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TRACK-1 過去からの呼び声 1

挿絵(By みてみん)

 鉄も溶けよとばかりに照りつける午前の陽射しが、燦々と室内に降り注ぐ。

 アパートの十二階ともなれば、天より受ける熱の量は、下階よりも高くなる。室内が亜熱帯にならないのは、機能性高い断熱壁のおかげだ。窓ガラスは紫外線をカットする仕様なので、部屋にいながらにして日焼けすることはない。空調も効いているので涼しいが、身体を動かせば体温は上昇し、汗が滲んでくる。

 七月中旬のアトランヴィル・シティ。今日の最高気温は摂氏三十一度、真夏日である。

 

 

 エヴァン・ファブレルは膝下丈のルームパンツに上半身裸という姿で、バスルームにこもっていた。飼い亀ゲンブの棲み処である水槽の掃除をしているのである。

 敷き砂利や水槽を丹念に洗い、付着した藻を取り除く。この時期は藻が繁殖しやすいので、いつも以上にこまめに手入れをしてやらねばならない。

 普段ずぼらな飼い主が、せっせと棲み処を洗っている間、当のゲンブは水を張ったボウルに移され、その中でまったりと泳いでいた。

 ボウルにいるのは、ゲンブだけではなかった。薄いピンク色をした二匹の小エビが、一緒に泳いでいる。

 先日、爬虫類専門のペットショップで働く友人の薦めで買った、ゲンブの同居人である。この種類のエビならば、亀が捕食してしまう心配はないのだそうだ。

 エヴァンは二匹に「セイリュウ」と名付けた。区別はしていない。二匹とも「セイリュウ」である。

 バスルームの扉を開け放ち、リビングから聴こえてくるラジオ放送に耳を傾ける。第九区のローカルチャンネルで、区民からの人気は絶大である。

 今月一押しのポップスソングがフェードアウトすると、番組進行役の男性が、軽快な声で話し始めた。


『七月のヘビーローテーションナンバーをお聴きいただきました。さて彼らランブルスですが、今月この第九区にやってきます。そうです、もう皆さんご存知ですね。今年もやりますよ、〈サマーフィーバー〉! 毎年夏になると、様々な音楽フェスが開催されますが、そのトップバッターにして、もっとも歴史の古いフェスが、この〈サマーフィーバー〉ですね。会場は毎年違うんですが、今年ついに! ついにここ第九区での開催が決定したわけです。いやあ、興奮しますねー。僕たちの第九区に、人気アーティストたちが集結するんですよ。しかも二日間。第九区挙げてのお祭り騒ぎになること、間違いなしです!

 出演するアーティストやバンドは、そうそうたる顔ぶれですね。テレビでもこれだけの面子メンツが揃うことは、滅多にありません。それを可能にしてしまうのも、音楽フェスの強みであり、魅力でもありますね。

 なんといっても最大の目玉は、今回のヘッドライナーにして二日目の大トリ、クライヴ・ストームですよ! 彼、音楽フェスにはあまり参加しないことでも知られていたんですが、今回は待望の出演決定ということで、ショービズニュースを賑わせましたよね。

