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私小説  作者: 松永日枇木
過去
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プロローグ

 八月十三日・月曜日。

 避暑地でさえも、蝉の声は激しかった。今年は格別暑いのだと、地元の人も言っていた。雑貨店で食糧をひとしきり買い込んで、車に戻る。しばらく走らせてからようやく車内は涼しくなった。

「あいつら、魚釣れたかな」

 声に出して独り言を言うのは、利夫の癖だ。

 緑が深くなるごとに、森の冷気が増してくる。松やヒノキの匂いが、清涼感を盛りあげる。やがて車のタイヤは、アスファルトから砂利道へと変わったことを告げた。

 来てよかったのかな……。呟きが、また漏れる。

「来てよかったんだ。」

と、今度ははっきりと声に出して言ってみた。踏み込むアクセルに力がこもる。


 男四人で集まって、日を合わせて休暇を取ってはアウトドアを楽しむようになってから、もう何年経ったことだろう。このメンバーは高校二年の組変えから変わらない。時折、彼女が出来て参加しない者が出ることもあるが、誰一人欠けることなく、みな三十を越えてしまった。同性同士でつるんでいるのがよくない、と、わかってはいる。だが、気は楽だ。見栄や体裁で取り繕う必要もない。仲間同士でいるほうが、自然体でいられる。逆に、四人で行動しているから得られる特典もある。同じ趣味を持つ女性グループと親しくなる機会も、ないわけでもないのだ。それでもこうしてもとの木阿弥になってしまうのは、なせなのか。幸せを牽制しあったところでなんにもなりはしない、と利夫は思っているのだが。

「なんだよ、誰もいないなんて」

 コテージの庭にテーブルセットを作ったまではいいが、それきりだ。人を使いに出しておいて、全員で沢に下りていったのだろうと考える。一人黙々と食事の用意をする。利夫自身が料理が得意で、そのことを自慢したい時期もあって一生懸命作っていたのだが、だんだんと、ただ押し付けられるだけになった気がしている。仕方ない、と思う。その気持ちのなかには、二通りの感情がある。料理を作れるのは自分しかいない、という自負と、こんな状態を作り出したのは自分なのだという諦念である。

 ――遠くの林から、話し声が聞こえてくる。差し込む陽光のせいもあって、利夫は眩しさにしかめっ面をしながらその方角を見遣った。友人達の中でも幼稚園時代からの付き合いのある唐沢賢司が、大声で呼びかけてきた。

「わっりぃわりぃ! 魚がつれなくってさあ~!」

いかにもスポーツマンらしいがっしりした体格の、日焼けした肌を晒して腕を振る姿は、俄然女にもてそうに見える。だがこの男にも彼女はいない。もっとも、特定の彼女がいない、というだけの話のようだ。

「で? 結局どうする。魚はなしか?」

「明日の朝早く狙おうよ」

と、もう眠そうな顔をしているのは竹内裕で、中学から一緒のクラスになった男だ。この中で一番おっとりした性格をしている。貴公子然とした美青年だが、いかんせん引っ込み思案の臆病者だ。

「そのほうがいいな。でなければ、夜。今の時間、石の下に潜って出てこないさ」

 椎名好章はそう言いながら買い物袋をひっくり返し、ひとつひとつ丹念に見ている。消費期限を確認しているのだ。

「おっまえさあ、そんなだからカノジョできないんだぜ~?」

 唐沢のそんな悪口に、動じる椎名ではない。

「気をつけるに越したことはない。コックの腕がよくっても、素材を見る眼が悪くちゃいけない。」

と、ちくりと棘を刺しながら、悪びれる様子もない。多少インテリくさいが理知的な面差しで、これも女性にもてなくもなさそうなのに、浮いた噂ひとつなかった。

《なんでこいつら独身なのかなあ……》

 自分を棚に上げて、そんなことを思ってみたりもする。

 四人揃って夜の街に繰り出して、ナンパというものをしたこともある。如才ない振る舞いのできる椎名や、いかにも女性の扱いに慣れていそうな雰囲気の唐沢などにつられて女の子が寄っては来るが、恥ずかしがりやの竹内は赤くなるばかりで使い物にならない。話が出来ないだけではなく、すぐ逃げ出してしまうのだ。利夫も、自分から女性に話しかけるほうではない。だが、向こうから話しかけられる率が高いという点では自分のほうが女性受けはよいのではないか、などと、慰め程度に思ってみたりする。だが、メールアドレスの交換まで漕ぎついても次に繋げることが出来ないことが多かった。唐沢などは陰で上手く出し抜くこともあったようだが、そうした軽い出会いは長く続かない、と、ぼやくのを利夫は酒の席で一度ならず聞いたことがある。

「武井が来てくれるとは、正直思ってなかった」

 利夫だけに聞こえるように、椎名は低く呟いた。

「なぜ?」

 なぜでも、と語尾を濁すその口調から、利夫には容易に想像できる。


 利夫は今年に入ってすぐ、見合いをした。父親の弟夫婦に紹介され、結婚を前提に付き合いだした。だが、破談になった。見合いはこれが初めてではなく、女性と付き合うのもそこそこあったから、自分では慎重に物事を進めようとしたつもりだ。しかし、ご破算になった。それはもういい。だが、そこになにか釈然としないものが胸のうちにあって、利夫はいまだに吹っ切れていはいない。時折、その感情がふつふつと沸き起こり、利夫の心臓を揺らす。

 なんで。なんで。

「なんで、そんなことを言う?」

 思わず声が刺々しくなる。椎名は利夫の眼を見据えてから、その視線の糸を緩めるように細めて微苦笑した。

「何も訊いてないよ。俺はただ、またお前の上手い料理が食いたいと言いたいだけさ。」

 食い気だけかよ、と、茶化してみる。すると唐沢が「ひゅーひゅーおふたりさん、あっついねえ」と野次を飛ばした。ばかじゃねえ? なに作んの? 言葉が飛び交うと、場の雰囲気がまた明るく戻った。

 利夫はもう一度一人ごちた。

「……来てよかったんだ……」



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