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私小説  作者: 松永日枇木
過去
5/10

友人たち

 夏、農家の朝は早い。

利夫は四時半に畑へ出た。父の義孝が腰を痛めて出られなくなったせいもある。それは利夫が友人たちと過ごして帰ってきた、次の日のことだ。朝になると、腰が痛くて立てなくなったという。こんなことは良くあったので、父親を病院に送った後はしばらく一人で切り盛りすることになった。一人欠けただけでも作業の能率は下がるのを、こんな時に実感する。連日の快晴できゅうりはますます実ったし、茄子もその生長を止めてくれるわけではない。ひたすらもくもくと作業する。朝採り野菜は根強い人気があるため、多少値下がりしても出荷しないよりはマシなのだ。午前中は朝食を兼ねた休憩後、桃畑での作業が待っている。最盛期は過ぎたので、学生アルバイトももう来ない。叔母の瑠璃子にでも声をかけて手伝ってもらおうかと考える。毎年やることばかりが増えていくようだ。利夫は重いため息をついた。彼岸を五日過ぎてなお、朝は七時ごろから強い日差しが照りつける。額にはもう、汗がにじんできた。

「おーい、利夫~!」

聞き覚えのある声に、目を細めて見遣る。仄かに立ち上がる草いきれの向こう、白い乗用車から男が手を振っている。おさななじみの唐沢だ。利夫は野菜の畝を飛び越えながら駆け寄った。唐沢は会社員らしいパリッとしたワイシャツ姿で、相変わらず自信ありげに見える。作業着姿の自分が、みすぼらしく思える。

「おう、なんだ、どうした、早いな」

「もう8時になるぜ。時計代わりの小学生が通らないんじゃ、時間なんてわからんか。」

「そうか、もうそんな時間か」

ううん、と唸って腰を伸ばす。その刹那、利夫は相手の車がワックス掛けたてなのを見て取った。

「今晩、空いてるか」

「んん? ああ」

「なんか竹内が話があるってよ。」

唐沢は悪戯っぽい目付きで含み笑いをした。

「話って、なんだ」

「さぁてな。いつものところで九時に集合だ」

じゃな、と笑顔を見せる唐沢に、利夫は軽く嫉妬した。

健康的に日に焼けた小麦色の肌。くっきりした二重瞼。笑うと、顔が黒いせいか歯が真っ白く見える。酒も煙草もやるくせに。時計もオメガのスピードマスターだ。挙げへつらえばきりがない。

(それに引き換え自分は……)

 ――待て。他人と比べたってしょうがない。

 利夫は「朝飯でも食べに戻るか!」と、意味もなく大声を出してみた。


          ※


 いつも集合場所となるのは、実は酒場ではない。たいていファミリーレストランだ。四人が頼むのは、いつもお替り自由のドリンクバーだ。下戸が二人もいるのと、基本車で行動するのが好きな者たちだからこそできたルールだ。ファミレスでもワインやビールぐらいならあるから、酒飲みにもそれほど困りはしない。それよりも、この中で一人暮らしをしている者がいないのが一番の要因だろう。全員長男の跡取り息子とあって、皆独身なのだった。

 約束の九時きっかりにやってきたのは利夫だけだ。遅れて椎名、次いで唐沢、当の竹内は最後にやってきた。竹内裕の家は兼業農家だ。自身は機械工場に勤めている。いつもは竹内のほうが早く来るのだが、今日に限って一番遅かった。

「やあ、ごめん」

はにかんだように笑うのが特徴の男だ。長めの前髪が目元に被さる。小動物のような目に、濃い睫毛が二三度瞬いた。

「おっせえなあ。自分から呼び出しといてなんだよ」

唐沢が椅子に踏ん反り返って鷹揚に笑う。

「う、うん」

竹内の口元は、なにか言いたげに歪んでいる。

「ひろし、とりあえずなんか飲めよ」

肩肘ついた椎名が、艶っぽい横目使いをした。利夫は、自分だけがつんぼ桟敷に置かれている気分になった。他の二人だけが、竹内の何かを知っているのだ。

「は、話って言うか、相談、したいって言うか」

と、竹内は言いながら利夫を見る。

「じれってえなあ。」

「俺から言ってあげよっか。」

いいよそんなの、と目元を薄赤くして、竹内は俯いた。

「け、結婚しようと、思うんだ」

それだけ言うと、竹内の顔がばーっと赤く染まった。うおー、という唸り声が三人から上がる。

「あ、相手は誰だよ、ど、どんなひと?」

思わず利夫もどもりながら訊いた。

「去年の暮れに行ったパブの姉ちゃんだよなあ~」

唐沢が利夫の肩をバンバン叩きながら大袈裟に周りを見回した。

パブの姉ちゃん。それなら利夫も知っている。四人揃って行ったフィリピーナのいる店。純情な竹内は、その中でもごく平凡な顔立ちの女の子に横に座られ、カタコトで話す可愛らしい日本語と初な接待にすっかり舞い上がっていた。そんなところでは太腿の上に手を置いて接客することなど普通のことなのに、彼はいたく感激して、すっかり彼女の虜になってしまったのだ。

