鳥の勇者
よろしくお願いします。
魔王が降臨し、世界が震撼しようとも多くの人々の生活は変わらない。
田畑を耕し、ヤギや牛の乳を搾り、時に害獣と稀に魔獣と知恵を絞って闘って、怪我をしたり、しなかったり。
子を育て、親をいたわり、順番に天に召されて土に還る。
魔王がこの世に現れてから随分と時が経つが、辺境の小さな村、アルヴェの日常は、いつも穏やかだ。
川のせせらぎは歌となり、風が森の木々を揺らせば、おしゃべりな小枝たちが囁きを響かせる。ゆったりとした時間が流れ、何もないことが一番の娯楽。そんな朗らかな村に住む若者、オーランとミトラは、数日後にささやかな結婚式を控えていた。
鍛冶屋のオーランは、二十歳を少し過ぎたばかりの青年で、腕は確かだが言葉は不器用。表情も少しばかり変化に乏しく、人より一拍遅れてから反応するような性格をしていてた。気は優しくて力持ち。そんな言葉を地で行くような青年が、婚約者であるミトラに結婚の贈り物として選んだのは、木彫りの小鳥だった。
この地方では、婚姻の儀で夫となる者から妻となる者へ何か一つ、手作りの木彫り細工を贈る風習がある。
木の匙なら、一生飢えさせないという誓い。
木の鳥なら、どこに行こうと必ず帰ってくるという誓い。
木の盾なら、あらゆる災いから守るという誓い。
木の櫛なら、一生を共に添い遂げるという誓い。
オーランがなぜ、鳥の細工を選んだのか。
鍛冶屋というのは、村に引きこもって職人として一生を終わる……なんてことはない。
ひと度、争いが起これば、領主の騎士が命令書を持ってやってきて、「来月からの遠征に同行せよ」「城の武器庫の点検に向かえ」と、問答無用で連れて行かれる。軍隊と共に泥まみれで戦場を渡り歩き、折れた剣の修理、歪んだ鎧の修正、数万発もの矢尻の大量生産、馬の蹄鉄の打ち替えと、休む間もなく働かされるのだ。
争いがなくとも平穏はない。定期的に領主の居城や大都市に呼び出され、跳ね橋の鎖や鉄格子の門の修理、数千人分の武具の点検や調整のために、数ヶ月も城に泊まり込みで作業を命じられることもある。
だが、一番過酷なのは、国や教会が石造りの頑丈な橋や巨大な大聖堂、砦などの大型建築を始めるときだった。
戦場であれば、貴重な技術者である鍛冶屋は殺されるより捕縛され、生き長らえることが多い。しかし、大建築の現場は違う。建物が大きくなればなるほど不慮の事故の危険は跳ね上がり、そして、故郷は果てしなく遠くなる。
領地を跨いで集められた周辺の鍛冶屋たちは、石材を固定するための巨大な鉄の鎹や建築工具、足場を固定する金具などを、現場の仮設工房でひたすら叩き続ける。彼らが故郷に帰ることが許されるのは、その巨大な建造物が完成したときだけだ。
オーランは、鳥の細工を選んだ。
いつかの未来、たとえ離れ離れになることがあったとしても。
自分が帰る場所はミトラの元しかない。
どこへ行こうと、どこに居ようと、必ずミトラの元に帰ってくる。それは誓いであり、願いでもあった。
「まだ全然鳥じゃないけど……式までには、もっとマシになるように頑張るから」
オーランが傍らに座るミトラに向け、バツが悪そうに差し出したのは、削り跡が荒く、不格好な、辛うじて鳥だなと判断できる木の塊。作業小屋の隅で、時間を見つけては掘り進めていたのだろう。木肌のそこかしこに煤の黒い汚れが柄として残る。
火を起こし、鉄を打つのは得意でも小さな木彫り細工は苦手のようだ。
彼の性格がよく現れている鳥の彫刻を見たミトラは愛おしそうに目を細め、その塊を持つ炭で黒く汚れたオーランの手ごと大切に両手で包み込んだ。
「どんな形でもいいわ。オーランが作ってくれたものなら、私にとっては宝物よ」
彼女の柔らかな微笑みに、耳まで赤くしたオーランは照れくさそうに笑う。作業小屋の隅で肩を寄せ合い、笑いあう二人の幸福な時間。
富んでいなくても貧しすぎず、怪我もなく、健康でありさえすればいいとささやかな生活を望み、願う二人の若者。
オーランの大きな手が、ミトラの髪をそっと撫でた。不器用で、節くれ立っていて、でもとても温かい優しい手。
