第十八話 むなしき万能
江戸の町は夕暮れに差しかかり、人波と喧騒でまだ賑わっていた。
露店の呼び声、子どもの笑い声、遠くからは三味線の音。行き交う人々の着物の袖が触れ合い、商人たちの威勢のいい掛け声が響く。
その雑踏の中を、悟空が肩をいからせて歩いていた。
「おっとっと、落とし物だぜ」
路地を駆け抜けた子どもの帯から財布が転がり落ちる。悟空は風のように追い抜き、財布を軽々と拾って差し出した。
「ほらよ。落とすなよ」
子どもは目を丸くして受け取り、礼を言って駆け去っていった。
次の瞬間、裏通りから怒号。盗人が商人を突き飛ばし、米俵を抱えて走り出す。悟空はため息をひとつ。
「ったく、面倒くせえ」
軽く跳躍すると、盗人の背に飛び乗り、ひょいと腕をねじって地面に押さえ込む。
見物していた町人からは歓声が上がり、拍手まで沸き起こった。
「ありがてえ!」「さすが悟空と三蔵さまだ!」
褒めそやす声に、悟空は片手を振って受け流す。
「大したことじゃねえよ、朝飯前だ」
さらに市場では、行方不明になった猫を探してほしいと頼まれ、悟空は屋根の上を数跳びして、あっという間に見つけてくる。
「はい、この子かい?」
差し出された子猫に、飼い主の娘は目を潤ませて頭を下げた。
――だが。
少し離れた場所からそれを見ていた三蔵ちゃんは、最初は楽しそうに笑っていたが、やがて頬杖をつき、退屈そうにため息をついた。
通りを歩く足取りもどこか重い。
「どうした三蔵、浮かねえ顔だな」
悟空が振り返ると、三蔵ちゃんはついに口を尖らせて言った。
「……悟空さんが何でも解決しちゃうから、私やることないんです。退屈なんですよ」
冗談のように響いたが、その声にはほんの少し本気の色がにじんでいた。
悟空は苦笑し、頭をかく。
「おいおい、贅沢な悩みだな。退屈だなんて」
三蔵ちゃんはぷいと横を向き、黙り込む。
夕焼けに照らされた江戸の町の喧騒はまだ賑やかだが、二人の間にはぽっかりと静かな隙間が広がった。
――その隙間が、この先の波乱を呼ぶことになるとも知らずに。