夜の星空
僕の世界は、想像力に頼って、メッセージ性のある作品を届けたいと思っています。この作品はふと書いてみようと思って、僕が大学一年の時に10行程度の日記に書いたものを今日加筆修正して書いてみました。
誰か一人でも共感できるものがあったら嬉しい。それが教師としてまっとうできる仕事。(教師じゃないけれども)
短い文章の中でちりばめた僕の想いがどうかたくさんの方に届きますように。
私はその時、空を見ていた。夕暮れの、少し端のかけた月がいつの間にか目の前を通り過ぎようとしている。
それだけの時間を、この小さな公園で、こうして過ごしていたことに、一切の無駄を感じない。だって、何が無駄かなどと決めるのは、決して他人などではないのだから。
これで今日も終わりだ、などと心の内で呟くのが私の日課になっていた。小さな鉄棒、ぼろぼろの柱が立っている砂場。そして子供たちの遊びの主役である滑り台。こんな小さな公園でも、こうして想い出がいっぱいつまっている。
ため息をつくのは別に疲れているわけではない。そうすることで私は、今日の反省を明日へ持ちこさないようにしているだけだ。そして、明日のために、家で待っている妻とおいしい夕食をとってぐっすり眠る。何のことはない、それが私の一日。
2006年、冬。私は教壇の上で理科の教科書を広げていた。小学校5年生の担任として、新米の私が上手く指導できるのだろうかと、何度悩んだことか。けれどもこうして生徒たちの注目を浴びている時間は、何より私にとって喜びというよりも誇りというべきか、特にこれという言葉が見当たらないが、そういった感情はきっと誰かしら分かってくれるのではないだろうか。
午前中の授業。一時限目の国語は、私は好きな教科ではなかったが、教師に好き嫌いは許されない。嫌いな授業はなんとも長く感じられたが、二時限目の理科は大好きだ。そして今日は午前中で授業が終わりだから嬉しい。
「先生。トイレにいってもいいですか?」
私が教科書を読み始めようとした時に、生徒の一人がそう言った。
「高橋君、たったいま休み時間が終わったばかりだろう。それに先生がもし駄目と言ったらどうするんだい」
高橋君はまさか質問されようとは思わなかったのだろう。もう教室のドアへ向かおうとしていた時だったが、先生の質問を真剣に考え始めた。これだから小学生はかわいくて仕方がないのだ。
「えっと……どうしよう」
「次から私の授業中にトイレに行きたくなった時は、〝先生、トイレに行ってきます。〝と言おうな」
高橋君は元気に「はーい」と、答えながら、廊下を走っていく。声の遠くなっていく方向へ耳をすませながら教科書を開いてみたら、その向こうで誰かが「廊下を走らない!」と叱っている声が聞こえた。
くすりと笑い声を押し殺しながら生徒たちへと向かう。
「さて教科書を読む前に、先週お知らせした通り、今日は午前中で授業は終わりです。このクラスの中で、夕方のプラネタリウム見学に参加する生徒は誰かいますか?」
はい、と手をあげた生徒は6人。みんな夕方のイベントを心待ちにしているようで、その表情だけでもわくわくしているのがすぐに分かる程だ。
今日のプラネタリウム見学は、希望者のみの参加が決定していた。それは夕方5時からの上映しか予約できなかったのと、それに伴い、せっかくならばと親御様の同伴も決定したからだった。今のご時世でそんな時間に親も参加しようなどという声は少ないかと思ったが、私はそれでもいいと思っている。
何より生徒たちが行きたいと言うことが、何より私にとって嬉しいことだった。
「今朝のプリントに集合時間と場所を記載してあるので、帰ったら忘れずにお父さん、お母さんに渡すようにしてください」
前置きはこのくらいでいいだろう、私は生き生きと今日の授業を始めた。
「今日は冬の星についての授業です」
「あっ、どうもお疲れ様です。松井先生」
私は午前中の授業を全て終えて、職員室で一杯の紅茶をすすっていた。
