13 「若奥様はお隠れあそばされました」
その日の夜、ソフィアの部屋には、エンリケが高位貴族に人気の画家に、大枚をはたいて描かせたという彼の肖像画が届けられていた。
本邸に飾っておけということらしい。
別邸の使用人によると、日頃の不摂生が祟って最近体調が芳しくないとのことなので、流石の放蕩者もそろそろ何か後に残るものが欲しくなってきたのかもしれない。
それにしてもよくもまあ、次から次へと新しい無駄遣いの方法を思いつくものだ。
ソフィアが肖像画のエンガチョに鼻毛を描き込もうかどうしようか悩んでいるところへ、イグナシオが血相を変えてやって来た。
「母上!今日茶会にあの平民女を連れて行ったというのは本当ですかッ」
部屋に入ってくるなりイグナシオが吠えた。
「何です、レイエス家次期当主ともあろうものが騒々しい。
ええ、連れていきましたよ」
余程ムカッ腹を立てているのであろう、イグナシオは美しい額に青筋を浮かべている。
「何ということをしてくれたのです!
可哀想に、フロレンシアが半狂乱になって私のところへ訴えに来ましたよ。母上にひどい嫁イビリを受けたと。
母上があの平民女を連れて行ったら、周囲がフロレンシアをどんな目で見るか、どんなにフロレンシアが辛い思いをするか、考えなかったのですかッ!?」
ソフィアはアフリカ象並みに盛大にバッフォーンとため息をついた。
「は、母上!?」
「あのねえ。前に私がフロレンシアを茶会に連れて行ったときに、
『可哀想なフロレンシアを意地悪ババアの集まる茶会に連れて行くなんて正気ですか!?そんなことをして、フロレンシアがどんなに辛い思いをするか、わからなかったんですか!今度そんな場所にフロレンシアを連れて行くようなことがあれば、母上と言えど承知しませんよ!』
……とそこに立って喚き散らしたのはどこのどなたでしたっけ?」
ソフィアの反論に、イグナシオはグッと詰まる。
「そっ、それは………で、でもッ、だからといってあの平民女を連れて行くなんて………」
「茶会でのミカエラの行儀作法を気にしているなら、何の問題もありませんでしたよ。私がみっちり教えましたからね。
多少行き届かないところがあったとしても、貴族のマナーに慣れようと一生懸命頑張っている娘の失敗をわざわざあげつらうような人はいないわ。
それがあなたの言う『意地悪ババア』であってもね」
ソフィアは淡々と道理を説いて聞かせた。
うちの息子はいつからこんなに話が通じなくなってしまったのだろうと内心ガックリ来ながら。
「で、ですが、私やフロレンシアの立場が………」
「あなたねぇ。結婚から1年も経つのに、社交界の誰も伯爵家の新妻の姿を見たことがないせいで、今、我がレイエス家が世間様からどう言われているか知らないの?」
ソフィアの言葉にイグナシオはキョトンとなる。
「えっ?名門レイエスに陰口を叩くなど、そんな無礼者、いるわけが………」
「今、我がレイエス家は『カネに困って平民から持参金を巻き上げた挙げ句、嫁いできた花嫁を殺して古井戸に捨てた修羅の家』と言われているのよ!!」
「………!!!!」
イグナシオは絶句した。
※※※※※※※
言葉を失ったイグナシオに、ソフィアは社交界の無情を告げる。
「ちなみに、『裏庭に埋めた』バージョンと『屋敷の壁に塗り込めた』バージョンの噂も出回っているわ」
「な、な、な…………」
「私があの子を社交界に連れ出さなかったら、『伯爵家に消えた悲運の花嫁の死体を探せミステリーツアー』が組まれかねない状況だったのよ?」
「う、うう………」
項垂れるイグナシオを見て、ソフィアは小さくため息をついた。
「まあ、安心なさいな。今日の茶会の席で、私とミカエラとで皆様にきちんと事実を説明しておいたから」
「じ、事実とは……?」
「そのままよ。あなたが式の後にあの子に言ったこととか、ここであの子があなたからどんな扱いを受けているのかとか……」
イグナシオがハッと顔を上げる。
「なっ………あの女、母上や他の人間にその話をしたのですかッ!?」
「あら。人に聞かれたくないことをした自覚は一応あるのね。
私があの子に話すように言ったのよ。自分からそんな話をするような子じゃないわ。
それに、別に口止めもしていなかったんでしょう?
自分で真実の愛はフロレンシアだと言って回っているくらいだから、あなたはそんなこと気にしないと思っていたわ」
「あの女が言いふらすのは話が別ですッ!ああ、嫉妬に狂った女というのはなんと醜いことか……」
イグナシオの言葉を、ソフィアが聞き咎めた。
「嫉妬?誰が誰に?」
「あの平民女ですッ!私の愛がフロレンシアに向いているのを嫉妬して、母上を抱き込むなどという卑劣な真似を!」
「お黙り!!」
「ヒェッ」
ソフィアの瞳が怒りに燃える。
「私は誰にも抱き込まれたりしません。
あなたはもう少し自分の立場というものを考えなさい。
お父様を止められなかったことに責任を感じてこれまであなたのやることに口を出さなかったけれど、いつまでも駄々っ子のようにあの子に当たり散らすのをこれ以上見過ごすわけにはいかないわ。
だいたい、この結婚が不本意だったのはあなたの側だけだとでも思っているの?
………ミカエラはあなたのことなんか何とも思っていないのに」
ソフィアが何気なく付け加えたひと言に、イグナシオは雷に撃たれたようなショックを受けた。
「なっ、何ですって!?」
「あの子はあなたのことなんか屁とも思っていないって言ったのよ!」
「ば、ば、バカなことを言わないで下さい!平民ごときが、このレイエス家嫡男イグナシオのことを屁とも思っていないなどと………」
イグナシオは信じられないと言わんばかりに口角泡を飛ばす。
「あら、不満なの?じゃあミカエラにあなたのことは屁だと思うように言っておくわ」
「そういう意味ではありません!……もう結構です。私から直接あの女に身の程を弁えるよう言ってやります!」
「そう?頑張ってね」
足音も荒く部屋を出ていくイグナシオの背中に、ソフィアは「会えるもんならね」と小さく呟いた。
※※※※※※※
「セバスチャン!あの女はどこにいるッ」
セバスチャンが図書室で蔵書を整理しているところへ、イグナシオが怒鳴り込んできた。
「ハイ?あの女とおっしゃいますと………」
「あの平民女だ!あの女の顔など見たくもないが、もう我慢ならん!」
「ああ、若奥様ですか。若奥様はお隠れあそばされました」
事も無げに言うセバスチャンに、イグナシオの顔が青くなる。
「なっ………し、死んだだと………?」
セバスチャンがしまったという顔になった。
「これは語弊がありましたな。
若奥様はご健在ですよ。今屋敷のどちらにいらっしゃるかは存じませんが。
ご伝言があるなら承りましょう」
「………いや、いい。わざわざお前があの女を探すのを待つのも業腹だ。
同じ屋敷にいるんだ。そのうち何処かで会うだろう。その時は二度とふざけた真似はするなと直接ハッキリ言ってやる」
「左様でございますか。承知いたしました」
立ち去るイグナシオを見送って、セバスチャンは「まあ、会えやしませんがね」と低く呟いた。




