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TRACK-5 白闇の狂気 1

 グリーンベイの東隣の区ロックウッド方面に続く道路やハイウェイ、スカイリニアがにわかにあわただしい様子が、窓から見える。何事だろうか、とぼんやり思ったが、すぐに心当たりに行き着いた。

 今日と明日とで、大きな音楽イベント〈サマーフィーバー〉が開催されるのだ。

 ここ数日の情報番組では、出演するミュージシャンたちの特集がいくつも放送され、当イベントへの期待感を高め、盛り上げていた。

 さぞかし盛大な音楽フェスティバルなのだろう、ということはアルフォンセにも分かる。だが、彼女自身は、そういったイベントにはあまり興味がなかった。

 都会で暮らしているので人ごみには慣れているし、祭事そのものは好きだ。だが、音楽フェスという少々特殊なイベントの会場に、自分がいる場面を想像することが出来ない。おそらく場違いなのだろう。

 街中で毎年催される祭りや、十二月の星誕祭、年末年始の行事などには心が躍る。友人たちと楽しく過ごせるからだ。

 それに。

 今年の星誕祭や年末年始は、特別な人と一緒にいられるかもしれない。

 まだまだ先のことなのだが、その日のことを考えると、知らず頬が緩んでしまう。


 今朝送られてきた、短いメールの内容を思い出したアルフォンセは、はやる気持ちをどうにか抑えた。

 昨晩、レジーニとの食事の際、久しぶりにアルコールを飲んだ。もともと酒には弱く、普段はまったく飲まないのだが、彼に付き合ってシャンパンを少し飲んだのだ。それが思いのほか美味しく、ジュース感覚でつい二杯三杯とおかわりしてしまった。

 とても楽しい気分になって、途中で記憶が途切れた。気がつけば、自宅の寝室で着衣のまま寝ていた。

 正体を無くしたアルフォンセを、レジーニが送ってくれたのだと思い、彼に電話をかけた。昨晩の迷惑を詫びると、レジーニは何事でもないというように「気にするな」と言ってくれた。その時、エヴァンが一緒に部屋まで送ったのだと聞いた。

 エヴァンにも一言言わなければ。しかし、恥ずかしい姿を見られた上に、まだなんとなく顔を合わせ辛い。今朝は、彼と鉢合わせにならないよう、敢えていつもより早く自宅を出たのだった。

 メールが届いたのは、図書館に到着した頃のことだ。


 ――話がしたい。今夜会ってほしい。


 話とは、昨日の朝のことだろう。何にしても、ちゃんと話し合う機会を作ってくれようとする気遣いだけでも嬉しい。

(私も、きちんと話さなきゃ)

 彼はもう充分待ってくれた。想いのすべてを、今夜打ち明けよう。

 アルフォンセの心は決まっていた。

 彼に会いたい。早く終業時刻にならないだろうか。そわそわしながらも業務をこなしていると、

「ちょっとよろしいですか?」

 背後から、まろやかな女性の声がした。

「はい、どうなさいました?」

 図書館利用客だと思い、振り返ると、そこには背の高い女性が立っていた。ボディラインの浮き出たフィットウェアに、細身のパンツ。モデル顔負けのプロポーションの持ち主だ。

「ドミニクさん」

 意外な人物の訪れに、アルフォンセはやや動揺した。

 そんな胸中の揺れ動きを知ってか知らずか、ドミニクは柔らかく微笑む。

「お仕事中に申し訳ありません。アルフォンセさん、少しお話できませんか?」



 アルフォンセは、一般客向けに営業しているカフェテラスに、ドミニクを案内した。互いに適当に飲み物をオーダーする。アルフォンセはハーブティーを、ドミニクはレモンスカッシュを。

 ドリンクが運ばれてきてからも、二人の間には沈黙が流れていた。

 ようやく口を開いたのは、ドミニクだった。

「こちらにお勤めだと聞きまして。ちょっとだけ、お付き合いくださいます?」

「いいえ、はい、あの……大丈夫です」

 一体どんな話なのだろう。ざわつく胸を落ち着かせようと、アルフォンセはハーブティーを一口飲んだ。

 そんなアルフォンセの様子に、ドミニクはふっと吹き出した。

「そう緊張しないでくださいな。いじわるをしに来たのではありませんわ」

「い、いえ、すみません、そんなつもりは」

 慌てて取り繕うと、ドミニクは更に楽しげに笑った。

「本題に入りましょう。まずは昨日のお礼を。パンケーキ、とても美味しかったです。ありがとうございました」

「は、はい」

「それから、お見苦しいところをお見せしたことをお詫びします。エヴァンのこと、あまり責めないでくださいね。私たちにも責任があるのですから」

 ドミニクはテーブルの上で両手を組み合わせ、少し身を乗り出した。

「昨日あなたは、私たちが泊まっていることなど、ご存知なかったでしょう? それなのに、わざわざパンケーキを持ってきてくださった。エヴァンのために作ったものですね。それも、私たち全員に行き渡るほどの量を。エヴァンはそのくらいの量、ぺろっと完食してしまいますから。いつも彼の食事を用意してらっしゃるの?」