「確か東南アジアのガイドブックかなんかを持ってたのは見た気がする。……だから旅行に行きたいのかと思ってた。」

利夫が言うと、竹内は照れ笑いしながら頭をしきりと掻いた。

「やっぱり、向こうの両親に会って挨拶しなきゃなんないって、思って。彼女には永住権を取ってもらうつもりだし、そうそう国に里帰り、なんてさせてあげられるかどうかわかんないしさ。まあ、言葉が良くわかんないから会ってもどうしようかって話なんだけど。」

「まずはおめでとうって言っていいんだな?」

椎名がグラスを掲げ、乾杯を促そうとした。

「むかしっからほんっとのんきだなーいいねえおめでたい奴ぁいいよぅ」

いつのまにか唐沢がビールを飲んでいる。枝豆入りの薄焼きピザが届いた。

「カカ、どうすんのどうすんのどうすんの~? 向こうの国になんか行ってみろ、お前みたいなおとなしいやつもう二度と帰っちゃこれねえかもしれないぜ。まあ、こっちにいたって同じことか。なんてったってあの子の肩には大勢の家族と親戚が乗っかってるんだろ? カカカ」

唐沢が竹内にべったりと張り付くようにして揶揄するのを聞きながら、利夫は思う。

――それでも愛し合ってるんならいいさ。

 唐沢なんか責任を取りたくないからこの歳まで独り身のくせに。

 なにが「カカカ」だよ。大体その笑い方が変だ。完璧人をバカにしている。


 利夫がそんなふうに考えていると、彼はふと向かい側の椎名の視線を感じた。

椎名は利夫の高校からの友人である。時折見つけるこの冷静沈着な眼は、なにをどこまで知っているものかと思わせた。

「なんだよ、椎名」

椎名は深く煙草を吸い込むと、吐き出しながら「いいや」と視線をそらした。


(おめでとう、か。……俺の結婚話はみんなに告げることなく終わった。)

利夫は窓に映る自分の姿を眺めた。

 旅行の前日床屋に行ったから気分的にさっぱりしているが、いつも代わり映えのしない短髪だ。誰それふうにしてくださいなどと頼む気もないが、それでも前髪辺りは長めにしてもらい時には軽く立たせてみたりもする。やや猫毛で、近頃は薄くなってきたようにも思う。華奢ではないが痩せ気味の体は、椎名とも竹内とも違う固さを持っている。肉体労働者特有の筋肉だ。当然のように肌も黒い。だがその色味は、唐沢とも椎名とも違う褐色をしている。薄墨のような黒だ。この肌に似合う服などあるか。椎名が「青系と白がいい」というので選んでみるが、何とはなしに無難な気がする。その無難さを増幅させるかのようにポロシャツなどを着てしまう。竹内もいつも同じようなポロシャツだが、この男が着ると少年のような魅力が殊更際立つ。椎名ならそこにシルバーのアクセサリーなどをセンスよく身につける術を知っている。唐沢にいたっては同じ服を着ているとは思わせないぐらい大胆な着こなしをすることだろう。彼らは学生の頃からそうだった。それに引き換え自分は。

 ――地味で、控えめで、影が薄くて。


 利夫の脳裏に、ある女の姿が浮かび上がった。車の助手席に座る紀子の姿。

(――地味で、控えめで、影が薄くて。

まったく自分たちはよく似た者同士だった。だからよかったはずなのに。欲なんか、出してなかったのに。)

小突かれて照れ笑いしている竹内の顔が、幸福に輝いているように見える。

(そうか。そうだ。話は現実なんだ。本気なんだな。)

「なあ本気なのかよぉ」

唐沢がなおも言い続ける。

「いい加減にしろよ。本気だからこうして発表したんだろ。」

利夫がきつく言い放つと、唐沢が眼を大きく見開き友人たちを交互に見た。

「オレだってさあ心配してるわけよ、わかる? いろんなとこ行っていろんな話聞くからさ、仕送りの金額が大きすぎて借金で首が回んなくなったとか保険金がっつり掛けられた挙句ぽっこり死んじゃった話とかたくさんあるわけだよよく聞くだろ?」