その手がミトラから奪われるのは翌朝のことだった。
□
翌朝、村は鉄の蹄の音と甲冑の響きに包まれた。王国の聖騎士団だった。白銀の鎧をまとった騎士たちが村を囲み、厳かな声が響く。
「天啓が降りた。この村の若者、オーランを魔王討伐の勇者として徴用する」
抵抗する間はなかった。村人たちは恐怖に震え、オーランの母親は泣き崩れ、ミトラは騎士たちの間を必死に駆け抜けようとした。
「オーラン! オーランっ!」
鉄格子の嵌められた馬車に押し込められる直前、オーランはミトラに向かって叫んだ。
「ミトラ! これ、受け取ってくれ!」
窓から投げ渡されたのは、あの不格好な木の塊だった。オーランの愛情が詰まった個性的な鳥。それが結婚の誓いに用いられる木工細工だと知らなければ、取り上げる価値すらないただの木片。
「必ず、もっと綺麗なのを彫って帰る! 待っていてくれ!」
少しでも長く愛する人の姿を目に焼き付けておきたい。馬車の縁に手を掛け、なかなか中に入ろうとしないオーランの頭を掴み、騎士たちは強引に彼を馬車の中に押し込んだ。
勇者と祭り上げながら、扱いは粗略。身分の違いがあると言われればそれまでだが、やっていることは誇り高き騎士ではなく、山賊と変わりないとミトラの目には映った。
恐怖、怯え、嘆き、慟哭。様々な負の感情を巻き起こし、置き去りにして馬車は容赦なく動き出す。ミトラは、泥に落ちたオーランの鳥を這うようにして必死に拾い上げ、胸に抱くと声を殺して泣いた。
騎士たちに阻まれ、馬車に近づくことすら許されなかったミトラと愛する人と言葉を交わす暇すら与えられなかったオーラン。
それが、二人の最後の別れとなった。
□
世界を救うために『万里の銀河』へと旅立った勇者オーラン。
万里の銀河とは、魔王が住まう土地の名前らしい。いつの間にか、聖職者たちがそう名付けた。
魔王がいる場所には水源があって、あの土地からこの大陸全土に河が広がっているそうだ。だから、『万里の銀河』。
ミトラの村にも川は流れていて、時折、誰かの悲しみが辿り着いた。
あの日から数年。
姉さん女房となるはずだったミトラは三十歳を越え、村でひっそりと暮らしていた。彼女の毎日は、朝の畑仕事と、夕暮れの河原で終わる。オーランの母は、息子を奪われたことで体調を崩しがちになり、半年もしないうちに神殿側から使いが来て保養所を兼ねた修道院へと居を移させられた。
仮にも勇者の母御前、息子を奪われた事による非業の死は避けたかったのだろう。
空き家となったオーランの家は、新しい鍛冶職人を呼び寄せるために村の共有財産に戻され、今は山向こうから来てくれた新しい家族が住んでいる。
日が沈み、一日が終わろうとする頃。ミトラは川のほとりに立ち、じっと緋色に焼けた水面を見つめて過ごす。上流から戦いの残骸が流れてくることがあるからだ。壊れた盾の欠片、血に染まった布、折れた矢。何かを見つければ、服が濡れることも厭わず川に入り、ひとつひとつを拾い上げて、震える指で確かめた。オーランのものではないかと。
近所の女たちは、ミトラを見掛けると優しく声をかける。
「ミトラ、もう諦めなさい。あの子はもう……英雄様なんだよ」
村人たちはオーランの顔を忘れ、酒の席で語られる物語の中の英雄としてしか覚えていない。「いつか勇者オーランは魔王を討ち、世界を救うのだ」。それは、誰の願いだったのだろう。
生まれた時から魔王がいる世界だったミトラには、魔王の恐ろしさも魔王がどれほど迷惑な存在なのかもわからない。アルヴェ村は平和で、ミトラたちが暮らす国も境界を争って戦争さえ起こらなければ平和で。魔王が怖いとか、迷惑だとか誰も言ってこなかった。
勇者オーラン。世界を救う英雄、オーラン。
褒めそやす言葉を聞くたび、ミトラは静かに瞼を伏せる。
ミトラの記憶の中のオーランは、今でも英雄などではない。勇者でもない。
不器用に木を削る手。照れくさそうに笑う横顔。結婚式の朝に、きっと花冠を被せてくれるはずだった、言葉選びが下手くそな温かく優しい男のままだった。
