10 「お友達になれないかしら」
ソフィアは庭を見渡しながら当惑していた。
「若奥様探しなら、このパウラが凄腕です」
と、いまいち意味のわからない言葉とともにセバスチャンが連れてきた若いメイドの案内で庭に出たはいいが、人影は見当たらない。
ここには居ないのでは…?とチラリとパウラを見ると、彼女は
「あれー?絶対ここだと思うんですけど……」
と首を傾げ、大声で呼ばわりだした。
「ミケー?どこですか、ミケー!出ておいでー!」
ミケ……???とソフィアが混乱する中、イチイの木立ちに目を凝らしていたパウラが「あっ!」と叫んだ。
そして、足元に転がっていた大ぶりの松かさを拾い上げると、きれいなフォームでイチイの葉が生い茂っているあたりをめがけてビュッと投げ込む。
すると、「ぐあっ」と声がして、木の上から何やら緑色の塊が落っこちてきた。
「もうっ、ミケ!!木の上と屋根の上ではマジ昼寝禁止って、こないだあれだけアマリアさんに叱られたじゃないですか!」
「ゴメンゴメン……散歩してたら、イグナシオ様とフロレンシア様が来て、慌てて木に登ったはいいんだけど、あの2人、よりによって私のいる木の下で愛を語り始めちゃってさ……いやぁ話が長い長い。
降りるタイミングを計っているうちに、ついウトウトしちゃってそのまま……」
「気をつけなきゃダメですよ。落っこちたらどうするんです?」
「………イヤまさに今、パウラのせいで落っこちたんだけど………?」
ソフィアは、パウラと謎の緑色の塊の会話を呆気にとられながら見守る。
結婚式以来、実に半年ぶりの姑と嫁の再会であった。
※※※※※※※
その後、ソフィアの存在に気がついて慌てふためく緑色の塊を、彼女はこわごわお茶に誘った。
そして今、ソフィアの私室でアマリアに給仕してもらいながら、着替えを済ませて汚れを落とした『息子の嫁』と改めて向かい合っているというわけだ。
ソフィアは、神妙な顔でお茶に口をつけるミカエラを、ほぼ初めましての心境でじっくり観察した。
パッと見は、ごく平凡な栗色の髪の小柄な娘だ。
だが、その態度や仕草には、いかにも商人らしい練れたところと、年相応の明るい娘らしさが奇妙に同居している。
何よりも印象的なのは、その生き生きとした表情と、愉しげに躍っているダークブラウンの瞳だった。
ソフィアの懸念に反して、この不幸な新妻は自分の置かれた状況をむしろ楽しんで暮らしているらしい。
「………あなた、顔合わせと結婚式のときは、よっぽど自分に蓋をしていたのねぇ………」
まじまじとミカエラの顔を見ながら、ため息まじりにソフィアが述懐する。
「あのときは、父親同士の取引が主で、私の気持ちや意見は一切必要とされておりませんでしたから、ただ成り行きを見守っておりました。
これまでソフィア様がご覧になった私は、どちらもほとんど『無』の境地だったのかもしれません」
ミカエラはニッコリする。
ソフィアは苦しげな顔になった。
「私もあのときは、自分の無力さに疲れ切っていて、あなたにまで気を配る余裕がなかったの……本当にごめんなさい。
いくら我が子が可愛いからといって、あなたがあんなふうに扱われるのを見て見ぬふりをする理由にはならなかったわ。
今更何を言うとかと思うかもしれないけど、あなたに何があったのか、イグナシオに何を言われたのか、今どんなふうに過ごしているのか、教えてほしいの」
ミカエラは頷いた。
ソフィアは貴族だ。お貴族様には逆らえない。
ミカエラは順を追って話していく。
家を出る前に両親に言われた言葉、
聖堂でイグナシオに言われた言葉、
良妻になるにはどうしたらいいのか馬車の中で考えたこと、
そして、『家庭内非可視ミッション』。
「最近は随分自然体で隠れられるようになったし、使用人の皆さんにも良くして貰ってて、とても快適に過ごさせて頂いています。
これなら離縁まであと2年半、レイエス家の皆様のお目に触れることなく、どうにかご迷惑をおかけせずに暮らしていけるかと」
平然と話すミカエラに、ソフィアは頭を抱えた。
まさか、自分の息子がそこまでひどいとは思わなかったのだ。
持参金を巻き上げるだけ巻き上げて、うら若い娘の3年を無駄に奪った上で放り出すなど、そんなことが許されるとイグナシオは本気で思っているのだろうか。
顔を上げてミカエラを見たソフィアは、イグナシオの仕打ちを何とも思っていない様子の彼女を見て、ズキンと胸が痛んだ。
ああ、この子は最初から、私たちに何の期待もしていないのだ。
何をされても相手は「お貴族様」だから。
自分とは違う、「そういう生き物」だから。
ミカエラにとって、この結婚は課せられた「ミッション」で、伯爵家の妻であるというのは「役職」に過ぎない。
逆らわない。何も求めない。だが、歩み寄ることもない。
テーブルを挟んで座る2人の間に横たわる、厳然たる溝を垣間見た気がして、ソフィアはギュッと目を閉じた。
※※※※※※※
「……?ソフィア様?お加減でも……?」
不思議そうにこちらを伺うミカエラに、ソフィアは目を戻す。
「大丈夫、何でもないわ。
……いいえ、何でもなくはないわね。
私たちのせいで、あなたやご両親にとんでもない迷惑をかけたことをお詫びしなくては。
あなたは何とも思っていないのかもしれないけど、それでも謝らせて。本当にごめんなさい。
それに、レイエス家に嫁いできてくれて、こんな私たちのために頑張ってくれて、何より今、元気で笑顔でいてくれて、本当にありがとう」
頭を下げるソフィアにミカエラは驚く。
お貴族様に「謝罪」や「感謝」の機能が付いているなど、今日の今日まで知らなかったのだ。
混乱するミカエラに、ソフィアは持ちかける。
「とても遅くなってしまったけれど、許されるなら今からでも私たち……」
本当の家族になれないかしら、と続けようとして、ふとソフィアは口を噤んだ。
ソフィアがそう提案すれば、恐らくミカエラは断らないだろう。
ソフィアは「お貴族様」だから。
ソフィアの「嫁」であることは、ミカエラの「役割」だから。
だが、結局「それだけ」だ。
ミカエラが去るまでの2年半、2人はカギ括弧つきの「嫁」と「姑」であり続けるだろう。
ソフィアは考えた。
私はこの子と、どんな関係を築きたいのだろうか。私は、私の本当の望みは――――
「私たち、お友達になれないかしら」
「へっ!?」
思いあぐねたソフィアの口から飛び出したのは、ひどく荒唐無稽であったが、紛れもない彼女の本心だった。
思いもよらない提案に呆気にとられるミカエラの後ろで、アマリアも驚きに目を見開いている。
「驚かせてしまったわね。
でも、私は本当にあなたとお友達になってみたいと思っているの。お互いの身分や立場を離れてね。
これは、私にとっても新しい挑戦なの。
あなたも考えてみてくれないかしら。すごく難しいけど、とても簡単かもしれないわ」
そう言って、初めてソフィアはミカエラの前で笑顔を見せた。




