騎士の胃痛の原因と奔放なお姫様
ユージンは今日も胃のあたりを軽く握りしめた。
自分が育て親から聞かされた、滅亡した王家の末裔であるという身分の重さも、その秘密を守るという重圧も、レティシア姫の常識はずれの行動に比べたら、ささやかな重みでしかない。
「我が騎士ユージンよ。私の愛すべき民のために、早くこの『勇気の石』を民たちの元へ運ぶのを手伝いなさい!」
(……は?また変なことを言い出したぞ。この頭がお花畑な姫さんは。)
華やかな部屋の奥から聞こえるのは、この句の末っ子姫の無邪気で屈託のない自信に満ち溢れた声だ。
ユージンが目を向けた先には、たしか宮殿の厨房の片隅に置いてあったカチカチに固くなった保存用のビスケットが入った木箱の山だ。
(なぜ俺が、このビスケットを『飢えた平民のための救援物資』として、しかもこの姫と共にこっそり城下へと運ばなければならないんだ?)
ユージンは深いため息をついた。皇室から支給された上級胃薬はもう効かない。
もともと身体が弱かったわけではない。義父から戦闘のノウハウは叩き込まれてきた。
本来なら大勢の宮廷騎士団に入隊するはずが、何の因果か、この末娘の護衛に抜擢されたのだ。
(このままでは、任務を終える前にこの姫の暴走で、先に胃に穴があいて殉職するかもしれない。)
ユージンはわざと人目につかない裏道を選んで、市場の片隅にレティシアを連れて行った。相手は皇女。連れ出すのも至難の業である。おまけに固いビスケットの入った木箱を抱えて。
木箱に入ったビスケット……。そのカチカチのビスケットをレティシアは『勇気の石』だと思い込んでいた。昔、乳母に読んでもらった古い絵本には、『勇気の石』を食べると肉体ではなく、心に活力を与えるそれはそれは聖なるものとして描かれていたのだ。
平民たちは自分の施しに感激のあまりに涙を流し、感謝するであろうというとんでもないことを考えていた。
レティシアはこのあたりで一番貧しそうな人住む場所が、一番施しを受けなければならないとユージンの心配をよそに、所かまわず散々うろついた挙句に町はずれにやってきた。
姫のはしゃぐ様子とは裏腹に、ユージンの脳裏には警報が鳴っている。
貴族の贅沢に不満を持つものがいる中で、宮殿の誰もが食べないような古物を恩着せがましく配るという行為が、どれほど危険かを彼は理解していた。
レティシアはユージンの制止を無視して、行き交う人々に向けて大声をあげた。
「皆さま!私は宮殿よりまいりました。この『勇気の石』は、明日への活力を与えてくれます。さあ、召し上がれ。」
まるで、三流の舞台女優のセリフだ。物珍しそうに集まる人々。食べ物が乏しいのか、有難く受け取る人。その中にもそういった行為をよしとしないものもいる。
日ごろ、おがくずや土の混じった粗悪なパンをかじっているものも多いのだ。
「ふざけるな!腹が減ってイラついているのに、こんな石ころのようなものが施しだと⁈」
怒鳴りまくる若者たち。思わずレティシア姫に詰め寄ってきた。ユージンは即座にレティシアの前に立ち
剣を抜くために構えた。若者はその姿勢にあわてて近寄るのをやめた。
「あら、それは石ころではないわよ。それは『勇気の石』よ。それを食べればお腹を満たすという事ではなくて、精神の試練に立ち向かう高潔な勇気を得られるのよ。」
お花畑頭の姫が何を言っているのかユージンはじめ周りの人間には分からない。しかし、ユージンは姫を守らなければならないのだ。
「精神だと?オレらは腹が減っているんだ。お前ら貴族はいつも旨いもんをたらふく食ってんだろ?」
(こいつらには姫の正体はバレていないが、この状況から姫を安全に逃がさねばならない。)
間に入ったユージンは静かに諭す。
「待ってくれ、この事態はあるじ主の本位ではない。これは陛下の命ではなく、主個人の善意なんだ。」
「これが善意だと⁈お前ら貴族にオレたちの飢えや苦しみが分かるものか!」
(貴族か……。)
ユージンはもはや冷静な対話は不可能だと判断した。
「……失礼。」
この一言と共に、ユージンは懐から自前の金貨を取り出し、若者たちめがけて投げつけた。
レティシアは金貨が若者たちの足元に散らばるのを見て、嬉しそうに手を叩いた。
「まあユージン、貴方って魔法使いなの?『勇気の石』の次は『光の金貨』なのよね?それは神が……」
レティシアの話を遮って、ユージンは大声をあげた。
「いいかっ!それは、王室なんかの金じゃないぞっ‼」
目の前に撒かれた金貨とユージンの言葉におどろき戸惑う若者たちを尻目に、ユージンはひょいとレティシアを抱えて、その場を離れた。
見事な逃走劇だが、この後彼の胃痛が酷くなったのはいうまでもない。
元名 ユキ シンヤです。
作品はこちらに移す予定です。




