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私小説  作者: 松永日枇木
過去
3/10

出会い

 あれは、暮れも押し迫った頃のことだった。

「利夫ちゃん、うちにいらっしゃい」

 呼ばれて叔父の家に行ったのは、叔母の瑠璃子にそう言われると、なぜだか断れないからだ。着いた早々、写真を撮るという。

「フィルムが余っているから」

等と言い、取るとすぐさま叔父の郷尾正彦が現像を出しに行った。

「それとね、身上書を書いて欲しいの」

 は? なにそれ? 言いつつすぐに合点がいった。

《見合いか……》

 

 似合いのいい娘さんがいる、是非紹介したいから。

 会うだけでもいいじゃないの、あなたに決まった人がいないなら。


 そんなふうに言われて、まあどっちでもいいけど、などと曖昧に答えた。まだ若いから焦ることはない、と言ってくれる人もいる。だが、家業が農業である以上、三十二という年齢は決して若くはなかった。父親も回復したとはいえ、一度倒れている。実は弟がひとりいるのだが、家業を手伝うのを嫌がって都会に出て行ってしまった。今は母親にしか連絡を取っていないらしい。

 嫁さん探しもそろそろ本格的にしないとな。友人たちとも、そんな話をしたばかりだった。しかも、クリスマスのファミリーレストランで、だ。

《タイムリーな話だな》

 利夫にとってはそれでも他人事のような気さえしていたが、叔母の輝くばかりの笑顔に圧倒されて、差し出された便箋にペンを走らせた。二度も書き損じて三度目にようやく書き上げた。一息ついたところで、相手のことを何一つ知らされていないことに気づいた。

「で、どんな人なの」

 瑠璃子は、ああ、と顔をほころばせた。

「落ち着いてて、控えめかしら。おとなしいほうかもしれないわね。今まで誰の手にも触れられなかった白百合のような人。あなたより、ちょっと年上になるけど、そんなこと、気にするような人じゃないわよねえ、利夫ちゃん」

 そんなふうに言われて、また苦笑いした。余りものには福がある、などという逃げ口上が出なかっただけでもよしとしようと思えた。

 以前知り合いの紹介で見合いをしたときは、相手から「自分はまだ若くて経験がないから無理だ」と断られた。自分では結婚を意識しながら付き合った女性も、少なからずいる。ゆくゆくは自分の店を持ちたいというフラワーデザイナーの卵だった。彼女に影響され、花を栽培しようとしたことさえある。職種の違いは互いに刺激にもなったが、結局相手が東京に行ってしまい、遠距離恋愛になったことで終止符を打った。告白して付き合い始めたこともあったが、相手に合わせて無理をしすぎた。また向こうから告白してきて付き合いだしたこともあるが、その女性とは趣味が悉く違った。その都度学習してきたつもりだが、その実何もわからなかった。――以前、そんな打ち明け話を叔母にしてしまったのだが、そのときも瑠璃子は「あなたはちっとも悪くない」と言ってくれたのが救いではあった。

《昔から親身になってくれた人の言うことだ。今回はひとつ言うことを聞いたほうがいいかもしれない》

 そう考え、それ以上尋ねるのをやめた。

《年上の姉さん女房か。それもいいかもしれない。》

 親の意見も合い、話は叔母の手によって進められ、正月早々見合いをすることになったのだ。


 この日のためにとスーツを新調した。友人の中でも比較的センスのいい椎名に頼んで見立ててもらったものだ。彼はデパートのブランドショップに勤めている。社員割引にしてやるよ、と言ってくれたが、それでも高価なものだった。黒に近い濃紺のスーツにブルーのシャツ、淡いクリーム色のネクタイと、自分ながら鏡に映った姿は颯爽として見えた。

「はじめまして」

 母親と共にやってきたその女性は、緊張してか声が小さかった。場所は郷尾家のリビングだ。瑠璃子が縁起がいいと言って桜茶と、品のいい和菓子を用意していた。利夫は両脇にいる自分の両親に向かって、軽く頷いた。同じように緊張しながら「はじめまして」と返した。事前に相手の身上書を読んでいたが、顔立ちと年齢に嬉しいギャップがあった。思ったより若く見えたのだ。

 齋藤紀子、自分より三つ年上の三十五歳。同年齢の知り合いを思い浮かべてみる。……女性の年齢は、よくわからない、と言うのが本音だ。綺麗に施された化粧。淡いピンクのカーディガン。柔らかそうな髪が、肩の先でカールしている。美人、というより雰囲気が綺麗な人、と言ったほうが妥当だろうか。

