や特撮ヒーロードラマの登場人物たちがやっていることを、見よう見まねで自分なりに少々アレンジを加えたものだ。

 ユイにとっては、正しいかたかどうかは重要ではない。不必要な構えをとるのは、これから戦いに臨むのだという、気持ちの切り替えの表れであり、自らを鼓舞する儀式のようなものだ。すなわち、テンションを上げる、という意味である。

 構えたユイは、体内に眠る細胞装置ナノギアを呼び起こした。突き出した拳が淡い輝きを纏い、力がみなぎってくるのを感じる。

 細胞装置は覚醒した。だが、彼女の身体のどこも変形しなかった。拳が輝き熱を帯びるのみである。

 一体の牛頭が、先陣をきって攻撃を仕掛けた。毛むくじゃらの腕を凶器に、ユイに掴みかかる。

 振り下ろされた太い腕を、ユイは輝く左手一本で受け止めた。華奢な身体は、メメントの剛力にビクともしない。すかさず右の拳を、気合とともにメメントの腹部に叩き込む。エネルギーの塊と化した少女の拳を受けたメメントは、数メートル後方に吹っ飛ぶ。肉体を形成する組織が内側から燃え尽き、地に落ちる前に、蒸発分解が始まった。 

一体を屠ったユイは、すぐに体勢を戻し、残る敵を見渡した。

「さあ、ボクの〈七星〉を受けたい奴はかかって来い!」

 言葉の意味を理解したのか否か、メメントどもは一斉に仕掛けてきた。

 

 

 小柄でひ弱そうな外見の少女は、化け物たちを翻弄した。

アクションスターやヒーローへの憧れは、彼女の動きに如実に表れている。カンフーや空手といった武術を模した身のこなしで、獰猛な敵の間を軽々と跳び回る。光り輝く鉄拳を食らわせると、メメントはもろくも崩れ、塵芥と化して滅びた。

 輝く力は、ユイの足にも宿っている。鞭のようにしなやかな蹴りは、メメントの胴を、頭部を撃つ。小柄ゆえの機動性と手数の多さで敵を圧倒し、メメントを次々と攻略していった。

 ユイの細胞装置ナノギア〈七星〉は、古参のマキニアンたちとは違い、目に見えた変形をしない。身体能力を引き上げ、産み出すエネルギーを放出することでメメントを倒す。俊敏さに特化しているゆえに、一撃のダメージ量は〈イフリート〉にも及ばないが、その代わりに手数が多く、前衛も後衛も努められる。

 一際体格のいいメメントが覆いかぶさってきた時、その胴体にエネルギーを溜め込んだ両掌を押し当てた。瞬間、メメントはまばゆい閃光を放ち、爆散消滅した。

 その隙に、背後から別の一体が襲いかかる。早々に気配を察したユイは、後方宙返りでメメントの肩に乗り、華奢なももで首を締め上げると、勢いをつけて地に倒した。もがくメメントの背中に踵を落とし、これを討ち取る。

 低姿勢のまま、近くのメメントを足払いで倒し、その首に腕を絡ませてへし折った。崩れ落ちる背中に一撃加えて燃え上がらせる。

 体重など感じさせない羽根のような軽やかさと、疾風迅雷の機動性を遺憾なく発揮するユイの前には、動きの愚鈍なメメントなど何ほどの脅威ではなかった。

 しかし、数が多い。四方八方から無限に現れる敵を、少女一人で討伐するのは、やはり困難だ。

 一瞬、ユイの気がそれた隙に、一体のメメントが死角から襲いかかった。気配を察し、迎え討つ体勢を整えようとするが、わずかにタイミングが合わない。

 ユイは攻撃に備えて身構えた。が、鉄をも砕く敵の豪腕がユイに届く寸前、メメントの頭部に光の矢が命中した。メメントは断末魔を上げながら大きく仰け反って倒れ、そのまま蒸発分解を始めた。

 ユイは矢が飛んできた方向を振り返る。小高い塀の上に、絹のような白百合の髪をたなびかせたロゼットが、左手に光の弓を携えて立っていた。

 

