06 「腕のいい仕立屋さんが必要なんです」
結婚式の翌朝、長年レイエス伯爵家の食卓を任されている料理長ベルナルドは、いつものように皆より早く起きて厨房に向かっていた。
見慣れた厨房、毎日変わらぬ手順。
ベルナルドは手際よく朝食の準備を始める。
だが、彼の身体は習慣に従って動いていても、その頭の中は突然舞い込んできた風変わりな『若奥様』の存在にすっかりかき乱されていた。
昨日の夜、本来であれば初夜に向けて身支度を整えているはずの花嫁が、夕食を済ませた使用人たちが寛いでいる使用人溜まりに、執事とメイド長を従えて突然現れたのだ。
その直前まで、使用人溜まりではイグナシオ様の『真実の愛』と、『持参金つき平民女』の話題で持ちきりだったこともあり、使用人たちはパニックを起こした。
慌てふためく皆を叱咤するセバスチャンとアマリアの横で、パウラと一緒にさもおかしそうに笑い転げている『若奥様』は、なるほどベルナルドの目から見てもとても貴族には見えない、親しみやすそうなお嬢さんだった。
「脅かしてごめんなさい。
話題の『持参金つき平民女』こと、ベルトラン商会から嫁いで来たミカエラです。どうぞよろしく。
どうせ今日初夜とか無いんで、皆さんに私の立場と今後の方針を早めに知っておいてほしいと思って、遅い時間にも関わらずお邪魔しちゃいました」
使用人相手に、偉ぶる様子も臆する様子もなくペコリと頭を下げたこの『若奥様』は、呆気にとられている使用人たちに、夫に「顔を見せるな」と言われていること、彼の真に愛する相手がこの屋敷にいると知っていることを説明した上で、件の「家庭内非可視ミッション」への協力を求めたのであった。
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保管庫から食材を取り出しながら、ベルナルドは昨夜のことを回想し続ける。
ミカエラから彼女の意向と「家庭内非可視ミッション」の概要について聞かされた使用人たちの反応は、嘲笑2割、当惑8割というところであった。
ベルナルド個人の意向としては、「面倒事は勘弁して欲しい」が第一だが、正直自分にはあまり関係ないことだとも思っていた。
『若奥様』の分の食事を別に用意するといっても大した手間ではないし、それを運ぶのはメイドの仕事だ。
そもそも、2階の一番離れた部屋に押し込められた『若奥様』が、厨房にいる自分と顔を合わせる機会はほとんどないだろう。
「限られた予算で高級そうに見えるメニューを考える苦労に比べたら、どうということもあるまいて」
誰もいない厨房でそう独り言ちた次の瞬間、スッパーンとドアが開いた。
「おはようございます、ベルナルド料理長!」
入ってきたミカエラに元気に声をかけられ、ベルナルドの手にした籠からジャガイモが景気よく飛び出して四方八方へ転がっていった。
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「わわわ若奥様……?
お、おはようございます。こんなに早い時間に、厨房なんぞに何の御用で……?」
「あ〜、ダメですよ料理長!
ミケのことはコードネームで呼ぶって昨日決めたでしょー?」
慌てるベルナルドに、ミカエラの後ろからひょこっと顔を出したパウラが笑って声をかける。
昨日の夜、使用人たちの前でミカエラは自分をコードネームで呼ぶよう頼んでいたのだ。
「せっかくイグナシオ様の目を逃れても、『若奥様』とか『ミカエラ様』などと大っぴらに呼ばれてしまうと、その声を聞いたイグナシオ様が私の存在を思い出して嫌な思いをするでしょうし、見つかる危険も大きくなってしまいます。
だから、私のことは、そうですね……『ミケ』って呼んでくれますか?
これなら元の名前に近いから認識しやすいし、イグナシオ様の耳に入っても、猫か何かを呼んでるのかと誤認してくださると思うんです」………
昨夜ミカエラにこう言われたときは「何言ってんだこの人」と思ったが、若いパウラはひと晩で順応してしまったらしい。
苦々しげにパウラを見るベルナルドに、2人はクスクス笑いながら、彼が取り落としたジャガイモを拾い集め、籠に戻していく。
「早く目が覚めたので、パウラに頼んで庭を案内してもらったんです。
いいお庭ですね!咄嗟に登れそうな木や潜り込めそうな植え込みが多くて」
ミカエラの言う「いいお庭」の定義にベルナルドが首を傾げていると、ミカエラが最後のジャガイモを籠のてっぺんにポンと乗せた。
「たくさん歩いたらお腹が空いちゃって。
それで思ったんだけど、毎食あんな遠くの部屋までお食事運んでもらうんじゃメイドさんたちに申し訳ないし、せっかくのお料理も冷めちゃうでしょう?