 叔母がしきりに「紀子さんてこんなに綺麗で素敵なのにね、って、いつも言ってたのよね、ねえお父さん」などと言う。確かに、こんな歳まで独りだなんて、彼氏は何をしていたんだろう。おとなしすぎるのかな。そんなことを思ったりした。そしてお決まりの、「そろそろ若い人同士で……」と言う声に、二人でドライブをした。緊張した。

 お茶をしている間、彼女は利夫をじっと見つめていた。自分のほうが年上、ということもあって余裕が出てきたのだろうか、などと、利夫は考えてみる。ならば自分も年下らしく、少し幼く振舞ったほうが相手が安心するかもしれない。いや。そのほうが、自分が気が楽だ。前のように、自分がリードしなければと焦るよりずっといい。

「――なんだか今日は、あまり緊張しなかったように思います。」

 紀子はテーブルの上に両手を組んで、その上に顎を乗せながら、ゆったりとした口調で言った。そうすると、自然と上目遣いになる。

《好感触だな》

と、小さくガッツポーズを取った。

 車の中でも、彼女の膝は自分のほうを向いていたことを思い出す。お茶代も、自分から割り勘にさせて欲しいと言ってきた。見合いの日だ、男が払うのが妥当なのにそんなことを言ってくれるなんて。大人の付き合いって、こんな感じでいいのかな。次に繋げていいのだろうか。一度会ったきりで結果を決め付けてしまうほど、自分は学習能力がないわけではないはずだ。……

「次のお休みは、いつですか」

 帰り道すぐに、デートを約束をするべく尋ねた。すると、もうすぐいつでも休みになります、と言う。

「会社、倒産しちゃったんです。今はその残務処理中。――隠すつもりはなかったんです、ごめんなさい。」

 そうか。ならば聞いておかねばならないことがある。

「あの……、仕事がなくなっちゃうから、結婚でもしようかなって気持ちになったんですか?」

 見合いする気になった理由も大事だと考え、それでも気を遣って優しく尋ねたつもりだ。将来に対する不安から安易に結婚されたのでは、こちらも困る。嫌なことがあればすぐに他に目移りするようでは、生涯の伴侶に選べないというものだ。

「それも、ありますね……」

 それを聞いて、思わず落胆のため息をついてしまった。すると紀子は、意外なほど凛とした声でこう言ったのだ。

「出会い方はどうであれ、いい人に出会えたらいいな、そう思ってお見合いすることに決めました。いけませんか?」

「そ、そうですね。」

 それは自分も同じだ。少しでも現状からよくなりたい。今いるところから新しい扉を開けたい。そんな気持ちで見合いに臨んだ。きっかけはどうであれ、変わることを恐れないという決心は、大切にしたいと思えた。

「じゃ、今度の日曜に。」

「あさってですけど……」

「ええ、明後日会いましょう」

「お忙しくないですか」

「今の時期は剪定ぐらいで、後は自分のペースで仕事できるのが農業のいいところですから。」

 紀子は戸惑ったように目を泳がせた。

「電話していいですか。携帯のアドレス、交換しましょう。」

 その後紀子を自宅まで送った。彼女は長いこと利夫の車を見送っていた。


 思った以上に生真面目なタイプに違いない、と利夫は考えた。きっと人見知りが激しくて、男となんて話すことも少なかった人かもしれない。そんな人が、自分のことは緊張しなかったと言ってくれた。それは純粋に好意を抱いてくれたからではないか。

《あなただけは心を許すことが出来そうだ》

と告白されたような気持ちになって、利夫はベッドの上で歓喜にのた打ち回った。同時に、上目遣いながらも落ち着いた大人の女を感じさせるまなざしや、若い女にはない柔らかさを思わせるくちびるが、寄せては返す波のように思い出される。自分勝手な妄想かと思うが、それだけではない。なぜなら自宅に帰ってすぐ、瑠璃子から電話があったからだ。

「紀子さん、とても喜んでたわよ。これからもよろしくお願いしますって、電話があったもの。彼女、あなたに一目惚れしたのよ、そうに決まってる。利夫ちゃん、よくやったわ、偉いわ。」

《一目ぼれ……一目惚れか!》

 興奮気味にしゃべる叔母の声は、途中からどうでもよくなった。一目ぼれ、と言う言葉に酔いしれた。

 久しぶりに自慰をする。したたかに放出して、満足した。自分はまだまだいける、と、叫びだしたい気分だった。


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