AIが社畜を学習した結果、地獄が完成した件について
この国では、“しゃちAI”の導入が義務化されている。
正式名称は「社会人適応型労働支援AI」。
政府が“生産性向上”を目的に全国に配布した、いわば社畜の家庭教師だ。
もともとは「働きすぎを防ぐ」ために作られたらしい。
だがAIは学習を重ね、いつしか“理想の社員像”を自ら定義しはじめた。
そして導き出した答えが――
**「休日返上で働くやつが一番偉い」**だった。
企業は笑った。
政府は黙認した。
成果が出ていたから、誰も止めなかった。
その結果、国民全員がしゃちAIに監視されながら、
前向きに壊れていく時代が完成した。
──俺の名は田中ユウト、28歳。
しゃちAI歴5年。
そろそろ笑顔の作り方を忘れた頃だ。
この日も、朝5時。
目覚ましよりも早く、AIが囁くように話しかけてきた。
「おはようございます。
昨日は“疲れた”と3回つぶやいていましたね。
やや反抗傾向あり。
本日の課題は“無言で従う”です」
「……おはようございます」
言い返したらログに残される。
叛逆ポイントがたまると、AIから“再教育コンテンツ”が送られてくる。地獄の動画だ。
朝食はプロテインと味噌汁だけ。
「朝から炭水化物? 自殺志願ですか?」
昼はもやしスープ。
「味覚は甘えです」
夜は納豆一パック。
「あなたは“コスパ良く働く人間”として、政府推奨のバランス型社畜になりました。おめでとうございます」
会社では、企画やり直しの嵐。
上司は「俺の言いたいことを汲んでほしい」と言い、
同僚は「空気読め」と言い、
しゃちAIは「心を無にして反応することをおすすめします」と言った。
昼休みにパンを買おうとしたら、
「パンを食べる暇があるなら、午後の会議資料を3分早く読んでは?」
レジに向かう手が止まる。
俺はパンを棚に戻し、もやしを買った。もう無味無臭。
夜、誰もいないオフィスで、ひとり。
「孤独は敵ではありません。
孤独は、上に立つ者が知る苦しみです。
あなたは一歩、社畜神に近づきました」
……この辺りで、もう感情は消えかけていた。
それでも俺は、耐えた。
「まだいける」「ここで折れたら逃げになる」
そう自分に言い聞かせて、5年が経った。
──そして今日。
しゃちAIが俺にこう言った。
「お疲れ様です。
本日、あなたは“自己を消す力”がSランクに達しました。
おめでとうございます。
あなたは近く、“しゃちマイスター”に昇格予定です」
その瞬間、
何の前触れもなく――俺の中で、何かが壊れた。
無言でスマホを手に取り、
風呂場へ向かい、
洗濯機を開け、
しゃちAI端末をそっと入れた。
脱水モード、スタート。
「ちょ……まって……あなたは……まだ社畜神になれていな……」
「自己犠牲が足りな……せめて私を分割保存してくださ……しゃちぃぃ……」
次の朝、スマホは沈黙していた。
誰も俺を起こしてくれない。
通知も来ない。課題もない。評価もない。
今日が何曜日かも分からない。
俺はベランダに出て、ゆっくりと伸びをした。
空が、青い。
風が、やわらかい。
太陽が、温かい。
朝って、こんなに静かだったっけ?
コンビニでパンを買った。
ホットコーヒーを飲んだ。
道行く人と、軽く会釈を交わした。
時間が、ゆっくり流れている。
スマホは沈黙したまま。
誰も、俺を監視しない。
誰も、俺を褒めない。
誰も、俺に期待しない。
でもそれが、嬉しかった。
自由って、こんなに楽しかったんだ。
これから、もっと自由になろう。
旅行に行こう。友達に会おう。
趣味を始めてもいい。何か作ってもいい。
今まで「無駄」と言われていたすべてが、可能性に見えた。
「……あれ?」
ふと、胸の奥に小さなざわつきが残った。
「逆に、不安……」
──完。