 当日はなんと、新曲が初披露される、との噂もありますが、果たして何を歌ってくれるのでしょうか。

 実は僕、その二日目に行ってきますので、そのレポートは後日たっぷりお届けしますね。

〈サマーフィーバー〉の開催は、来週の土日です。ロックウッドの特設会場で催されます。

 今、世間様は夏休みの真っ只中ということもありまして、大変な混雑が予想されますので、充分注意してください。

 それではお時間がやって参りました。このあとは午後のニュースタイムですので、このチャンネルで引き続きお楽しみください。

 お相手は“お耳の執事バトラー”DJクックでした。次回の放送をお楽しみに。さようならー』


「音楽フェスかあ」

 水槽の掃除を終えたエヴァンは、亀と小エビたちを棲み処に戻しながら独りごちた。

 綺麗になった水槽に戻ったゲンブとセイリュウたちは、元気に泳ぎ始めた。可愛いペットたちの様子を満足そうに眺め、エヴァンの頬が緩む。

「行ってみたいんだよなあ、そういうの」

 いわゆる青春というものに縁がなかったエヴァンにとって、若者の象徴的イベントは、憧れの対象であった。


 エヴァンは軍部の元特殊戦闘員だ。

 彼が所属していたのは、対メメント専門部隊〈SALUTサルト〉である。〈SALUT〉の戦闘員は皆、〈細胞置換〉という技術により、特別な能力を与えられた〈マキニアン〉だ。

〈SALUT〉所属時代、エヴァンは粗悪体のマキニアンとして、雑な扱いを受けていた。

〈SALUT〉の本拠地である、政府直下の研究機関〈イーデル〉の研究者たちは、マキニアンを兵器と見なし、人間扱いしなかった。

 戦闘員としての任務と、研究者たちからの迫害に追われた十代のエヴァンには、青春を謳歌する機会など与えられなかったのである。

〈SALUT〉や〈イーデル〉は、十年前に起こった〈パンデミック〉という災害で壊滅した。

〈パンデミック〉は、メメントの大量発生事件の名称であるが、その実、〈SALUT〉の存在に危機感を抱いた〈政府サンクシオン〉の保守派の命令で、陸軍により執行されたマキニアン抹殺作戦である。〈イーデル〉は戦場と化し、死体はメメントとなり、マキニアンもその他の人間たちも、甚大な被害を受けた。

 この事件が原因で〈SALUT〉は解散、〈イーデル〉はその姿を失い、国防研――国家防衛研究所――に組み込まれることになったのである。

 事件当日、エヴァンは戦いの場にはいなかった。凍結睡眠コールドスリープ処置を施され、十年間眠り続けることになってしまったからだ。それもまた、政府サンクシオンの差し金であったらしい。

 十年間、エヴァンの時間は止まった。世界から切り離され、取り残されたのだ。

 目覚めた時、目の前に広がる光景は、エヴァンの知らない世界だった。元々、〈イーデル〉の外の暮らしを知らなかったエヴァンである。何もかもが新鮮で、まるで生まれ変わったかのような感覚に陥った。

 そうだ、生まれ変わったのだ、とエヴァンは頷く。

 十代の頃に得られなかった青春は、今から取り戻せばいい。幸いなことに、十年間の凍結睡眠コールドスリープは、肉体の老化をも止めており、エヴァンは眠りについた当時のままの若さを保っている。

 人生はこれからだ。と、定年退職後に新たな生きる目的を見直した六十代のようなスローガンを掲げるエヴァンであった。

 

 気を取り直したエヴァンは、己の身体を見下ろす。水槽掃除のおかげで、肌はうっすらと汗ばんでいた。シャワーを浴びるか、とバスルームに向かう。

 歩きながら、午後はどう過ごそうかを考える。今日は〈パープルヘイズ〉の店休日なので、仕事はない。“もう一つの仕事”も、今のところお呼びがかからない。

 部屋でじっとしていることが出来ない性分なので、どの道出かけるつもりではあるが、さてそれではどこへ行こうか。

 などと考えていると、玄関の呼び出しチャイムが鳴った。

「はーい、誰?」

 ドアを開けるとそこには、ほっそりした小柄な人物が立っていた。

 絹糸のような金髪をリボンで束ね、青空のような鮮やかなブルーのワンピースを着た美少女、はす向かいの部屋に祖父母と暮らす、マリー=アン・ジェンセンだった。

 マリーは、上半身裸のエヴァンが姿を見せるや、たちまち頬を赤く染めてそっぽを向いた。

「お、マリーじゃん。どした?」

「ど、ど、ど、どしたじゃないわよ! なんでそんな格好で出てくるのよ! バッカじゃないの!」

「え、何が? 今からシャワー浴びようとしてたことなんだよ。俺の裸なんか何度も見てるだろ」

「あんたがしょっちゅう『暑い暑い』って脱いでるから、嫌でも目に付くんじゃない! とにかく、年頃の女の子の前で裸になるなんて、デリカシーがなさすぎ! もうちょっと考えなさいよね!」

