TRACK-2 変異の系譜 4
レジー二は愛車を運転しながら、明朗快活に言葉を綴っていたのだが、横目で隣を確認するや、動かしていた口を一旦止めた。
猿を連想させる風情の相棒が、腐ったシメジに当たって腹を下したかのような面構えになっていたので、これはいかん、と思ったのである。
「お前、理解出来てるか?」
「全然!」
「一秒の迷いもなく元気にムカつく返事をするなッ!」
レジー二の右拳が、風を切ってエヴァンの左頬にめり込む。
「少しは理解しようという姿勢を見せないと殴るぞ」
「この行動が『殴る』でなかったんなら、俺は今まで散々何されてきたんだ」
拳を見舞われた頬をさするエヴァンの口答えを、レジー二は当然のように聞き流した。
昨日ワーズワース大学で、オズモントと話し合ったメメントと変異の関係性を、分かりやすく噛み砕いて説明してやったのだが、案の定この様である。
ただし、オズモントが背負っている事情は、まだ話していない。
「メメントに関する重要な話だというのに、やる気があるのかこの猿め」
「やる気あるよ! あれだろ、ざっくり言うと、なんか強いメメントがいて、そいつに似せてメメントが変化するってんだろ? 蓋を開けたらどんどん小さいやつが出てくる人形みたいに弱くなっていって?」
「ざっくりしすぎだ。あと、僕と先生の推論をお土産民芸品人形に例えるな」
「メメントの変化のホーソクだとか知らねえよ。俺たちは異法者だ。目の前のメメントをぶっ倒す、それだけ!」
「お前に話すと、高尚な考察も何もかも泡となって消える気がする」
やや疲れたようにレジー二は呟くが、エヴァンはまったく意に介していない。
「けど、やっぱり〈パンデミック〉が何かのきっかけになってるわけだよなあ」
むむ、と腕を組むエヴァン。
そのエヴァン本人は、問題の〈パンデミック〉の現場にいたのだが、凍結睡眠のために、事態をまるで把握出来ていない。
「エヴァン、まだ何も思い出せないのか、十年前のことは。少なくとも凍結睡眠を施される前までは、普通に活動していたんだろ。記憶操作されたとしても、何か少しずつでも思い出すことはないのか」
「それがさっぱり。〈パンデミック〉直前までの俺は“今とは違う俺”だったわけだし、ある程度覚えてても、肝心な部分はすっぽり抜けてるからな」
エヴァンの表情がわずかに曇った。猪突猛進で溌剌としたこの相棒は、“昔の自分”の話をする時は、少し思案顔になる。
十年前〈SALUT〉に所属していた頃の彼は、まったく別の人間だった。名前はラグナ・ラルス。今のエヴァンよりも高い細胞装置スペックを持ち、組織の精鋭部隊に所属していたそうだ。
ラグナの記憶は本来の能力と共に、“エヴァン・ファブレル”という人格を上書きされることで封印された。レジー二がエヴァンから聞いた話では、そういうことになる。
エヴァンが自身の真実を知ったのは、去年起きた〈スペル事件〉の時だった。真実を告げたのは、事件の黒幕、エヴァンと同じ部隊に所属していたマキニアン――サイファー・キドナである。
サイファーの手によって、一時的にラグナの人格が戻ったというのだが、レジー二はその現場を見ていない。従って、ラグナ・ラルスというのがどういう人物だったのか、知る術はない。だが、人好きなエヴァンが毛嫌いしている様子を見ると、かなり“厭な”タイプであったと推測できる。
ラグナが凍結睡眠を施され、エヴァン・ファブレルという別人格を上書きされた理由は、〈パンデミック〉を引き起こした〈政府〉保守派の差し金であるという。マキニアンの存在を恐れた保守派は、軍部に命じて〈SALUT〉を襲撃させた。その際、最も恐れていた存在がラグナだったため、作戦実行直前に封印したのだ。
エヴァンがサイファーから聞かされた話では、そういうことになる。
(しかし)
これに関して、レジー二は未だに納得出来ていない。
メメントという人智を超えた異形と戦うために生み出されたマキニアンは、たしかに脅威となる存在であろう。それなのに、なぜラグナだけが封印されたのか。
ラグナも殲滅対象とされるべきではなかったのか。
最も恐れた存在であるならば尚更、復活の可能性を残す凍結睡眠などで対処するのではなく、完全に滅ぼす手段をとるのが常套ではなかろうか。
(なぜ……)
そんなにも恐れるラグナ・ラルスという存在に、復活の余地を与えたのだろう。記憶まで封じ込める必要があったのだろう。
レジー二の疑問に答えてくれる者はただ一人。助手席でのほほんとしている相棒だけだ。
