17 「あの子たちの未来のために」
「母上………教えてください、どうしたら彼女に会えるのですか?」
ホルヘがレイエス伯爵邸を訪れてひと月余り、憔悴した様子のイグナシオがソフィアの私室に入ってきた。
「イグナシオ……ちゃんと寝てる?最近食も進んでいないようだし、代替わりする前にあなたの方が倒れてしまいそうよ」
「あ………ええ、すみません……」
「とにかく座って。我が子の弱った姿なんて見たくないわ」
ソフィアはイグナシオに椅子を勧め、アマリアにお茶を持ってこさせた。
イグナシオは、半ば強制的に手に持たされたクッキーをモソモソかじる。
「それで、何の用だったかしら。ああ、そうそう、『どうしたら彼女に会えるか』だったわね。
……『彼女』って誰のこと?」
「………私の、妻………ミカ、エラ………の、ことです………」
ソフィアは目を見張った。
「あら。あなた、あの子の名前知ってたの?
いつも『あの平民女』って呼んでたから、てっきり名前も覚えていないんだと思っていたわ。
そう、あなたミカエラに会いたいの………
……って、会えばいいでしょ。同じ屋敷で暮らしてるんだから」
「それが、会えないんです!!」
イグナシオが感情を爆発させ、机を拳で叩く。
「食事にも来ない。部屋に行ってもいない。
使用人たちに訊いても『屋敷内にいらっしゃると思うが今どこにいるかはわからない』としか言わない。
見つけて連れてきてくれと命じても、『伝言があるなら承ります』と答えるばかり………
何故私は彼女に会えないのです!?
夜、寝室に訪ねて行けば会えるのかもしれないが、流石にそれは気が引けるし、フロレンシアの目もあるし………」
最後の方はボソボソと声が小さくなるイグナシオにソフィアは鼻を鳴らす。
「何を言っているの。あの子に散々『妻とは認めない』の『顔も見たくない』のと言っておいて。
今更あの子に会ってどうするつもり?」
「……………わかりません。ただ…………会いたいんです。会って、彼女のことを知りたい…………」
ソフィアはため息をついた。
「随分ムシのいい話ね。それに、フロレンシアに対しても不誠実だわ。
あなたが会いたがっていることはミカエラに伝えましょう。でもそれ以上のことは期待しないで頂戴。
……難題続きで疲れているんでしょうけど、今のあなたに必要なのは、他のことに気を移して逃げることじゃなくて、自分の問題と向き合って、屋台骨をしっかり固めることよ。
先ずは、ちゃんと食べて、眠ること。
ミカエラに会う云々は、その後で考えましょう」
肩を落として部屋を出ていくイグナシオの後ろ姿を眺めながら、ソフィアは
「おかしなことになってきたわね……」
と呟いた。
※※※※※※※
その日の午後、ソフィアとお茶を飲んでいたミカエラは、
「もしイグナシオがあなたに会いたいと言ったらどうする?」
と尋ねられて首をひねった。
「お会いするのは別に構いませんけど、イグナシオ様が私に会いたがる理由はないんじゃないですか?
何か事務連絡があるならセバスチャンに伝えていただければいいんですし。
何もわざわざ私の顔を見て嫌な思いをしなくても」
「まあ、そういう反応になるわよねえ………ところであなた、好きな殿方はいる?」
ミカエラはお茶を噴いた。
「ああ〜、そこそこいいお値段のお茶が勿体ない………人妻にいきなりなんちゅうことを訊くんですかソフィア様」
「ごめんなさいね。どうなのかなあと思って」
「セバスチャンとかベルナルドとか好きですよ?」
「………やっぱりそうなるわよねえ」
天を仰ぐソフィアにミカエラは苦笑いした。
「ソフィア様が仰っているのは、所謂恋愛的な意味合いってことですよね?
私、その辺全然疎くって。
ベルトラン時代も仕事と家の手伝いで、恋愛どころじゃなかったんです。
結局、愛だの恋だのよくわからないまま、イグナシオ様と結婚しちゃいました。
イグナシオ様とフロレンシア様を見てると、真実の愛って良くも悪くも何だかすげえなあとは思いますけどね」
そんなミカエラを見て、ソフィアは独り言のように呟く。
「………あなたは、まだ知らないのね。
誰かのことを想ってドキドキする気持ちも、ヤキモチを焼いたり、泣き出したくなる気持ちも。
これから先、そんな経験を山ほど積んで、少しずつ自分で愛だの恋だのについて学んでいかなくてはならないのね、きっと……」
「……?何か仰いましたか?」
「いいえ、あなたのことはこれからもっとビシビシ鍛えてあげなきゃと思っただけよ」
「Oh、鬼姑〜」
「得がたい友情とおっしゃい」
2人はクスクス笑った。
※※※※※※※
その夜遅く、ソフィアは使用人たちに非常召集をかけた。
「みんな、遅い時間に悪いわね。
気づいている人も多いと思うけど、イグナシオがミケを探しているわ」
使用人たちはざわりとする。
ソフィアは如何にも頭が痛いといった様子で眉間に手を添え、話を続けた。
「あの子、どうやら前に偶然見かけた『見知らぬ令嬢』が自分の妻だったってことにようやく気がついたらしいの。
何故急にミケのことを気にしだしたのかはわからないけど、イグナシオにとってミケはもう『あの平民女』じゃなくなったのは確かなようよ。
会ってどうしたいのかは本人もよくわかってないみたいだけど。
………でもねえ」
ソフィアはそこで言葉を切った。
「私は今、イグナシオはミケに会うべきじゃないと思っているの。
『あれだけ非道い扱いをしておいて、何を今更』というのが一番の理由だけど、私にはイグナシオが今のつらい現実から目を逸らそうとして、ミケに固執しているように見えるのよ。
大体、本当にミケに会いたいなら、先ずは自分の身辺をきちんと整理するべきでしょう。
あの子ったら、フロレンシアのことは愛人として囲ったままなのに、ミケに会ってどうするつもりなのかしら。
最近フロレンシアとうまくいっていないからとミケに興味が行っているのだとしたら、あの子のワガママのせいで2人の女性を不幸にすることになるわ」
それを聞いた使用人女性陣の眉尻が一様にキリキリキリ、と吊り上がる。
男性使用人たちはその様子から目を逸らし、落ち着かなげにソワソワした。
「それにね」
ソフィアは続ける。
「今2人が会うのは、ミケにとっても良くないと思うの。
あの子、イグナシオのことは何とも思っていないけど、まだ『お貴族様には逆らうな』と『良い妻にならなくちゃ』が抜けてないでしょう?」
使用人たちは顔を見合わせる。
「ミケが今、夫であるイグナシオに何かを頼まれたり、求められたりしたら、自分を犠牲にするようなことでも『良妻になるために』と従ってしまうんじゃないかと心配なの。
あの子がもっと自分を大切にできるようになって、相手が貴族であろうと夫であろうと嫌なことは嫌だと言えるようになって、『良妻』であることの本当の意味に自分でたどり着けるようになるまで、私は2人を会わせるべきではないと思うのよ」
「確かに………」
セバスチャンが重々しく呟いた。
「ですから」
ソフィアは背筋を伸ばし、女主人の威厳を漂わせる。
「皆の力を貸して頂戴。
あの2人がそれぞれ自分と向き合って、学ぶべきことを学べるように。
これからはミケの『家庭内非可視ミッション』は、私たちで引き継ぎましょう。
きっとここが、我がレイエス家の正念場になるわ。
あの子たちの未来のために、今は2人を会わせないことに協力してくれるかしら?」
使用人たちは一斉に頷いた。