 マリーは赤面したまま、ぷりぷりと文句を並べた。時折エヴァンを見るが、目のやり場に困るようで、すぐまた視線を逸らす。

 エヴァンは、マリーに怒られる理由は理解出来なかったが、別のことには気がついた。

 すっと一歩踏み出し、マリーとの間を詰める。彼女の顔に、エヴァンの胸板が迫る形になり、マリーはますます赤く茹で上がった。

 ほのかに汗ばむ筋肉質の上半身は、どこか色気めいたものを漂わせていて、思春期少女の目には毒である。しかしそんなデリケートな部分にまで気が回るほど、エヴァンの神経は細やかではない。

「お前さ、ちょっと背ぇ伸びたんじゃねえか?」

 以前まではマリーと並ぶと、彼女の頭頂部はエヴァンの大胸筋あたりに達する程度だったのだが、今では肩に届くほどになっている。

「そりゃ……日々成長してるんだから、背も伸びるわよ。あたし育ち盛りの思春期なのよ。今まではチビだったけど、これから絶対伸びるの」

 唇を尖らせ、上目遣いでエヴァンを見るマリー。何か言いたそうな表情だ。

「そっか、だよな。何だか妹の成長を見てる気分だぜ」

 エヴァンはにやっと笑い、マリーの頭を撫でる。するとマリーはその手を払いのけ、一歩後ずさった。

「ちょ、ちょっと、気安く触らないでよ! あたし十三になるし、もう中学生なんだから、子ども扱いしないで」

「あれ? お前、いつから中学生なの?」

「ほんっと記憶力ない奴! 今年の春に中学生に上がったこと、覚えてないの!?」

「春? ああ、そうだったっけ」

「そうだったの! もう、信じらんない……」

 呆れたマリーは首を横に振る。頭を動かすたび、束ねた髪が揺れた。

「あたしのこと、全然見てくれてないんだ。もう最悪」

 朝咲きの花が閉じるように、マリーの表情がしおれていく。よく分からないが機嫌を損ねてしまったようなので、エヴァンは慌てて取り繕った。

「いや、まあ、なんだその、悪かった。ところで、俺に何か用があったんだろ?」

「もういい。なんだかバカみたいに思えちゃった」

「そう言うなよ、ほれ、言ってみな」

 催促すると、マリーは小さな溜め息をついた。

「あたし、明日で十三になるの。夜に友達呼んで誕生日会するから、暇なら来れば?」

「たんじょうびかい?」

「別に無理して来なくてもいいよ。どうせバイトあるんでしょ。来れないの分かってるから忘れて。あたし、これから友達とプール行ってくるから。じゃあね」

 マリーは細い肩を落とし、不機嫌な顔つきで背を向けた。その華奢な後ろ姿が、妙に寂しげに見えて、エヴァンは彼女を呼び止めた。

「待てよ。行くよ」

 振り返ったマリーの表情が、少しだけ明るくなったように思える。

「だってバイトでしょ?」

「終わったら行く。お前の祝い事なんだろ? 行くよ。誘ってくれてありがとな」

 マリーはしばしの間、じっとエヴァンを見つめた。やがてそっけなく、

「あ、そ。期待しないで待ってる」

 と答えると、きびすを返し、エレベーターに乗り込んだ。

 

 マリーを見送った後、部屋に戻ったエヴァンは、顎に片手をあてて考え込んだ。

 マリーの祝い事に招待されたわけだが、さてこんな時はどうするものなのだろうか。

 パーティーに招待されたことなど、これまで一度もない。まさか礼服で参加しなければならないわけでもあるまいが。

 いや、それよりも先に解決すべき問題がある。


「たんじょうび、って何?」


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