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TRACK-3 寄らばかしまし 4

 窓から射す陽の光と、定刻にセットしておいたオーディオから流れる軽快なロックで目覚めを迎える。いつもと変わらない朝だ。

 しかし、今朝の目覚めには、いつもと違う感覚が加わっていた。

 窮屈なのだ。

 何かが身体を圧迫している。温かくて柔らかいそれ・・は、身体の横に密着していて、身動きがとれない。

「……んだよォ、っちいなあー……」

 空調システムは、気温の上昇に合わせて自動でスイッチが入るので、いつも快適な室温で朝を迎えられる。だが、密着している何かの温度までは変えられないようだ。

 眠気の払いきれていない目を片手でこすりながら、エヴァンは異変のある左側に首を傾けた。

 肩のところに顔があった。陽に照らされて明るく輝く茶色の髪の下、安らかな寝顔がこちらを向いている。衣服の胸元は大きく開いており、豊かな白い谷間が、くっきりとお目見えしている。

「うっおおおおおおおおい!!」

 奇声を発して飛び起き、大慌てで距離を開けようとした。が、しなやかな腕が腰に絡みついていたためにうまくいかず、エヴァンは背中からベッドを転げ落ちた。

 ううん、と、なまめかしい声を漏らしながら、むっくり起き上がったのはドミニクである。彼女は寝癖のついた髪をかきあげ、あくびしながら伸びをした。さわやかな朝日に包まれながらの彼女の仕草は、匂い立つような色気を発している。剥き出しの長い足を曲げて座る姿は、様々な意味で目に毒であった。

「何ですか、朝から騒ぎを起こす輩は、首を絞めますよ」

 ドミニクは目を閉じたまま、物騒なことを言った。

 エヴァンは、床に打ちつけた背中をさすりながら立ち上がる。

「ニッキーお前、なんで俺のベッドでいいいいい一緒に寝てんだよ! その格好はなんだ、俺のカットソーじゃねえか! いや服はどうでもいい、状況説明しろ!」

 心臓が早鐘を打ち、体温上昇した。エヴァンは上半身裸でルームパンツ一丁、ドミニクは男物のカットソーにショーツのみ(おそらくブラジャーはしていない)という、お互いあられもない姿である。端からはどう見ても“事後の朝”だ。

 万が一にも、世界が終焉を迎えようとも、ドミニクに友情より上の感情を抱く可能性はない、と自負している。こんな風に“二人きりの朝”を迎えたい相手は、ここではなく向かいの部屋に住んでいるのだ。

 だがもし、その万が一の事態が起きてしまったのだとしたら。エヴァンの額に、厭な汗が浮かぶ。

 夕べのことを思い出さなければ。何がどうなって、この状況に繋がるのだろうか。

 たしかに昨晩は、ドミニクたち三人を部屋に泊めることにしたのだ。アトランヴィルまでの道のりをキャンピングカーで移動してきたという彼女たちを、広い部屋で――キャンピングカーに比べれば、という意味で――ゆっくり休ませたかったからだ。それに、積もる話は〈パープルヘイズ〉の営業時間内では収まらなかった。

 さてそろそろ寝るか、という頃合い。記憶が正しければ、エヴァンはベッドを彼女たちに提供し、自分はソファで寝ると提案したはずであった。であるとするなら、今朝はソファの上で目覚めるのが正解なのだが。