「ああ、瀬戸先生。どうですか、授業の様子は。もう慣れましたか?」
松井先生は私と同じ、5年生の担任で教育主任でもある。私の提案であるプラネタリウム見学を快く賛同してくださった方で、今年でもう57歳にもなる超ベテランの方だ。
そんな方に、慣れましたか、などと聞かれて、はいと答えられるほど私は図太くない。
「ははは、まだ一年目ですので、さすがに難しいです。けれども子供たちの元気な姿は気にいっています」
こんな曖昧な返事でもよかったのだろうか、と一瞬機嫌を伺うような真似をしてしまったが、松井先生はにこりとほほ笑んでくれた。
「一年目にしてさっそくこういった参加型のイベントを立ち上げられる君の手腕には期待しているよ。頑張ってくれ」
ポンと背中を叩かれて、私は上機嫌になった。あと、数時間もすれば、私の大好きな空間にいるのだ。星の見えるあの場所へ――。
「はい、みなさんいますか?」
私の隣で、三組の担任であって可愛いと評判のある、柴田先生が参加者の点呼をしている。
最終確認のために、私は今一度プラネタリウムの館長へと電話を一本入れてきたところだ。
「なあ先生、プラネタリウムってでっかいの?」
いつも好奇心旺盛の甲斐君が私の傍で叫ぶように聞く。それにつられて、今日という日が待ち切れなかった生徒が数名私のそばへと寄ってきた。
「瀬戸先生、プラネタリウムって、暗いんでしょ? 大丈夫かなあ」
怖がりの坂谷さんが少し不安そうに聞いてくるが、私が「大丈夫だよ、先生がついているもの」と調子よく行ってみたところ、その表情に笑顔が戻ったので私はよしとした。
「それではこれよりプラネタリウムへ向かいます」
柴田先生の掛け声とともに、私たち41名はプラネタリウムへと向かった。
最初に生徒たちを感動に巻きこんだのは、その大きさと、なんともシュールな形だった。半円形のドーム状の建物は、アパートやマンション、一軒家に住んでいる子供たちにとって珍しいもので、その光景に僕も子供のころを思い出してしまった。
初めて目にしたら、何故かつい感動してしまう、そういった感情だ。
そんな感傷に浸っている間に、気づけば皆が入口へと移動していた。あわててかけ出そうとしている私を見ている松井先生。いやはやお恥ずかしいと、頭をかき、苦笑いをしながら近づいていく。
「瀬戸先生は、やっぱり子供たちが大好きなのですね」
松井先生の笑顔は、私にとって何か特別な暖かさを感じさせる。
「どうしてそう思うのでしょうか」
怖いもの知らずというわけではないが、きょとんとした目つきだったに違いない。この時の私は、純粋に子供のような表情だったのかも知れない。子供たちと一緒にはしゃぎまわりたい。おにぎりの具に興奮するくらいの、幼稚な態度も、きちんと時と場所は選んでいるつもりだったが、松井先生は全てを見透かした目で言うのだ。
「あなたが一番、子供の気持ちを理解しているからでしょうね」
館内はまだ暗くなかった。円形に、そして段になって並んでいる大きな椅子に向かって走り出す生徒たち。今日は私たちの貸し切りなのだ。好きな椅子に座っていいと言ったばかりに、柴田先生がここで叫ぶことになった。
「危ないから走らない!」
保護者は皆、自分の子供がどこへ座っているのかを確認すると、仲の良いもの同士で近所話でもしながら、また別の席へと腰をおろす。
真ん中に設置されている、大きな立体映写機。これを初めて見た時の私の興奮といったら、手が届かない小さな体で、ギリギリのところまでかけつけたくらいだ。
案の定、生徒たちもその大きな機械がなんなのかという目で見上げている。
「さて、そろそろでしょうか」
松井先生の言った通り、上映のブザーが鳴り響く。
館内が徐々に暗くなり、女の子たちが少しばかり悲鳴をあげる。きっとこの暗がりのなかで、男の子たちは「俺は怖くなんかないぜ」と息巻いているに違いない。そう思っている私をよそに、館長の声が鳴り響いた。
「それではこれより、冬の星たち。満天の夜空をお届けいたします」