彼の封印された記憶が戻れば、〈パンデミック〉に隠された真実や、メメントの謎を解くヒントを得られようものを。
「何とかして思い出せ。頭を強打すれば、ショックで記憶が戻るかもしれないから、試してやろうか。いや、お前は石頭だから、スカイリニアにでも轢かれた方がよさそうだな」
「それ頭強打どころじゃ済まねーだろーが!」
「往々にしてショック療法が有効な場合がある。どうせお前は轢かれたって死なない」
「待て待て! ちょうど昔の夢を見たばっかりなんだ! こんなこと初めてだぞ。夢だけど、実際にあったことなんだ」
「どんな夢だ」
「忘れた!」
「役立たず!」
返答の予想が出来ていたレジー二の鉄拳は、過たずエヴァンの頬にめり込んだ。
朽ちたビルを見上げるエヴァンの項は、静電気を帯びたようにざわめいている。感知能力の低いエヴァンには、どこに対象が潜んでいるのか、正確な位置は分からない。だが、いる。
まだ陽も高い午後に、異法者としての仕事が舞い込んできて、エヴァンはレジー二とともに、この古き雑居ビルを目指してやってきたのである。
隣に立つレジー二は、手にした蒼い円盤状の機械を眺め、満足げに小さく頷く。
それは彼の愛用する、対メメント専用の武器――クロセストの機械剣〈ブリゼバルトゥ〉である。
これまで彼の剣は、いくつかのパーツに分割してケースに納め、使用時に組み立てる、という手段で取り扱うしかなかった。組み立て、という手間のために、どこへでも持ち運ぶことが出来ず、緊急時に即座に武器を使えないことが、これまでネックになっていた。
だがここ数ヶ月をかけて、彼ら二人の専属武器職人であるアルフォンセの手が加わり、それらの問題は解消されることとなった。
円盤は片手で楽に持てるほどの大きさである。レジー二が小さなスイッチを押すと、円盤から瞬時にして柄と蒼い刀身が出現し、瞬く間に、馴染みの形状への変身を遂げた。
変形器という、貴重なシステムパーツを搭載した賜物である。愛剣を携帯しやすくするのが、レジー二の長年の願望だった。その願いが叶って後、数回メメントを屠ってきたが、レジー二は常に上機嫌であった。小型変形を可能にするとともに、全体の軽量化とスペック向上も施されたため、性能が格段に上がっているのだ。アルフォンセの完璧な仕事ぶりに、レジー二は舌を巻いたものである。
一方で、エヴァンは特別チューンナップされることはない。アルフォンセはステータス管理は可能だが、マキニアンのシステムそのものに手を加えることは出来ないのだ。
それというのも、マキニアンのシステムに触れられるのは、彼らに細胞置換技術を施した施術者のみとされているからだ。もしもエヴァンが、スペックのレベルアップを望むのなら、自分をマキニアンにした施術者を捜し出さねばならない。だがそれは叶わないだろう。十年前の〈パンデミック〉に巻き込まれ、命を落とした可能性が高いからだ。今となっては、生死を確認することも出来ない。
「さて、件の現場だが」
と、レジー二もビルを見上げる。
「今朝八時過ぎ、ビルの解体業者がここに集まったが、主任をはじめとする数人がまず行方不明になった。不審に思った残りの作業員がビル内に捜索に向かうも、彼らも戻らなかった。通報を受けた警察が発見したのは、全作業員の遺体、うち数名は判別がつかないほどに“解体”されていた。まあ、パターンとしてはいつもどおりだな」
レジー二はさして興味もなさそうに肩をすくめた。
「どうだ、何か感じるか?」
「ああ。中にいる。一体だけじゃないな、何体かのそのそしてる。位置は分かんねえけど、上と下、どっちにもいるな」
「結構」
答えるエヴァンに、レジー二は頷く。
「僕は正面から行く。お前は非常階段を昇って上から廻れ」
「OK」
お互いの進路を確認し合うや、二人は直ちに仕事に取り掛かった。レジー二は、土と埃にまみれたガラスドアのぶら下がったエントランスの向こうに消え、エヴァンは建物の外側に設置された非常階段まで走った。
ビルは十階建てで、そう高くはない。一気に階段を駆け上がっても体力に問題はないが、そんなちまちましたことをせずとも上に昇る手段を、エヴァンは備えている。
細胞装置を起動し、右手の指をハンドワイヤーに変える。真っ直ぐ上に伸びたハンドワイヤーは、非常階段の半ばあたりの手すりにかかった。ワイヤーが元に戻ると同時に、エヴァンの身体が引き上げられる。これを二度繰り返し、難なく最上階へ到達した。
階段のすぐ側に、壊れかけた鉄のドアがあった。半開きになっていたドアを押し開け、エヴァンはビルの中に踏み入った。




