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TRACK-5 白闇の狂気 3

 校舎全体に、就業のベルが鳴り響く。と同時に、学生たちは一斉に席を立つ。何人かの学生は、教壇の側に立ち寄り、小柄な講師に幾つかの質問をした。講師はそれらに、淡々と、しかし丁寧に答えた。

 やがて学生らが残らず教室から出て行き、講師もまた、荷物をまとめて退室しようと一歩踏み出した。

 教室の出入り口に、誰かが立っていることに気づいた講師は、その足を止めた。

 年齢的に、学生でないのは間違いない。見覚えのない顔だが、新任講師だろうか。それにしては、事前の連絡がなかったが。

 アッシュグレーの髪をした壮年の男である。男は教室に数歩踏み入り、講師を真っ直ぐに見た。

「シーモア・オズモント教授ですか?」

「いかにも。君はどなたかね」

ゆえあって素性は明かせません。ご理解ください」

 抑揚のない物言いは、例えどんな内容であろうとも質問は受け付けない、だがこちらの質問には答えてもらう、という、暗黙の命令を含んでいた。

 オズモントは、普通にしていても不機嫌そうに見られるが、この時ばかりは真実不機嫌になった。  

「ではミスター・名無し男ジョン・スミス。私に何のご用かな」

「お時間はいただきません。一つ二つ、お尋ねしたいことがあるのです」

 男はまた数歩、静かに歩み寄る。

「あなたは以前、奇妙な装置に触れたことがありますね?」

「奇妙な装置、とは?」

「ちょうどこのくらいの高さの」

 と、男は自身の腰のあたりを示す。

「金属の、そう、卵のような形の機械ですよ」

 オズモントの片眉が、ぴくりと吊り上がった。金属製の卵に似た形状の機械装置。それは、たしかに以前触れたことがあった。装置は今も、自宅の隠し部屋に保管してある。

 この男はなぜ、装置のことを知っているのだろう。装置を知っているということは、すなわち、その中に何が収められていたのかも知っているということだ。

 オズモントの脳裏に、一人の青年の姿が浮かんだ。屈託のない笑顔でオズモントの愛犬と戯れる、緋色の瞳をした青年。一見すると、どこにでもいる溌剌とした若者だが、その身体は〈政府〉と科学のごうにより、強化改造が施されている。

 金属の卵の中で、冷たい眠りについていた彼をかえしたのは、オズモントだ。 

「さあ、そんな機械は知らないね」

「ご存知ない? 本当ですか? あなたのもとにあると聞いたのですが」

「人違いではないかな。一体そんなでたらめを、誰に聞いたのだね」 

「私が答えずとも、ご承知でしょうに」

 男は、ひらりひらりと追求をかわす。駆け引きには慣れているらしい。

 オズモントが凍結睡眠装置を保管していることを知っている人物は、ごく限られている。だが、彼らが簡単に情報を明かすとは思えない。ならば考えつくのは、装置を最初に発見した人物――〈パンデミック〉跡地から装置を掘り起こした人物だ。

 オズモントは、その人物との面識を持たない。グリーンベイにある地下街の主だそうだが、彼とは別段、顔を合わせる必要性はないと考えている。

「ともかく、そのような装置は知らない。他に用がなければ失礼するが、いいかね?」

「お待ちを。質問はあとひとつ、残っています」

 男はオズモントの行く手を阻まんと、扉の前に立ち塞がった。

「装置についてしら・・を切るのは結構。しかし、この質問には答えていただきたい」

 伸びたアッシュグレーの前髪から、鋭い視線が覗いた。


「トワイライト・ナイトメアを追う理由は何ですか」


 常に不機嫌そうに見え、あまり表情に変化のないオズモントだが、この一言には驚きを隠すことが出来なかった。男はオズモントの反応を見逃さない。

「やはり追っているのですね。一介の大学講師であるあなたが、なぜメメントを、それもトワイライトを追っているのですか」

「君は一体何者だ」

「私もトワイライトを追っているのです」

「なんだと……?」

 自分以外に、あのメメントを追い続けている人間がいるとは、まったく考えもしなかった。いや、自分以外にはいないはずだ。それとも、この男はメメントを狩る〈異法者ペイガン〉なのだろうか。

「オズモント教授、我々は敵同士ではない。今のところは。私とあなたの、トワイライトを追っている理由が一致するなら、我々は協力し合えるかもしれない」

「一致しなかったら、どうするのだね」

 理由が一致? そんなことはありえない。なぜならあれは。あのメメントは。

「一致しなかったら」

 男はオズモントの言葉を繰り返し、続けた。

「あなたには手を引いてもらう。そして今後一切メメントと関わらないよう、忠告申し上げる」

 予想通りの答えだった。

 この男が異法者で、狩るためにトワイライト・ナイトメアを追っているのであれば、協力し合えるはずがない。異法者でなくとも、オズモントと彼の理由が一致するということも、絶対にない。