オーランが万里の銀河に旅立って暫くしてから、銀河に繋がる川から時折、青く光る石が流されてきて、川辺に打ち上げられるようになった。小指の先ほどの大きさしかないが、魔力の結晶と呼ばれるものだ。ミトラはそれをオーランからの便りだと信じ、粗末な木箱に大切に集めている。
オーランから無事を知らせる手紙は、一度として届いたことがない。忙しくて手紙を書く暇がないのか、どこかで行方不明になってしまうのか。オーランの活躍を知るのは、数日遅れで行商人が持ってきてくれる新聞からだけだった。
オーランの活躍を知るたびに、ミトラは彼に手紙を書いた。今、どこにいるのかは分からないから、持って行く先は村の教会である。そこから神殿に送って貰い、神殿から勇者一行へ送られる荷物のなかに混ぜてもらうのだ。
怪我はしていませんか。
ご飯は食べれていますか。
今年も鳥がやってきて、軒下の巣で子育てをしていました。
来年は、今年巣立った子のどれかが戻ってきてくれるのでしょうか。
森の端に植えた木は、もう私の背丈を超えました。あなたの好きなアトの実も、きっともうすぐ生るでしょう。
ねぇ、オーラン。
あのね、オーラン。
オーラン。
今、あなたはどこにいますか。
オーラン。
オーラン。
どうかあなたが、無事でありますように――――。
石は冷たいはずなのに、手にした小石は微かにオーランの体温が残っているように思えた。
オーランだけが、いない日々。
オーランだけが、いない景色。
ひたすらに、勇者を待つ。
村人たちは彼女を哀れむ目で見るが、ミトラはどんな目を向けられても、ただ黙って微笑んだ。オーランが好きだと言った笑顔を忘れないために。
「オーランは必ず、戻ってくるもの」
無数の星が浮かべられた川のほとりに、こちらに背を向けて立っているオーランの姿を彼女は夜ごと夢に見た。
「オーラン……」
声をかけても彼は振り返らない。駆け寄ろうと必死に足を動かしても、触れたいとどれだけ手を伸ばしても、オーランとの距離は縮まることなく、彼が振り返ることもない。
夢の中ですら、オーランは彼女を抱きしめてはくれなくなった。
目覚めると、ミトラはオーランが残した不細工な鳥を磨いた。アンドリーニャというには随分と肉厚な翼。けれど、これくらいしっかりとした翼ならば、どこに居ようと世界の果てからだってミトラの元に戻ってきてくれるはずだ。
ぽってりとした翼を指先で何度も撫で、祈りを込める。便りがないのは、無事な証拠。そう自分に言い聞かせながら。
そうして、ミトラの背の高さを超えてずいぶん経つアトの木が、たわわに実をつけるようになって暫くした頃、唐突に世界の空の色が変わった。
空を覆っていた重苦しいベールが千切れ、順に澄んだ鮮やかな青が顔をだす。空の澱みのせいで輪郭が溶け、白い塊に見えていた太陽も黄金の光を取り戻した。
それは魔王の消滅を示す、天の異変だった。
神殿は勇者の偉業を称える声明を出し、人々は歓喜に沸く。
祭りが国中で開かれ、辺境の村でも祝祭の音楽が奏でられた。
王都の神殿には入り口が埋もれるほどの花が飾られ、ミトラの村の教会ですら神殿より派遣された魔法使いによって溢れんばかりの花が飾られ、村の道にも花が撒かれる。
子どもたちは喜んで花を拾い、大人たちも一生で一度、見れるかどうかの魔法に頬を上気させて喜んだ。
しかしミトラだけは、胸にモヤモヤを抱えそっと俯く。
こんなにもすごい魔法が使えるならば、どうしてオーランの代わりに勇者となってくれなかったのだろうかと。
花を出すだけでは、戦いにならないよ。自分のなかの、もう一人の意地悪な自分が囁く。
人にはそれぞれ役割がある。それは分かっている。オーランは選ばれた。だから、旅立った。
分かっている。分かっているが、思わずにはいられないのだ。
どうして彼を、神は選んだのかと。
凱旋パレードの日、王都の街路は人で埋め尽くされたという。
しかし、オーランの姿はどこにもなかった。