 ロゼットの左手の中には、小さな光球が浮いている。その光球からは、三日月のように緩く湾曲した光の線が伸び、弓を形作っている。

 ロゼットはその左手をまっすぐに伸ばし、右手で目に見えない弦を引く仕草をした。すると細い光の弦が出現し、中心に、同じく光の矢が現れる。ロゼットが光の弦を放すと、矢は一体のメメントめがけて飛んだ。

 分厚い肉に覆われたメメントの胸部を、細い光の矢が貫く。貫通痕が閃光を発し、メメントを包み込んだ。

 続いてロゼットが放った矢は、飛翔中に分散し、複数のメメントの頭上に降り注いだ。敵を討ち取るだけのパワーはないが、全くダメージを与えられないものではない。狙いは怯ませ、一瞬足止めさせることだ。その隙に、ユイが電光石火でとどめをさした。

 ロゼットの細胞装置ナノギアは、その名を〈ヴィジャヤ〉という。超高感度のメメント感知能力と、光の矢〈グリムシュート〉による遠距離攻撃による後方支援のスペックである。

 ロゼットのフォローを受け、ユイは今まで以上にはりきった。死角は義姉が守ってくれるという安心感が、彼女の技に磨きをかける。

 二人の少女の手によって、群がるメメントどもは、確実にその数を減らしていった。

 戦局は少女らの優位に傾いている。だが、ロゼットの胸はざわついていた。

 最も強い敵の気配は、まだ大学構内のどこかにあるのだ。

 目の前の雑魚だけを相手にしてはいられない。おそらく、雑魚メメントが大量に現れたのも、強い気配の主の存在が影響していると考えられる。

(どこにいるの)

 ロゼットはグリムシュートでユイを援護しながら、周囲を注意深く探った。

 突如、うなじから背中にかけて、虫が這うような吐き気を催す悪気に襲われた。ロゼットはぞくりとして、反射的に背後を振り返る。

 真後ろには何もない。こちらに向けられている明らかな悪意をたどって、視線を徐々に上げていく。


 それは、大学校舎の黒い屋根の上にいた。


 青空を背にして黒屋根の上に立つ者は、死者の世から現世へ、音もなく滲みいでてきた真っ白な幽鬼であった。

 白い肌、白い髪、白い服。色彩豊かな風景の只中にあって、この世のものではない何かを醸し出す、異質な白。

 

 それが、じっと地上を見下ろしている。


(あいつだ)


 確信した。

 シルエットは少女と見紛うほどに細く、生命の輝きの失われた白き塊こそ、最も恐れるべき相手だと。

 廃墟のビルでも感知した、尋常でない悪意と狂気の集合体だ。

 ユイに警告しようと、ロゼットは彼女の方に身体を向けた。

 と同時に、ロゼットの視界が薄闇に包まれた。はっとして顔を上げる。白い幽鬼の放つ、あまりに異常な悪意に呑まれ、接近に気づかなかった。

 巨躯のメメントが、ロゼットを見下ろしていたのである。

 体長は、今まで屠ってきた牛頭のメメントの倍近くあるだろうか。胴と四肢は鋼鉄のように黒く、太く硬い体毛に覆われている。手足の爪は長く伸び、少女の柔らかな肉など、たやすくえぐり引き裂くだろう。筋肉隆々の首の上には鬼の頭部。牛を思わせる六本の角を生やし、金色の目が爛々と光る。

 ロゼットの足はすくみ、巨大なメメントをただ見上げることしか出来なかった。左手の〈ヴィジャヤ〉が機能を停止して消えた。

「ロージー!」

 巨大メメントの向こうから、ユイの叫びが聴こえてくる。巨躯に遮られ、ユイの姿が見えない。

 巨大メメントの両腕が左右に開いた。背中まで腕を引く。潰すつもりだ、とロゼットは悟った。迷い込んできた愚かな小虫を、無慈悲に潰すように。

 後ろに跳んで回避するのが早いか、それとも逃げる前に囚われ、血と臓物と脳を撒き散らして圧死するのが早いか。

 どこからか、笛に似た高い音が流れ聴こえてきた。巨大メメントは、その音を聴きつけ、動きを止めた。尖った耳をピクピクと動かし、音が聴こえてきた方向に太い首を傾ける。

 ロゼットもまた、つられるようにそちらに顔を向けた。

 

「私の義妹いもうとたちに近づくのは許しません。離れなさい」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