「いつもというわけではありません。お夜食なら、時々」

「頼まれて?」

「いえ、私が勝手に。それを、いつも食べてくれるんです」

 緊張しなくてもいい、とドミニクは言ったが、肩の強張りはなかなかほぐれない。ドミニクが何の話をしたいのかが、分からなかった。

「お付き合いなさってるわけではないのですよね?」

「はい」

「男として好きではないの?」

「す……」

 アルフォンセは顔を上げ、衝動的に「好きです」と言いそうになった。が、同時に恥ずかしさもこみ上げてきて、言葉は尻すぼみになった。

「彼が普通の人間ではないから、だからお付き合いは出来ない、と?」

「そんなことはありません」

 今度ははっきりと言葉にした。エヴァンがマキニアンだから男としては愛せない、などと、そんな風に考えたことは一度もない。マキニアンは特殊だが、人間だ。それに、エヴァンがエヴァンであることと、マキニアンであることとは関係がない。

 ドミニクはやや厳しい眼差しで、アルフォンセを見つめた。

「ですが、よくお考えになって。差別をするつもりがなくとも、やはり一般人とは違います。我々マキニアンは科学的強化された兵士です。排除すべきメメントがいる限り、私たちは戦いから逃れられない。常に死と隣り合わせです。危険はどこからでも襲ってくる。関わり続けていれば、いずれあなたにも累が及ぶ可能性は大きいですよ」

 ドミニクの言葉の一つひとつが、アルフォンセの胸に重く深く突き刺さる。

「それだけではありません。交際にあたって、根本的な問題があります。あなたが彼と付き合うようになったとして、彼との間に子どもが出来た場合、その子を産む覚悟がありますか?」

「あ……」


「意味はお分かりですね? たとえ避妊を徹底しようとも、妊娠を確実に回避する手段はありません。あなたは、マキニアンという特殊な存在の子を孕む可能性を背負うことになります。そして、メイレイン博士のご息女でしたらご存知でしょうが、マキニアンが子を成したという前例はありません。医学的理論上では、細胞置換手術を受けても、卵子や精子の機能に変化はないとされています。つまり、マキニアンにも子を成すことができるということです。ですが、マキニアンの子が産まれた、女のマキニアンが妊娠・出産したという実例は一件もありません」


 ドミニクが何を問いたいのか、少しずつ分かってきた。


「マキニアンの特殊な遺伝子が、子どもにどんな影響を及ぼすのか、誰にも分からないのです。また、無事に出産、子育てができたとしても、そんな特別な存在を〈政府サンクシオン〉に知られれば、彼らの好奇の目を寄せることになります。おそらく、あなた方から、子どもを奪いに来るでしょう。マキニアンの妊娠率は非常に低いものですが、それでもゼロではない以上、これらのリスクがあなたに科せられます。

 あなたは、すべて承知の上で、エヴァンとの交際を望みますか?」


 突き刺さったドミニクの言葉は、ゆっくりと浸透していき、アルフォンセの心に響き渡った。

 彼女から言われた内容は、漠然と頭にあったことだった。慎重に受け止めるべき、大切な問題点である。

(でも……)

 不思議と、怖くなかった。当然考えられるべき様々な問題に対して、まったく不安がない、とは言いきれない。

 けれど、恐怖はないのだ。

 なぜだろう。

 彼だからだ。

「私は」

 一語一句、言葉を選びながら、答えた。

「ドミニクさんに言われたことは全部、深く考えたことはありません。だけどそれは、なんとなく自然に、当たり前みたいに受け入れていたように思います。いつから、と聞かれれば答えにくいのですが。

それでも私は、彼の側にいたい。側にいて、支えられたらって思ってます。あの人に求められるものがあって、それが私にできることなら、なんでも応えたいと思ってます。それがメンテナンスや食事であっても、か、身体であっても」

