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21/25

終章の後 02


 その日から、イグナシオは代替わりの勉強と並行して、ミカエラの旅立ちに向けて少しずつ準備を整え始めた。


 離縁が避けられないのは身に沁みて理解したが、その日までただ自分を恥じているだけではあまりにも情けない。せめて誠意だけでも示したかった。


 となるとまずは、何はなくとも持参金の返済である。


 イグナシオは帳簿類をひっくり返してみたが、結婚当初、いい気になって使い込んだツケは大きく、何をどうやっても期限までに一括で返せるだけの額は捻出できそうもなかった。


 帳簿の数字とにらめっこしながら慣れぬ計算を繰り返し、覚束ない手で返済計画らしきものを練ってはみたものの、読み返せば読み返すほど素人目にも素人による素人考えの素人くさい計画にしか見えず、イグナシオはすっかり意気消沈した。



※※※※※※※



 ソフィアが私室で寛いでいるところへ、力ないノックの音がして、書類を抱えたイグナシオがショボショボと入ってきた。


「どうしたのイグナシオ。えらい不景気な顔をして」


「母上………恥を忍んでお願いがあります。

 ミカエラの持参金を返済する計画の立案に、母上のお知恵をお借りできないでしょうか」


「あら」


「情けない話ですが、私一人ではどう考えても机上の空論の域を出ないのです。

 経営学も経済学も修めているのだから、当主にさえなれれば何の問題もなく手腕を発揮できるだろうと思っていた私が浅慮でした。

 実際にやってみると、理論と実践とでは大違いで……以前の私は何を根拠にあんなに自信満々だったのかと……」


「まあ、結局のところお父様に似てしまったということでしょうねぇ」


「ゔ」


 ダメ押しを食らって二つ折りになるイグナシオに苦笑しながら、ソフィアは椅子を勧める。


「今のは半分冗談だけど……

 温室育ちの若者が初めて世の現実と向き合って、自尊心がぺっちゃんこになるのはよくあることよ。

 子供の頃から優秀だ名門だと持ち上げられてきていたら余計にね。

 貴方の場合、その自負がお父様の横暴と愛情不足から身を守る鎧でもあったのよね。

 ……それがわかっていたから、私も貴方の振る舞いに強く言えないところもあったの。今となってはそれは貴方のためにならなかったと後悔しているけれど」


「いえ、母上のせいでは……」


「誰のせいとかじゃなく、親には親の後悔があるってこと。

 ……とにかく貴方がそれに自分で気づけたことは大進歩よ。挫折を自分の成長の機会だと気づかず人のせいにしていたら一生そのままだもの。

 じゃあ話を戻しましょうか……持参金の返済計画だったわね?ちょっと待っていて」


 ソフィアは立ち上がって書棚から1冊の帳簿を取り出した。


「あの子から離縁の期限のことを聞いてから、少しずつ積み立てておいた分があるの。これを使って頂戴」


「なっ………裏帳簿ですかッ!?」


「人聞きが悪いわね。伯爵家の経理はオープンよ。

 お父様や貴方の目にはつきにくいかな〜っていうやり方でヘソクったのは否定しないけど、以前の貴方なら余剰があると知ったら何も考えず綺麗さっぱり使っちゃうでしょう?」


「ゔ」


「いちいち二つ折りにならないの。

 これも組み込んで、もう一度計画を練り直すといいわ。少しは現実的なプランができるでしょう。

 そして、計画ができたらここに持っていって添削をお願いしてご覧なさい。

 私なんかよりよっぽど有益な助言が貰えるはずよ」


 ソフィアから渡された名刺を見て、イグナシオは目を丸くした。



※※※※※※※



 ベルトラン商会の会頭ホルヘは、商会の応接室で珍しい客を前に当惑していた。


 他ならぬイグナシオ・レイエス伯爵令息その人である。


 レイエス伯爵夫人とは、娘のミカエラを通じて思いがけず良い関係を築けていたが、その息子のイグナシオと一対一で相まみえるのはこれが初めてであった。


 彼から「一度お目にかかりたい」と訪いを受けたときは、てっきり代理人でも寄越すのかと思っていたが、蓋を開ければ娘婿本人が直接やって来て、開口一番「これまでの非礼をお許し願いたい」と深々頭を下げるものだから、百戦錬磨の商売人ホルヘもすっかり度肝を抜かれてしまった。


 そこへ持ってきて、「持参金返済計画」の添削依頼である。


 ホルヘも、ミカエラがイグナシオに離縁の期限を言い渡されていることは聞いていたし、離縁されたあと彼女がベルトランに戻っても肩身の狭い思いをしないで済むよう、密かに準備を進めてもいた。


 むしろ結婚当初は、3年後に娘を無傷で返してくれるなら持参金を諦めるのもやぶさかではないと思ってさえいたのだ。

 そういう意味ではホルヘがミカエラに持たせたのは持参金というより身代金と言ったほうが良かったかもしれない。

 そのため、ソフィアならいざ知らず、イグナシオに返済の意志があろうとは正直思ってもいなかった。


 一体彼に何が起きたのだろうかと、ホルヘは密かに対面の娘婿を観察した。


 ホルヘの知るイグナシオは、整った顔立ちに父親への不満と、その反動のようなベルトランへの侮蔑を滲ませた、尊大で子供っぽい典型的な貴族令息だった。


 しかし今目の前に座る娘婿は、あの頃の紅顔の美青年の面影は消え失せ、疲れた表情で実年齢より寧ろ老けて見える。

 父親である伯爵が病に倒れたとは聞いていたが、それだけでこんなに面変りするものだろうか。


 娘婿のあまりの変わりようにホルヘは我知らずそぞろ哀れを催したが、あれこれ気を回していても仕方がない。

 今は彼の頼み事に集中するべきだろう、と頭を切り替えたホルヘは、計画書を手に取りスッと商売人の顔になった。



※※※※※※※



 イグナシオは、目の前でホルヘの手により真っ赤っ赤に添削されていく自らの計画書に、顔から火の出るような思いをしていた。


 そして、少し前の自分だったら、こんなこととてもじゃないが自尊心が耐えられなかっただろうな、と振り返る。


 それでも、陰で笑われていることにも気付かず、家門を誇示しては悲劇の主人公よろしく振る舞っていたあの頃よりはずっといい。


 そう思うと、かつての自分の口癖だった「父のようにはならない」という言葉の本当の意味が、少しだけ分かったような気がした。


「お待たせいたしました。どうそお検めください」


 考え込んでいるイグナシオに、ホルヘが添削を終えた計画書を差し出した。


 慌てて受け取り、促されるままに内容を確認する。

 そこには、イグナシオが考えていたより大分レイエス側に優しい条件に軌道修正された返済計画が赤文字だらけでまとめられていた。


 驚いて顔を上げると、穏やかに微笑む義父と目が合う。


「返済というものは、無理があると続きませんからな。

 生活が目に見えて苦しくならず、それでいて残債の減りが実感できるラインというものが大切なのです。

 なに、こちらも商人です。自分たちが損をするような修正はしていませんから、ご心配なく」


 そう言って笑うホルヘの表情があまりにもミカエラにそっくりで、イグナシオは思わず涙ぐみながら義父の手をギュッと握ってしまった。

 ハッと我に返って慌てて手を離したが、幸い文脈的にそこまでおかしな振る舞いではなかったため、その行動を殊更ホルヘに気持ち悪がられることはなく、イグナシオは密かに胸を撫で下ろした。



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