07 「楽しいご注文をありがとうございました」
ミカエラがレイエス家に嫁いできてひと月あまりが経過した。
イグナシオやフロレンシアにとっては、このひと月の間一度も食事に同席することなく、会いに来ることも何か要求を伝えてくることもなく、屋敷の中で見かけることすらない新妻など、存在していないも同然だった。
結婚前とあまりにも変わらぬ日常に、ともすればイグナシオは自分が新婚の身であることすら忘れそうで、思い出したようにその場に居もしないミカエラの悪口を言っては、フロレンシアと愛を確かめ合うための肴にしたりしていた。
時折、屋敷の中や庭を歩いているときに、視界の隅で何かが動いたかな?と感じることもあるが、振り返ってもその「何か」が見つかることはない。
そのため、イグナシオもフロレンシアもさほど気に留めることもなく、日々の僅かな違和感などすぐ意識の外に追いやってしまうのが常だった。
一方、伯爵家のメイドたちは気の抜けない毎日を送っていた。
だだっ広くて古いお屋敷のこととて、これまで伯爵邸のメイドたちの間には、「四角い部屋を丸く掃除する」ような風潮が多分にあった。
しかし、イグナシオが結婚してからというもの、彼がフロレンシアと腕を組んで廊下を通り過ぎた後に、大きな彫像の後ろから、『若奥様』もとい『ミケ』が埃まみれになって這い出してくる、といった光景が日常になってしまったのだ。
ミカエラはメイドたちの掃除の不備を咎めたりはしない。
誰にも頼らず、隠れ場所を少しでも快適にしようと、暇を見てはありとあらゆる物陰を自分で掃除して回っている。
その姿に、ミカエラは咎めなくてもメイドたちの気のほうが咎めてしまった。
そんなわけで、ある日アマリアの召集のもと、非公式の「伯爵邸メイド会議」が開催された。
そして話し合いの結果、メイドたちは『ミケ』が潜り込みそうな場所を自主的に掃除しようと決めたのだった。
ミカエラはメイドたちの働きにすぐに気づき、心から感謝した。
感謝を形で示したいと考えたミカエラは、「平民や下級貴族向け商品の取り扱いなら、向かうところ敵無し」の実家ベルトラン商会の力を借りて、発表前の新作コスチュームジュエリーを身内価格で購入し、メイドたちにこっそりお礼のプレゼントとして渡すことにした。
下町で大人気のプチプラ「ベルトランシリーズ」の新作に、パウラたちが他の使用人に気づかれないようミュートで黄色い歓声をあげる中、いつもは冷静で厳格なアマリアの頬も薄っすら染まっていたことは、ここだけの秘密である。
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それから程なくして、伯爵邸使用人御用達の仕立屋から『若奥様』宛にドレスが届いた。
かねてより注文していた、例の丈夫で動きやすくて汚れにくい、「屋敷の壁紙柄の室内用ドレス」と「庭の植え込み色の屋外用ドレス」である。
ひと月前のこと。
仕立屋を屋敷に呼び寄せてこの注文と使用目的を伝えると、初老のテイラーはしばらくキョトンとした後、パッと口元を押さえ「ちょっと失礼」とつぶやいて慌てたように部屋を出ていった。
残されたミカエラとセバスチャンが顔を見合わせていると、ドアの向こうから抑えきれない爆笑が聞こえてきて、2人は「ああ……」と納得する。
やがて目元の涙を拭いながら戻ってきたテイラーは、何食わぬ顔で軽く頭を下げた。
「………失礼いたしました。廊下の壁紙の色合いと柄を確認させていただいておりました」
「嘘こけ」と2人は思ったが、そこは口に出さずミカエラがニッコリする。
「では、お受けいただけるということでよろしいですか?」
「勿論でございます。こんな馬鹿馬鹿しい、ゴホン!……もとい、興味深いご注文、他の仕立屋に取られるわけにはまいりません」
余程ツボに入ったのだろう、デザインの打ち合わせと採寸を終えて屋敷を辞するテイラーの肩は、思い出したように断続的に震えていた。
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そして今日、完成したドレスが届けられたというわけだ。
ドレスの入った箱には、テイラーからの「楽しいご注文をありがとうございました。是非また宜しくお願いします」というメモが添えられていた。