「きれいだったね!」
伸びをしながらプラネタリウムの扉をくぐってでていく私の傍で、女の子たちが感動しながらでてきた。
「俺さ、俺さ、あの星。よく見るやつ。えっと……なんだっけ、あれ」
「オリオン座?」
「そうそれ! 俺あれ好き!」
こういった会話は、大人たちの硬い顔を、自然に笑顔へと変えてくれる。
これだけでも、私は今日子供たちをここへ連れてきたことに喜びを感じていた。
「瀬戸先生! 今日授業でやったやつがあったよ」
今井さんが私に向かって輝く目でそう言ってくれた。よかった。私の授業をよく聞いてくれていたんだと、また別の意味でも嬉しかった。
プラネタリウムの館内にある、渡り廊下に展示されている衛星の写真の数々に、生徒たちが集まっているなか、私はゆっくりと松井先生のところへと向かった。
「松井先生、今日は私の提案を採用していただき、誠にありがとうございます」
これでもかしこまったつもりだが、松井先生の方は特にいつもとかわりなく「いいえ。プラネタリウムは子供たちにとって、本当にいい経験になったことでしょう。こちらこそありがとうございました」
二人はゆっくりとプラネタリウムをでていく。そこで私は、言葉もでない程の感動を手に入れた。
「うわ、あー」
私たちの頭上に広がる満天の星空。一番星、二番星。数えていったあのころが懐かしい。
足をとめた私の背中から、歓声とともに子供たちも飛び出してきた。
「夜のお星様だ!」
やんちゃな高橋君が、スロープから飛び降りて危うく転びそうになっていたが、それでも夜の星空への好奇心が止まらない。
みんなその場に立ち止まって星を見上げていた。
「あっ、さっきプラネタリウムで見たやつだ」
「え、どれ?」
「ほらあれ!」
子供たちが顔をくっつけながらも空へと指差してきれいな星を見つける。
そんな子供たちの興奮の向こうから、松井先生がみなへ呼びかける。
「さあ、夜の空を見上げるのはきちんと授業を終えてからにしましょう」
その呼び声を合図に、柴田先生が苦労しながら生徒をきちんと並ばせる。その後方に保護者がひそひそ声でまだ話を続けていたが、なんら気にはならない。私を含めて三人の先生が前へ並ぶ。
「プラネタリウム、楽しかった人」
松井先生が生徒たちに呼びかける。
瞬間、爆発したかのように元気のある「はい」が私の耳に届いた。嬉しくないわけがない。
「それでは、今回プラネタリウム見学を実現してくれた瀬戸先生から一言」
松井先生がすっと後ろにさがる。そして私が、ゆっくりと子供たちの前へとでた。
深呼吸をして、一瞬頭上を見上げた。少し寒くなってきたが、こんなもの気にもならないくらいに心は温かい。
「みなさん、プラネタリウムを見学して、よりたくさん星のことについて知ることができたと思います。お気に入りの星や星座をみつけることはできましたか?」
ここでまた元気な「はい」が入るが、すぐに私は話を続けた。
「夜になると、太陽の代わりにきれいな月と一緒にあらわれる星ですが、星なんか嫌いだって言う子は一人もいないと思います」
私は、ここへ来る前に、これだけは言いたいと決めていた。
私たちの頭上にきらめく夜の星空が、この日子供たちに何を与えたのかは私は知らない。
けれども、少なくとも私が小さな時、このきれいに光る星達は私を優しく見守っていてくれたに違いない。
「ですが、私たちのいるこの地球だって、宇宙から見れば同じ星なのです。夜に輝く星達がずっときれいでいてほしいと思うみんなも、同じきれいな星に住んでいることを、忘れないでください」
私たちの頭上では、今もきれいな星空が光る。
三時間程度で書いたものなので、完成度は低いかもしれません。けれどこの作品にかけた想いがどうかたくさんの方に届きますように。
ぜひこの短編を呼んで何か思ったことがあるかたは感想、評価及び私のもう一方のファンタジー連載作品「Phoenix~ポイニクス」(連載中)の方も一読お願いいたします。