03 「見取り図はありますか?」
馬車が伯爵邸に着くと、執事服に身を包んだ壮年男性が、メイド姿の中年女性と若い娘を従えて迎えに出てきた。
「若奥様でございますね。私は当家の執事セバスチャンと申します。
こちらはメイド長のアマリア。
こちらの若いのがパウラで、若奥様専属のメイドとなります。
……お荷物はこちらでございますか?お部屋にご案内いたしましょう」
ミカエラは「ほお」と思った。
聖堂での惨状から鑑みて、伯爵家の使用人からもさぞかし冷遇されるものと予想していたからだ。
無論、歓迎ムードには程遠い。
しかしミカエラの現在の立ち位置からすれば、この出迎えならまずまず手厚い方と言っていいだろう。
何より、執事は彼女のことを『若奥様』と呼んだ。
つまり、イグナシオの意向はともかく、この家の使用人は、たとえ名目上であってもミカエラを彼の妻として扱う意志があるということだ。
俄然伯爵家の使用人たちに興味を惹かれたミカエラは、彼らのあとに付いてホールの階段を登りながら『出迎え3人衆』をこっそり観察することにした。
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ミカエラの見るところ、年嵩の2人は慇懃に振る舞ってこそいるものの、いかにもぎこちなく、居心地が悪そうだ。
無理もない。彼らにとっては、当主が相談もなく連れてきた上に、花婿には嫌い抜かれている平民出身の『若奥様』など、どう扱っていいやら頭痛の種でしかないだろうから。
それでも粛々と己の責務を果たさんとする執事とメイド長に、ミカエラは何となく好感を抱いた。
一方若いパウラは、どこの馬の骨とも知れぬ『若奥様』の闖入に、興味津々の様子を隠さない。
こぼれ落ちそうなほど見開いた目に宿るのは純粋な好奇心だけのようだが、ミカエラが何か変わった振る舞いでもしたら、後でメイド仲間に大袈裟に吹聴してたっぷり井戸端会議の肴にしてやろうと思っているのがありありと伺える。
パウラのあまりの熱視線に、ミカエラは自分がご当地初公開の珍獣にでもなった気がして苦笑いした。
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一行は2階の廊下を奥へ奥へと進んだ。
古びた屋敷はだだっ広く、いかにも前時代的である。
豪華な絨毯はすっかり色褪せて、窓枠などもあちこち傷みが目立つのに、むやみと飾られた絵画や彫像などそこかしこに先祖の栄華の痕跡が残っているのが、ミカエラの目にはむしろ痛々しく感じられた。
「こちらでございます」
フロアの最奥部でようやく足を止めたセバスチャンが決まり悪げに通してくれたのは、家族の寝室と思われるエリアから遠く離れた、恐らく滞在客用の部屋の中でも最もグレードが低いであろう小さな客室だった。
シングルサイズの寝台に、椅子とテーブルのセット、ライティングビューロー、鏡台にワードローブ、そして浴室に続くドア。
調度はそれなりに立派だが、如何せんどれも時代がかってガタガタの代物だ。
それでも精一杯磨き込まれているところに、メイド長であるアマリアの誠意と矜持がうかがえる。
ミカエラが頷くと、セバスチャンはホッとした表情になった。
どう贔屓目に見ても『若奥様』用には程遠い部屋の位置と設えを見たミカエラが、泣き出したり怒りを爆発させるのではないかと危惧していたのだろう。
「ごゆっくりおくつろぎ下さい。
ご入浴やお着替えはこちらのパウラにお申しつけを。
晩餐の時間になりましたら食堂にご案内いたします。では私どもは失礼し……」
「あっ、待ってください!少し話を聞きたいんですけど」
一礼して辞去しようとするセバスチャンとアマリアを、ミカエラは引き留めた。
使用人3人は一様に「そら来た」という表情になる。
同じ「そら来た」でも、セバスチャンとアマリアが逃げ腰なのに対し、パウラは心持ち前のめりという違いはあるが………
諦め顔と興味津々顔で『若奥様』の言葉を待つ使用人たちを前に、ミカエラは居住まいを正した。
ここで初手を誤ると面倒なことになる。
変な誤解や憶測が入り込まないよう、使用人たちに自分の立場と意図をハッキリ伝えなくてはいけない。