 正直な想いを、正直に打ち明けた。建前でこの場を収めるつもりはない。

「彼との間に赤ちゃんを授かったのなら、私、産みたいです」

 エヴァン・ファブレルの周りは、危険で囲まれている。怪物と戦う定めは、いつまで続くか分からない。だからこそ、心安らげる場所と時間が必要なのだ。

 彼に安らぎを与えられる人間は、自分であってほしい。 

 心から、そう願っている。

 短いが、すべての想いを込めた答えを、アルフォンセはドミニクに返した。彼女は答えを吟味するように、しばし沈黙した。

 やがて、ふっと表情を緩めたドミニクは、穏やかな微笑をアルフォンセに見せる。

「いじわるをしに来たのではないと言いながら、いじわるなことを申しましたね。許してください」

「い、いえ、そんな」

「あなたから、そのような言葉を聞けて嬉しいです。彼を愛してるのね」

「はい」

 静かに、だが、はっきりと口に出した。ドミニクは満足げに小さく頷く。

「信じていただきたいのですが、先日申し上げたとおり、私とエヴァンは姉弟も同然の間柄です。気を許しすぎて、あのようなお見苦しい場面をお見せしてしまいましたが、やましいことなど一点もありません」

「はい」

「我々は、一般的な幸福とは程遠い所に身を置いていました。属するべき組織を失った今でも、大して変わりはありません。もしも、人としての幸せを得ることができるのなら、それは何よりも守られるべきだと思います。あなたたちが羨ましいですね」

 ドミニクの瞳に陰りが落ちた。アルフォンセから目線を外し、窓の方に流す。射し込む日光を受けた長い睫毛が、濡れたように艶めいた。

(ひょっとして……)

 何かに想いを馳せるドミニクの眼差しに、自分が抱いているのと同じものを、アルフォンセは感じ取った。女の直感、とでも言おうか。

「あの、ドミニクさんにも、どなたか……?」

 遠慮がちに尋ねると、ドミニクは視線を戻し、苦く笑った。

「私の場合は、恋人と呼べるものではありませんでしたの。甘い言葉を交わし合うことなど、一度だってありませんでした。彼はそういう人ではなかったので。普段から誰にも、心の内を明かしたりはしなかったのです。あの人からどう想われていたのか、正直なところ分かりません。ただ身体の欲求を満たすためだけの相手だと、そう考えていたのかも。私は……それでも良かったんですが」

 やや自嘲気味に締めくくると、ドミニクは一旦口を閉ざした。沈黙が流れる。レモンスカッシュに浮いたロックアイスが音をたて、しゅわ、と炭酸がはじけた。

 何か話さなければ、とアルフォンセが思い始めた時、彼女の口が開いた。

「少し重い話をしましたが、義姉あねとして義弟おとうとをよろしく、と、それだけ言いたかったのです。驚かせてすみませんでした」

「いいえ。お話できてよかったです」

 これは本心だ。出会って間もなく、しかも彼女に対して、一方的なジェラシーを抱いていたアルフォンセである。だが、短い時間ながらも正面から向き合って話したことで、少しドミニクという女性の人となりに触れることが出来た。仲間への親愛の情が深いのだろう。それにきっと、面倒見もいいに違いない。そういった長所を知ることが出来て、彼女に嫉妬心を抱いたままにならずに済んでよかったと、心からそう思う。

「エヴァンの過去を、私だけが知っているのはずるいですよね。ひとつ、秘密の話を教えましょうか」

 ドミニクはいたずらっぽく、人差し指を立てて唇に当てた。

「秘密の話、ですか」

「ええ。子どもの頃の話ですが。“エヴァン”という名前についてです。彼の名前は、ある児童小説からとられたものだそうです。『宇宙航海記』という長編シリーズの主人公の名前だとか。その本を愛読している人がいて、その人が彼に“エヴァン”という名を付けたのだと、エヴァン本人が教えてくれました」 

「名付け親、ということですか」

「親……なのかどうかは分かりません。なにしろエヴァンは、その人のことを“小さい兄貴”と呼んでいましたので」

「お兄さんがいたんですか?」

 アルフォンセは驚き、目を見開いたが、ドミニクは肩をすくめた。

「おそらくは、兄のような存在ではないかと思います。ただ、その人はエヴァンにとって、かなり特別な存在だったようですね。“小さい兄貴”については誰にも言わないように、と釘を刺されました。たった一人の同い年の友達だから教えてやるんだ、と」

「そのこと、エヴァンは覚えてるんでしょうか」

「いいえ、それとなく訊いてみましたが、一切記憶にないようです」

 小さい兄貴。エヴァンに名前を与えた特別な人。

 名前をとったというその小説は、この図書館にあるだろうか。蔵書数は東エリア屈指だから、見つけられる可能性は高い。後で探してみよう。

 アルフォンセがそう決意した時、ドミニクの携帯端末エレフォンが鳴った。


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