ミカエラは、自分の注文がここまで仕立屋の職人魂を刺激するとは思わず、異例のメッセージに目を瞬く。
職人が楽しんで作っただけのことはあって、ドレスの仕上がりは見事なものであった。
室内用は、伯爵邸の壁紙と寸分違わぬ色合いと柄の生地で仕立てられ、ウエストの下あたりで腰壁色の別布に切り替えられている。
屋外用は、伯爵邸の庭に多く植えられているイチイの色を基調に、いくつかの緑が組み合わされた柄の生地が使われており、裾に石畳色の飾り布があしらわれていた。
「………職人の本気と遊び心が詰まった逸品ですなあ」
横でドレスの仕上がりを見ていたセバスチャンが思わず感嘆の声をあげる。
「あの仕立屋さんの新しい得意分野になるかしら」
「需要がございますかな?」
「多分ないでしょうねぇ」
ミカエラはセバスチャンと笑い合いながら、早速室内用ドレスに着替えて皆を驚かせようと衝立の向こうにまわった。
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その日の夜、フロレンシアが「廊下の壁が動いた」と大騒ぎする一幕があったが、使用人一同は
「よくあることですよ」
「古いお屋敷ですからねえ」
「ちゃんと野菜を食べないと壁が動くよって小さい頃母に言われてました」
などと口々に適当なことを言って丸め込み、それ以上の騒ぎにはさせなかった。
ミカエラも、「ドレスの完成が嬉しくてつい調子に乗っちゃった」と反省し、その後はいかに背景に溶け込む服を着ていようと、迂闊にフロレンシアらの視界に入らないよう更に気を配るようになった。
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次の日。
自室にいたミカエラに、セバスチャンが午後の用向きを訊きに来た。
「今日はこの後、久しぶりにじっくり読書をしたいと思ってるんです」
「それはようございますね。お好みのジャンルがございましたら、図書室から何冊かお持ちしましょうか」
「あっ、ではレイエス家の帳簿を見せていただけますか?
勿論私が見ていい範囲で、新しい方から遡れるだけ遡って、できるたけたくさん」
「………………当家の帳簿をですか?」
「はい」
「午後の読書にですか?」
「はい。こう見えてスリラー物が結構好きなので」
「…………」
「…………?」
「…………かしこまりました」
しばらくして、諦め顔のセバスチャンがワゴンに帳簿を山と積んで押してきた。
ミカエラはセバスチャンに礼を言うと、早速その一冊を手に取った。
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日が落ちる頃、再びセバスチャンがミカエラの様子を見に来ると、彼女はまだめくるめく数字と勘定科目の世界に没頭していた。
「………お楽しみいただけてますか?」
「ええ、思った以上にスリリングです。
特にエンリケ伯爵様の代になってからの服飾費や遊興費の使い方のあたりは血も凍るようなホラー描写が続いてて……」
「後からご覧になれば面白い読み物かもしれませんが、当時の私やソフィア様は本当に生きた心地がしませんでしたよ」
「そうですよね……無神経なこと言ってごめんなさい。
エンリケ様の代になってからは、お屋敷の維持や皆さんの生活にかかるお金は、セバスチャンさんとソフィア様のお二人で差配されてきたんですか?」
「ええ……どうにか伯爵家を持ち直せないものかとあれこれ倹約を試みたりもしたのですが……大旦那様も若旦那様も、伯爵家が貧乏くさく見えることを殊の外嫌っておいでなもので……なかなか思うようにはいかなくて」
「……それは大変でしたね。
とは言え、今は私の持参金でひと息つけてますけど、それも無尽蔵ではありませんから、お金関係は今のうちに少しずつ対策を進めたほうがいいと思います。
伯爵家が潰れちゃったら、良妻も何もあったものではありませんし。
………そうですね………手始めに、レイエス家の家計のうち、セバスチャンさんの裁量で動かせる部分の検討に、私も参加させて貰えませんか?
一応これでも商人の娘ですし、一緒に考えたらエンリケ様やイグナシオ様に咎められない倹約方法が見つかるかもしれません」
ミカエラはセバスチャンの肩に励ますように手を置いた。