「まず、私のことからお話ししますね。
改めて、ベルトラン商会から嫁いできたミカエラです、どうぞ宜しく。
さて、皆さんお察しのこととは思いますが、イグナシオ様は私のことを快く思っておりませんで」
ミカエラの率直すぎる言葉に、セバスチャンたちが石でものんだような顔をする。
「先程も結婚式が終わるなり、『妻とは認めない、顔も見たくない』と言われて置き去りにされてしまいまして」
「んぶっ」
パウラが妙な声を出して口元を押さえた。
アマリアに睨まれて赤面し、慌ててこちらに頭を下げる様子を見て、この子、根は悪い子じゃないんだろうなとミカエラは思う。
「ですから、使用人の皆さんにこうして迎えて頂いて、本当にありがたいと思っているんです。
……私は平民上がりで、淑女の振る舞いも知りません。
そんな人間との意に染まぬ縁談を押し付けられたイグナシオ様の、お辛い気持ちは重々承知しているつもりです。
それでも、縁あって夫婦となったのですから、私は、できればイグナシオ様の良い妻になりたいと願っているんです……」
悲しげに目を伏せるミカエラに、セバスチャンらも思わず釣り込まれて沈痛な面持ちになる。
しかし次の瞬間、ミカエラはガバと顔を上げ、3人に力強く宣言した。
「……なので、イグナシオ様の言いつけを守る良き妻として、彼に絶対見つからないように暮らしたいんです!」
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「……………?」
急に明後日の方向にすっ飛んだ話の流れに、3人の目が点になったが、ミカエラはお構いなしに続ける。
「夫が『顔も見たくない』と言うのなら、その意を汲んで全力で顔を見せないのが良妻というものではないでしょうか。
顔を見せず、声も聞かせず、存在も感じさせなければ、イグナシオ様も私という妻がいることを意識せず、快適に過ごせることでしょう。
でも、その実現のためには、このお屋敷の構造とイグナシオ様の行動を知り尽くしている、皆さんの協力が必要不可欠でして………」
「ちょ、ちょ、ちょっとお待ち下さいませ若奥様」
主の言葉を途中で遮るなど、老練の執事にはあるまじき蛮行だが、流石に話についていけなくなったのかセバスチャンが悲鳴のような声を上げた。
「そ、それはつまり、イグナシオ坊っちゃま、いえ、若旦那様と家庭内別居なさるという意味で………?」
「いいえ、『家庭内別居』などというチャラチャラしたものではありません。
これは、謂わば『家庭内非可視ミッション』。
同じ屋敷に暮らしていながら、如何にイグナシオ様の視界に入らずに暮らせるかという崇高な良妻チャレンジなのです。
ただ自室に閉じ籠もるのではなく、自由に屋敷内を動き回りながらも、イグナシオ様とエンカウントしそうになったら目にも留まらぬ速さで隠れる。
ここにこそ、『家庭内非可視ミッション』の美学があります。
イグナシオ様に見つかれば即良妻失格、『妻隠れる、故に妻あり』、『隠れるか、しからずんば死か』の精神に則る、真剣新婚生活勝負と言っても過言ではありません!」
………うん、わからん。
セバスチャンたちは途方に暮れた。
家庭内別居がどうチャラチャラなのかは後で審議するとして、彼女が望む「夫の視界に入らない暮らし」が一体どういうものなのか、皆目見当もつかない。
良い妻になりたいというミカエラの熱意は伝わってくるが、その内容は彼らの理解をはるかに超えてしまっている。
混乱している間もミカエラの説明は続いた。
「イグナシオ様には『社交に同行させない』と言われていますし、あちらがわざわざ私に会いに来るとも思えませんから、毎日の食事を別々にして、伯爵邸敷地内で偶然会うという事態さえ避け続ければ、非可視ミッション完遂は可能だと思うんです。
この部屋に来るまでにお屋敷の構造をざっと確認させていただきましたが、使っていなさそうな小部屋や、無意味に大きい家具や装飾の多い、とてもいいお屋敷ですね!
これなら、使用人の皆様のご助力次第で隠れ方はいくらでも工夫できると思います。
………………というわけで」
ミカエラの目がギラッと光った。
「この屋敷の見取り図はありますか?」