「勇者オーランは聖なる光となり、魔王と共に消えた。英雄の魂は永遠に王国を見守るだろう」
寂れた村のただの鍛冶屋が、神の声に従い世界を救った。
オーランの命は、人々の胸を打つ美談として片付けられのだ。
数日遅れだった新聞は、いつの間にかひと月遅れとなり、ミトラが教皇の言葉を知ったのは、万里の銀河から戻った聖騎士たちの凱旋パレードからひと月半も過ぎた頃だった。
静まり返った河原に、ミトラは一人立つ。
水が緩やかに流れ、夕陽が川面を赤く染める。何も変わらない景色。オーランがいた頃も、オーランが旅立ってからも。
時々、川のほとりには誰かの悲しみが流れ着く。
川べりの泥に半分埋もれるようにして、それは引っかかっていた。
見覚えのある粗末な布。
心臓が嫌な音を立てて跳ねた。慌てて拾い上げ、泥を払い、震える手で頑丈な何かに固く結ばれた布を解いていく。
グルグルと何重にも巻かれた布の隙間から現れたのは、オーランがいつも腰に下げていたシースナイフだった。柄の傷、革の鞘。すべてが記憶の中のものと一致する。
「……っ」
息を呑んだミトラの瞳が見る間に潤み、涙が頬を伝い落ちた。
「オーラン……」
布は、柄に括りつけられていた細い革紐とその飾りを守る為に巻かれていた。
紐の先に吊るされていたのは、いつかの約束の木彫りの鳥。必ず帰ると願いのこもったアンドリーニャの彫刻。
ミトラは、その場に膝をついた。
オーランは、万里の銀河に向かう過酷な戦いの中で、この鳥を彫り続けていたのだ。
血に塗れた夜も、死の恐怖に苛まれる朝も、ミトラのことを忘れないために。約束を守るために。一刻一刻、指を動かし続けた証。
羽の一枚一枚が精緻に刻まれ、今にも羽ばたきそうなほど美しい。かつての不器用な塊とは比べものにならない儚くも力強く広げられた翼。
万里の銀河を越え、戦場を越え、死の淵を越えて。
届いた。
遥か遠くから、確かに届いた。
不器用な青年の、たった一つの、変わらぬ愛が。
ミトラは完成された木彫りを胸に抱き、あの日以来、初めて声を上げて泣いた。
ただいまを言う人は、まだ戻らない。
□
川は静かに流れ続け、青い石がまた一つ、ミトラの足元に優しく打ち上げられる。
彼女はそれを拾い、オーランの鳥たちが眠る木箱にしまった。
「おかえり」
彼は帰ってくる。
形は違えど、確かに。
辺境の村は、常に変わらない。
勇者がいても、いなくても。
魔王がいても、いなくても。
静かに流れる時間の中、人々は田畑を耕し、ヤギや牛の乳を搾り、時に害獣と、今ではすっかり姿を見なくなった魔獣と知恵を絞って闘って、怪我をしたり、しなかったり。
ひとつ加わったことは、羊の毛刈りが村の祭りとなったことか。
子を育て、親をいたわり、順番に天に召されて土に還る。
「あら、綺麗……」
いつもより、一回りも、ふた回りも大きな青い石を見つけ、拾い上げると太陽の光に透かす。
透き通った青の向こうにオーランが見えた気がして零れた光に目を細めた。
「……おかえりなさい」
お時間頂き有難う御座いました。
お話の進み具合でバドエンになった。ではなく、今回は、バッドエンド前提でお話を進める初の試みだったんですが、なかなか削られますね。
なんとかして戻してあげれないかな…とブレブレになりながら書いていました。
花が出たら気をつけろ。な、特徴をもっている筆者ですが、今回は実です。笑
アトの実。一般的な呼ばれ方はシュガーアップルやカスタードアップル。日本だとチェリモヤの方が聞いたことあるかも? アテモヤの親戚です。
種や樹皮にアルカロイドを含んでいる有毒植物なんですが、下剤とか葉や根が解熱剤とかに使われたりするので毒と薬は紙一重。
私が毒ある植物が好きなんじゃなくて、記憶を辿って、コレいいんじゃね?と反映させる時に調べると何故か毒があるパターンにハマっているだけです。有毒植物って意外と多いんだね!
ここまでお付き合いいただき、有難う御座いました。
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