01 「顔も見たくない」
「貴様のような女、顔も見たくない」
純白の花嫁衣装に身を包み、小さな聖堂で生涯の誓いを立てた後、花婿に最初にかけられた言葉がこれだった。
着替えのため控室に戻ろうとしていた花嫁、ミカエラ・ベルトラン改めミカエラ・レイエスは、思わず足を止めて、夫となった男の顔を見上げた。
イグナシオ・レイエス。
遡れば王家の血筋に連なる旧家、レイエス伯爵家の跡取り息子である。
社交界では「端正な顔立ちの気品溢れる貴公子」などと謳われているらしいが、今、花嫁に向けている表情は怒りと軽蔑に歪み、評判の見目麗しさはいささか損なわれてしまっている。
と言っても、ミカエラの知っているイグナシオの顔と言えば、このしかめっ面だけだった。
ミカエラがこれまでに彼に会ったのは、結婚前の顔合わせと、今日の結婚式のわずか2回きりで、どちらの場でもイグナシオはこの表情だったからだ。
もしかしたら元々そういう顔なのかとも思ったが、顔合わせの場でも結婚式でも一言も口を利かず、こちらと目を合わせようともしなかったことを考え合わせると、この表情もまた、彼の「この結婚は不本意である」という意思表示の一形態なのだろう。
今も、自分は被害者だと言わんばかりの表情で目を逸らす花婿に、ミカエラは心の中でそっと、いや、どうせ心の中だけなのでアフリカ象並みに盛大に、バッフォーンとため息を洩らした。
イグナシオと同様、ミカエラにとっても、この結婚は「押し付けられた」ものであったのだから。
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ミカエラは裕福な商家、ベルトラン商会の娘だった。
裕福と言えば聞こえはいいが、ベルトラン商会はミカエラの父ホルヘが一代で築き上げた、いわゆる「成り上がり」である。
実際、暮らしに余裕が出たのはごく最近で、ミカエラも貧乏暮らしの経験の方が長い。
彼女は長女であったから、両親の仕事を手伝いながら幼い弟妹の面倒を見、成長してからは家計のやりくりも引き受けてきた。
一家で力を合わせてなりふり構わずせっせと働き、ようやく商売が軌道に乗って、そろそろ客層を平民や下級貴族から、中〜上級貴族にまで広げたいと考えていたときに持ち込まれたのが、由緒正しい名門だが金のないレイエス伯爵家との縁組だったのだ。
レイエス家当主のエンリケ・レイエス伯爵は、気位ばかり高い傲慢な男で、杜撰な領地経営が祟って家計が傾いても、豪奢な暮らしっぷりを改めようとはしなかった。
そのため、歴史ある伯爵家の経済状況は、彼の代で火の車どころか最早風前の灯火まで追い込まれてしまっていた。
進退窮まった伯爵は、ひとり息子のイグナシオを、貴族と繋がりを持ちたがっている商家と縁付かせ、多額の持参金と経済支援をせしめようと考えた。
しかし、大手や中堅どころの商家には「没落寸前の伯爵家が後ろ盾になったところで旨味が少ない」と軒並み断られてしまい、結局、新興のベルトラン商会にお鉢が回ってきたのだった。
ベルトラン商会側としても、高位貴族とのコネクションは欲しいものの、伯爵の強引な態度と法外な金銭の要求に二の足を踏まないではなかった。
とは言え、ベルトランの家訓は今も昔も「お貴族様には逆らうな」である。
大手の商会ならいざ知らず、いくら最近ノシて来たと言っても、ちっぽけなベルトラン商会など貴族の威光の前にあっては吹けば飛ぶような新参者に過ぎない。
これまで、貴族の気まぐれで同業者がひどい目にあわされたり、知り合いがさしたる理由もなく無礼討ちにされたりするところを目の当たりにしてきたホルヘは、「お貴族様には逆らうな」と改めて家族に言い聞かせ、泣く泣く多額の持参金としっかり者の長女を伯爵家に差し出すことに同意したのだった。
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そして本日、目出度く婚礼の日を迎えたわけだが、双方の家の損得勘定で成り立っている結婚に、何の熱が籠もるはずもない。
花嫁の意見も花婿の意見も聞くことなく、慌ただしく執り行われた式は簡素で、参列者もほとんどいなかった。
花嫁親族に至っては、エンリケの「平民の列席などみっともない」という主張で両親すら締め出されてしまっている。
ミカエラはひとりぼっちで式を終えた。
そして今、花嫁衣装を脱ぐ暇もなく花婿に罵られているというわけだ。
「父にとり入って、金で名門レイエスの名を借りようとする浅ましい商人風情が。私は貴様のような卑しい女、決して妻とは認めない。
そもそも私には将来を誓い合った真に愛する女性がいる。
金の力で私達の間に割り込もうとしたってそうはいかない。万が一にも私に振り向いてもらえるなどとは思わぬことだ。
当然、私は貴様を妻として社交の場に連れて行くつもりもない。商人あがりの女など連れ歩いてはレイエスの名に傷がつくからな。
父の手前已む無く結婚はしたが、3年後には『白い結婚』を理由に離縁する。だから、それまで大人しく屋敷の隅で暮らし、私と愛するフロレンシアの前に顔を出すな」
イグナシオは一方的にまくし立てると、「貴様など顔も見たくない」ともう一度吐き捨てて、足音も荒く立ち去った。
後に残されたミカエラは、先程花婿が嫌々嵌めた安物の結婚指輪が光る左手を顎に添えて「ぬう……」と低く呟いたのだった。