「お前の言い方を聞いてると、心配なんかよりからかって遊んでるように聞こえる。」

「おあいにくだな。こういう重大なことに関しては、軽口叩いてるぐらいに言ったほうがいいんだよ。あんまりシビアに言い過ぎちゃかわいそうだろ?」

「お前が言うのは、竹内の決心を鈍らせるようなことばかりじゃないか。親がどうの親戚がどうのって。余計なお世話だ聞き苦しい!」

なんだと、と、唐沢が顎を掬い上げるようにしてガンを飛ばす。竹内がオロオロと「やめろよ」と制した。それを唐沢は鼻先でせせら笑うようにして、竹内は昔っから平和主義者だったもんな、と毒づいた。

「面倒な争いごとは大っ嫌い。なのになんだって面倒なことが起こりそうな相手と結婚したくなったのかねえ。利夫、おまえだってそこんとこ知りたいだろうによ。」

そう言って意味深長な笑いをした。

「何が言いたい」

「結婚できないヤツほど結婚したいもんなんだろ」

利夫は思わずかっとなった。



 気づくと唐沢を殴りつけていた。

 床にうずくまっている唐沢。

 その傍らにしゃがんでいる竹内。

 利夫の身体を押さえつけている椎名。

遠巻きに見ている客たち。

全てがドラマの一場面のように見えていた。



「……おい、大丈夫か」

利夫は、自分の口が勝手にものを言うのを、他人事のように感じた。

“大事になったら大変だ”

瞬間的にそう思った。自分のしでかしたことの重大さを、ほとんどすぐ認識したが、かっとなると身体が勝手に動いてしまうのを、止められないのだ。

「悪い、すまなかった。」

口ではそう言っているが、もう一人の自分は(俺は悪くない)と言っているのが聞こえる。

(これが、俺が天涯孤独の身だったら、こんなヤツぶちのめしたっていいくらいなのに)

唐沢は、周囲の好奇の視線をなだめるかのように手を振って見せた。店長らしき男が寄って来て、小声で尋ねる。大丈夫ですか、どうします?

「や、悪ふざけが過ぎたようで、とんだお騒がせを。」

どうもどうも、と、いつもの唐沢らしくひょうきんな愛想を振りまいて、とりあえず四人して店を後にした。


 駐車場に出ると、月が皓々と辺りを照らしていた。微かに吹く風が、秋の気配をわずかに含ませて冷たい。

「わお、すげえ月。武井、月の光を浴びすぎたか?」

 沈黙を気遣ってか、椎名が冗談めかして言う。竹内がぴくりと弾かれたように椎名を見た。それを見る利夫の顔が強張る。自分が日本刀にでもなったかの心持さえするのだった実際、他の三人の目にはそう映っていた。冷たい光を放つ刀身を、その細い眼の奥に隠し持っているのを知っている。

 唐沢は口に残った血だまりを吐くと、地べたを蹴って擦りつけた。

「オレ今日は飲みに行こうと思って車持ってきてねえんだわ。竹内、おまえ駅前まで乗っけてくれや」

「う、うん、いいけど、……」

いつもなら、竹内は椎名と、そして唐沢は利夫と一緒に帰ることが多い。家同士が近いからだ。

「あ、俺は武井のに乗るから。」

椎名が肩を叩いて車に促す。その感触が、利夫には謝罪を促しているように感じた。

「唐沢……! 悪かった、この通りだ」

深々と頭を下げる。頭痛がしてきた。実際利夫の額には、青筋が数本立っていた。

「いいって。もういいってから。」

言い方はいつもの気前のいい頼もしい様子だが、視線は一度も利夫には向けられなかった。

「じゃ、じゃあ、また、今度ね。」

竹内が困り顔をしながら幾度も頭を下げ、無表情になった唐沢を乗せたワンボックスカーは国道を走り去った。

「俺たちも帰るか。……おい。武井?」

 コミットチャージの合計が、物理メモリを上回っているんだよ。いつハングアップするかわかんないんだよ。

なにがいけないのかわかんないんだよ。

「なんでそんなにいらいらしてる」

――わかってる、だから今、気をそらしているんじゃないか。

――いらいらしてるんじゃない、不安なんだ。

 黙ったままの利夫に、椎名は僅かにためらったのち、背中に手を置いた。静かにさすった。

 く、……くく……

 小さく低く、啜り泣きが洩れた。

「なあに、大人同士のケンカだ、よくあることだよ。お前はちゃんと謝ったじゃないか」

「そんなんじゃないよ、……」

 利夫の持つ不安はそんなことではない。心配なのは、人を殴ったことを親に知られることだ。“よそ様に迷惑をかけてはならない”とはどこの家庭でも言うことだが、利夫の中でそれはかなり重大なことだった。自分でもそれは重々承知していたことだ。それなのに、ガマンできない時がある。そんな自分の衝動性も、不安の一つだった。

「……免許証は持ってきてるんだ。酒もまだ飲んでない。いっそ俺が運転しようか、しばらく。」

「――え? ……」

「ドライブしよう、夜のドライブ。」



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