「正直に答えろニッキー。お、俺とお前はまさか、つ、つ、つ、つま、つま、つまりだ。その、あれだ、あれを、こう、だから、…………したのか?」

 ドミニクは一瞬眉根を寄せ、呆れたように嘆息した。

「何を馬鹿なことを言うのですか、お前は。私たちの間にそんな事態が起きるものですか。ウサギがゾウを踏み殺す可能性よりも低いでしょうに」

 片手を口に当て、ドミニクはあくびをひとつ。幼なじみの返答は、実にのんびりとしたものだった。

「だ、だよな? んなわけねーよな!?」

「そうです。お前など男として見てませんし、見る要素も甲斐性もありません」

「うっすら見下されてる気がするけど、まあこの際いいや」

 エヴァンの口から、はああ、と安堵の溜め息が、深く長く垂れ流される。とにもかくにも、ドミニクとは何もなかった。それが分かっただけで充分だ。

「よかった。アルのための貞操は守られてた」

「まあ! お前、まだ・・なの?」 

 それまでぼんやりしていたドミニクは、妙な部分に反応して、ぱっと目を見開いた。

「うっせーよ! 俺の純潔はアルに捧げると決めてんだ」

 それがまるで人生の誉れであるかのように、エヴァンは文字通り胸を張って宣言した。

 アルフォンセと正式に恋人同士になれれば、己のすべてを彼女に差し出す所存である。来るべき記念日のために清い身体を保つのだと、古風な誓いを立てているエヴァンだった。

「それより、なんでお前が俺の隣で寝てたのか説明しろよ。ユイとロゼットは?」

 ぐるりと部屋を見回す。ロゼットはソファで眠っていた。ブランケットを頭までかぶり丸くなっている。朝露に濡れる白百合のような髪が、ソファの縁から流れ落ちていた。

「おいおい、女の子ソファに寝かせんなよ。つーか、俺がソファで寝るって言わなかったっけ?」

「言いましたが、却下しました。ここはお前の部屋ですもの、部屋の主がベッドで眠るのは当然です。なので私たちがソファで寝るつもりでしたが、お前が、そんなのはよくないなどと長々ゴネたので、当て身を食らわせ眠ってもらいました。ただ、三人が寝そべるにはソファは狭かったので、ジャンケンの結果、私がお前の隣で寝ることになったのです」

 なんとも物騒かつ強引な経緯である。部屋の主の人権はどこへ行ったのであろうか。

「じゃんけんでって、それじゃ、俺の横にユイかロゼットがいたかもしれねえのか。お前な、あの子たちの保護者だろ。男の隣に寝かせるなんて、教育上よろしくねーぞオイ」

「私たちは誰一人として、お前を“男”と見なしていませんので問題ありません」

「そこまできっぱり言われちゃ立場がェだろ」

 信頼されているのか、おちょくられているのか分からない。

エヴァンがげんなりと肩を落とした時、どこかから物音が聞こえてきた。なんだろう、と、音の聞こえた方に目をやると、バスルームからユイが出てくるところだった。

「あー、いいお湯だった! 一汗かいたあとのお風呂は最高だね!」

 ユイは張りのある瑞々しい肌を紅潮させ、濡れ髪をタオルで拭く。タンクトップにショーツだけを身に付け、若い四肢を惜しげもなく晒している。

「こらユイ! お前もなんつー格好してんだ! さっさと服着なさい!」

 眩しすぎる少女の脚線から、慌てて目を逸らすエヴァンである。ユイは、きわどい姿を成人男子に見られることも厭わない様子で、平然とエヴァンの横を通り過ぎた。

「はーい。あ、エヴァン、お風呂借りたよ。屋上で朝練してたら汗かいちゃってさ」

「朝錬って、運動部の学生かお前は」

 跳ねるように部屋を横切るユイの、小振りなお尻が視界に入り、エヴァンはまた別の方向に顔を背けた。一体今朝はどうなってんだ、と、柄にもなく憂鬱な溜め息をつく。

 油断したその時、背中に強烈な打撃を受けたエヴァンは、勢いに押されて床に倒れた。

「ぐえっ!」

 這いつくばるエヴァンの背に、何かが乗りかかる。顔の横に、白百合の髪が垂れてきた。

 鈴の音のような声が、耳元で辛辣に囁く。

「いやらしい目でユイを見るな」

「ロゼット!? 勘違いすんなよ! 俺は別にやましいことは……」

「この変態。ロリコン。甲斐性なし」

「だっ、誰が変態ロリコン甲斐性なしだゴルァ!」

 ロゼットの言葉攻めに見舞われるエヴァンを、ユイとドミニクはのんびりと見守っている。

「あれえ? ロージー、エヴァンが気に入ったみたいだね。自分から男の人に触るなんて」

「まったく、騒がしいこと。二度寝も出来ないわ」

「お前らのせいだろーが!」

 エヴァンの悲鳴が上がると同時に、玄関ベルが来客の訪れを告げた。

「私が出ましょうか」

 まだロゼットに乗られているエヴァンに代わり、ドミニクが玄関に向かう。瞬間、エヴァンの脳内に警報が鳴り響いた。よく分からないが、ドアを開けてはいけない気がする。

 特にドミニクが開けてはいけない気がする。

「待てドミニク、まだ開けるな! そんな格好で出るなーッ!」

 だが彼女の手は、すでにノブにかかっていた。鍵を解除し、無常にもドアは開かれる。

 

 玄関前の廊下に立っていたのは、アルフォンセだった。

 

 アルフォンセは、室内で繰り広げられている光景を目にした瞬間、文字通り凍りついた。

 大きなまなこを丸くし、無言のまま驚きを表している。

(最悪だ……)