だから、これから食事はここで皆さんと一緒に食べたいんですけど、いいですか?」
「エエッ!こ、ここでですか?!いやまあ、それは………皆がそれでいいってんなら……私は構いませんが………」
「ありがとうございます!皆が来たら訊いてみますね。
ホント言うと、運ぶ手間云々は後付けで、料理長の出来立てメニューを食べたい一心でのお願いなんです。昨日のロースト、びっくりするくらい美味しかったんで……
鶏肉をあんなに鴨料理っぽくできるなんて本当にすごいです!
味だけじゃなく、食感まで鴨に近づけてて……正直感動しました。
あの味に辿り着くまでに、きっとたくさんご苦労されたんでしょうね」
純粋な称賛の目を向けられて、ベルナルドの目頭が我知らず「じわ」と熱くなった。
これまで雇い主に料理の味を褒められることはあっても、裏方の苦労を労ってもらったことなどなかったのだ。
塩味を効かせた水分が目から出そうになるのを隠すように勢いよく一礼すると、その弾みでせっかく拾い集めたジャガイモが再び宙を舞った。
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朝食のため厨房に三々五々集まってきた伯爵家の使用人たちは、頑固で気難しい料理長と風変わりな『若奥様』が、最近の野菜の値上がりなどという話題で盛り上がりながら、仲良く並んでジャガイモの皮むきをしているのを発見して肝を潰したのだった。
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この日は結婚式翌日ということで、イグナシオは「結婚は仮初めのもので、真に愛するフロレンシアだけをこれからも大切にし続けることを大々的に世間に知らしめる」ため、フロレンシアを伴って、オペラハウスや宝石店を巡るド派手な終日デートへと繰り出していった。
自ら晒し者になりに行くとは、無し男もなかなかの強心臓だなあ、とミカエラは感心する。
だが、2人揃って屋敷を留守にしてくれるのはもっけの幸いである。
ミカエラはその隙に、セバスチャンと一緒に昨夜見取り図で予習した屋敷内の隠れ場所を実地にじっくり見て回ることにした。
「この物置部屋は、前方からターゲットが来たときの緊急避難に最適ですね。ドアが大分軋むので蝶番に油を差しておきましょう」
「この廊下は長くて視界を遮るものがないし、すぐに飛び込める部屋もなくて、ここでターゲットに遭遇してしまったらかなり厄介ですね……
照明を少し減らして暗がりを増やし、あっちの廊下にあったイイ感じのデカい彫像を2、3体こちらに移すことはできますか?」
ミカエラの言葉にセバスチャンがフムフムと頷きながら見取り図に要点を書き込んでいく。
目的は隠れ場所探訪ではあるが、屋敷を隅々までチェックすることで、普段見過ごしていたデッドスペースや、しまい込んだままなくしたと思っていた什器や小家具の類の発見が相次ぎ、セバスチャンにとっても意外と有意義な時間になった。
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隠れ場所探訪を終えて自室に戻ったミカエラは、服を新調したいので仕立屋を呼んでほしいとセバスチャンに頼んだ。
「かしこまりました。当家御用達のドレスメーカーは……」
「ああ、ドレスメーカーじゃない方がいいんです。
貴族向けじゃなくて、使用人の皆さんの制服を作っている仕立屋をお願いできますか?
依頼したい服は、見た目の美しさより、丈夫で動きやすくて汚れにくいことが優先なので。
あっ、でも見た目にも特別な注文があるので腕のいい仕立屋さんが必要なんですけど」
「は、はあ……それは一体どのような………」
セバスチャンの問いに、ミカエラがニヤリとする。
「フッフッフ……このお屋敷の壁紙柄の室内用ドレスと、お庭の植え込み色の屋外用ドレスが欲しいんです!」