 ならば、こちらが返す言葉は決まっている。

「私がメメントに関して信頼を置いているのは、この世に二人だけだ。忠告は聞いた。お引き取り願おう」

 のメメントの行方を追うと、心に誓ったその時に、かかる危険はすべて覚悟した。だが、志半ばで果てる気もない。なんとしてでも、この身に何が起きようとも、見定めなければならないのだ。

 トワイライト・ナイトメアが誕生した、その訳を。

 男は、ぎりっとオズモントを睨んだ。彼の右手が、わずかに動く。空気が緊張で張り詰める。

 その時、携帯端末エレフォンの呼び出し音が鳴り響いた。オズモントのものだ。

「急用かもしれない」

 オズモントは男から目線を外さず、携帯端末エレフォンの入ったポケットに、片手をそろそろと近づけた。

「出てもよろしいかな?」

 男は答えない。彼の手が懐に向かっていく。呼び出し音は止まない。

 と。

 唐突に、ラジオのノイズのような雑音が、どこからか聴こえてきた。携帯端末のものではない。その音に、男の注意がそがれた。隙をついて、オズモントはエレフォンを取り出す。呼び出しは止まっていた。着信を確認すると、レジーニからだった。

 ふと男の様子を探り見る。彼は上着の内側から、エレフォンとは違う小型の機械を取り、画面があるらしき部分を、食い入るように見ていた。ノイズ音は、その機械から発せられている。

「馬鹿な……この数値は!」

 さきほどまでの険しい表情は失せ、困惑と焦りに満ちた目で機械を凝視しているかと思えば、何かを探すように天井付近に視線を上げる。

 男は忌々しげに舌打ちすると、やや乱暴に機械を懐に戻し、オズモントを見やった。

「オズモント教授、そこまでの覚悟がおありなら、いいでしょう、もう何も言いますまい。好きになさればいい。もっとも、今日この場で、我々二人とも、命を落とす可能性が高いがね」


        *


 外に出て電話していたドミニクが、形の良い眉をひそめて、足早に戻ってきた。切羽詰ったような顔つきでアルフォンセを見る。

「ロゼットからでした。かなり強力なメメントが現れたようです。こちらから押しかけてすみませんが、私はこれで」

 メメントと聞き、アルフォンセの身体にも緊張がはしった。

「どこに出たんですか?」

「ワーズワースという大学だそうです。どこにあるか分かりますか?」

 心臓が跳ね上がり、更に鷲掴みにされたかのような衝撃が、アルフォンセを襲った。ワーズワース大学には、オズモントが講師として勤めている。彼と、大勢の学生や職員たちに、危険が迫っている。

「ここから三区画先にあります。あ、あの、私、エヴァンに連絡します!」

 ドミニクは頷き、長い足で駆け出した。

 彼女を見送りながら、アルフォンセは携帯端末エレフォンの画面を操作し、エヴァンの端末へと電話をかける。

 十数秒、呼び出しが続いたが、相手は出なかった。呼び出しが長引くほど、焦りが募る。

 ようやく繋がり、スピーカーから応答の声が聞こえた。だがそれは、エヴァンのものではなかった。

『よう、アル』

 エヴァンよりもずっと低い声だ。だが、よく聞き覚えた人物のものである。

「ヴォルフさん? あの、エヴァンはいますか?」

『どうした、何かあったのか』

「ワーズワースにメメントが現れたそうです。ドミニクさんが向かってますが、とても強力な相手だそうで、エヴァンとレジーニさんにも知らせたいんです」

『分かった。レジーニの奴には俺から連絡する。だが、エヴァンは……』

「エヴァンがどうかしたんですか?」

 尋ねると、ヴォルフは獣のような、低く短い唸りを上げた。それから、やや歯切れの悪い物言いで、

『いや。今ちょっと手が離せねえんだ。なに、ちゃんと伝えておく。心配すんな』

 と、答えた。ヴォルフの返事に引っかかりを感じたものの、この切迫した状況で食い下がっている場合ではない。

 腑に落ちないながらも、アルフォンセは通話を終えたのだった。



 自分のものではない携帯端末エレフォンを、ごつい手で握り締めるヴォルフは、苦々しい思いで舌打ちした。

 アルフォンセにはあのように答えたが、それは彼女に余計な心配をかけさせないためであった。

 ただでさえ、メメントが近くに現れた――しかもオズモントの勤める大学に――ということで、不安な思いをしているだろうに、このうえ更なる不安要素を加えることになる事実を、ありのままに明かすことには躊躇があったのだ。

「あの馬鹿猿め」

 店の出入り口を睨む。つい先刻まで、そこにはエヴァンがいた。

 いたはずだった。

 ヴォルフが厨房で片づけをしている時、表の方から話し声が聞こえてきた。エヴァンと客が会話しているのだろうと思いながら戻ると、店内には誰もいなかった。

 エヴァンは一人、出入り口を開け放ったまま、その場に立ち尽くしていた。

 客を見送っているのだろうか。声をかけようとしたちょうどその時、カウンターに置いてあったエヴァンの端末が鳴ったのである。

 携帯端末に気を取られ、目を離したのはほんの一瞬だった。


 その、ほんのわずかの間に。


「どこに行きやがった」


 エヴァンは姿を消した。

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