 最も居合わせてほしくない人物の登場に、エヴァンは苦痛の呻き声を上げるしかなかった。

「あら、アルフォンセさん、おはようございます」

 なまめかしい肢体を晒したままのドミニクは、丁寧な挨拶をアルフォンセに述べた。アルフォンセは口をぱくぱくさせるが、その口からは返事が出てこない。蓋付きのトレーを両手に抱え、深い海の色をたたえる瞳を、あっちこっちに泳がせている。

 素肌に男物のカットソーだけを着た女。下着姿の湯上りの少女。床に倒れ、背中にもう一人の少女を乗せた上半身裸の男。

 たとえやましいことが何一つなくとも、この状況が好ましく見えるものではないことくらい、エヴァンにでも理解できる。

「ア、アル」

 弁解するように彼女を呼ぶが、アルフォンセは凍りついた表情のまま、ふいとそっぽを向いた。

「どうかしました? エヴァンにご用があったのでは?」

「いえ、その」

 アルフォンセは喉を詰まらせながら、必死に言葉を探している。やがて首を振ると、持っていたトレーをドミニクに渡した。

「よかったら、皆さんで召し上がってください。パンケーキです。お口に合うといいんですが」

「まあ、わざわざ朝食を? ありがとうございます」

「いえ。それじゃあ、失礼します」

 いとまを告げるや否や、アルフォンセはきびすを返して駆け出した。

「アル、待ってくれ!」

 エヴァンは背中にいるロゼットの存在を忘れて飛び起き、裸足のまま廊下に出て、アルフォンセを追いかけた。

「待って、アル、頼むから待ってくれ!」

 アルフォンセの部屋の前を過ぎたあたりで、彼女に追いついた。呼んでも振り向いてくれないアルフォンセの前に出て、壁に手をつき行く手を遮る。

「アル、誤解しないでくれ。あいつらがあんな格好なのは、えっと、なんつーか、つまりいつものことでさ。俺がいても関係ないんだよ、そういう性格なんだ。だから」

「泊めたのね」

 俯いたまま、アルフォンセはぽつりと呟く。そよ風にさえ掻き消されそうな小さな声だ。しかしエヴァンの耳と心臓には、ずきりと突き刺さった。

「そ、それはさ、あいつらずっとキャンピングカーで移動しててさ、たまには部屋でさ、ゆっくり休めればー……なんて思ったわけで」

「そう。わかった」

「ア、アル? 怒らないでくれよ、お願いだ」

「怒ってないわ、平気、大丈夫。どうして私が怒るの?」

 アルフォンセの口調は淡々としていて抑揚がなく、温度が少しも感じられなかった。こんなことは滅多にない。慈母神のようなアルフォンセが、こんな話し方をするなど、怒っているとしか考えられなかった。

「どうしてって、ほら、俺が女の子を三人も部屋に泊めたから……君に黙って」

「あなたが“お友達”を泊めたからって、それを私に教える必要はないでしょう? あなたの部屋なんだから。それに」

 アルフォンセは言葉を切り、深い溜め息を吐いて、続けた。

「私たち、付き合ってるわけじゃないもの」

 棘が突き立つ。激しく脈打つ心臓に、とどめを刺すように。

 壁に当てていた手から力が抜けた。アルフォンセは、エヴァンと壁の間をすり抜け、足早にエレベーターに乗り込んだ。

(付き合ってるわけじゃない。そうだよ。けど、それでも俺たち……)

(想いは一緒だろ?)

 アルフォンセが去ったあとを、虚しく見つめる。非は、誤解を招いた自分にある。恋人でないのも確かだ。それでも、彼女の一言は、エヴァンの心に爪痕を残した。

 陰鬱に溜め息をつき、重たい足で来た道を戻る。部屋のドアの影から、三人娘がこちらを覗いていた。まだ寝起き姿のままだ。

 お前らのせいだぞ。恨みを込め、「さっさと引っ込め」と身振りで示す。

 と、その時。自室の手前、斜向かいにあたる部屋のドアが開き、小柄な人物が姿を見せた。

 マリー=アン・ジェンセンは、またしても上半身裸のエヴァンと、彼の部屋から身を乗り出している三人を交互に見ると、子リスのように自宅に引っ込んだ。

 と、思いきや、手に傘を持って再び現れた。マリーは傘を振りかざし、エヴァンに叩きつける。

「この変態! スケベ! 知らない女の子三人も連れ込むなんて最低!」

「うわッ、やめろマリー! 違う、誤解だ、やめろって! 痛て痛て痛て!」

「エロ助! エロ猿! 大っ嫌い! バカバカバカーーーーーっ!!」

 顔を真っ赤にして、エヴァンをこらしめるマリーの首元では、タンポポのネックレスがちりりと揺れていた。


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