誤解をといた、その結果
ーーーどうしたのだろうか。
目の前にいる3人を見て、リリアーナは首を傾げる。
まず、組み合わせ自体が謎であった。
一人は、幼馴染でもあるユゼル王太子殿下。
もう一人は、知人程度の関係性であるシュナ伯爵令嬢。
最後の一人は、現在この国に留学中である隣国のアルベルト皇太子殿下。
王立学園の卒業も間近に迫る頃、学年末試験も先日無事終了し、我々に待つのは卒業だけという気楽な身。
学園卒業とともに成人と認められるため、その準備は確かに大変だけれど、それが理由にしては、各々の浮かべる表情が違う気がする。
特に、王太子と伯爵令嬢の表情は非常に硬い。何かに追い詰められているのだろうかと疑うほどである。
そもそも、リリアーナを呼び出したのは王太子であった。空き教室に来るように言われ、教室に入ると既にこの状態の3人が待機していたのだ。もしかして、待たせたことに苛立っているのだろうかとも思ったけれど、王太子がそれくらいのことで怒ることはないと経験で知っている。
おそらく何か言いたいことがあったから、リリアーナをわざわざ呼び出したはずなのに、ーーーさて、この沈黙はどうするべきか。
とりあえず世間話でもして場を和ませようか、と考えた時だった。
王太子が意を決したような表情で、
「実は僕、シュナ嬢と婚約しようと思うんだ」
「まあ。それはおめでとうございます!」
「「「え!?」」」
「え?」
祝福の言葉を述べたら、なぜか驚かれた。
お互いに、お互いの顔を怪訝そうに見合う。……え、婚約するのですよね?それって、おめでたいことですよね?私、何か間違えましたか?
疑問で脳内が埋め尽くされる。しばらく沈黙が続いた後、王太子が恐る恐るといった体で口火を切った。
「……それだけ?」
むしろ、これ以外に何があると?
「……ええと、他に言うべきことがあるのでしょうか」
質問を返すと、「いや、その」と口籠った後、
「たとえば、その、反対とか……」
「いえ、特にございませんが」
あっさりと答えると、王太子はええぇと小声で狼狽える。一体なんだというのだろう。実は反対して欲しかったのですか?
すると今度は、伯爵令嬢が強張った面持ちで口を開いた。
「あの、リリアーナ様。もし他に何かおっしゃりたいことがあれば、わたくし、何でも受け入れます」
「いえ、特にございませんよ。強いていえば、王妃教育は大変かと思いますので、陰ながら応援しておりますね」
この国は一夫一妻制なため、王太子の妻になるということは、未来の王妃になることを意味する。
よって、王立学園を卒業した後も、彼女には王妃になるために必要な、あらゆる分野の教育が施されることだろう。
もしかして、その激励が足りないという話だったのだろうか。
そう考えての返答だったが、どうやらこれも違ったらしい。想定と違うと言いたげな瞳で見られる。一体私は何を求められているのだろうか。
「リリアーナ嬢」
「何でしょう、アルベルト殿下」
最後は、皇太子らしい。淡々とした中に少しの躊躇が見える口調で、
「リリアーナ嬢は、ユゼルのことをどう思っているのか?」
王太子をどう思っているとは……?
果たしてどのような回答を求められているのかは分からないが、素直に解釈して答えるならば。
「敬愛しております」
その瞬間、弾かれたように王太子が顔を上げた。
「いやそうじゃなくて!」
「まあ、ユゼル殿下。急に大きな声を出してどうされました?」
「それはごめん。でも大事なのはそこじゃなくて、僕のことをどう思っているかって話の方なんだ」
「それは、ですから、敬愛しておりますよ」
「そっちじゃない。臣下の答えの方が欲しいんじゃないんだよ、リリアーナ」
「あら、心外です。私が嘘を吐いているとお思いですか?」
ムッとすると、王太子は慌てて首を横に振る。
「違う、そうじゃない。そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて?」
「……僕のこと、その……えっと……」
よほど言い難いことなのか、目を泳がせる王太子。
モゴモゴと躊躇する王太子を見かねたのか、このままでは埒があかないと判断したのかは分からないけれど、皇太子が代わりに続けた。
「リリアーナ嬢は、ユゼルのことを好いているのではないか?」
「はい、それはもちろん。こう申し上げるのは臣下として畏れ多いことですけれど、人として好ましい方だと思っております」
「……俺の聞き方が悪かった。そうではなく、異性としてどう思うかと聞きたかったんだ」
異性として?
まさかの問いかけに、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「それは、恋愛感情という意味でしょうか?」
間違ってはならないと、念のため確認する。
すると、皇太子は1つ頷き、隣にいる王太子と伯爵令嬢は全力で首を縦に振った。
ーーー恋愛感情、か。
今までの人生を振り返ってみても、この方面について、誰かに聞かれたことも話したこともない。だから正直、口にする上で多少の躊躇を覚えてしまう。
だが今は、王太子や皇太子から問われているのだ。これは、臆さず正直に答えなければならない場面だろう。ーーーで、あれば。
「恋愛感情はありませんね」
「……今まで一度も?」
「はい。今まで一度もございません」
きっぱりと否定する。
むしろ私としては、なぜそうも疑われているのかが知りたいくらいだ。
だが、そんな私の気持ちとは裏腹に、目の前の3人からはいまだに疑うような目が向けられる。
「じゃあ、試験前に一緒に勉強しようといつも言うのは?」
「それは、王配殿下に頼まれていたからです。その、ユゼル殿下は幼い頃、あまり勉強に興味を示していらっしゃらなかったので……」
「では、リリアーナ様が度々殿下と同じ馬車で帰宅されるのは?」
「それは、女王陛下にお呼びいただいたからです。王族の皆様は、その、陛下以外は男性でしょう?私はユゼル殿下の従姉、つまり陛下の姪に当たりますから、昔からよくお声がけいただいているのです」
「では、夜会のときにユゼルへエスコートを頼むのは?」
「それは、陛下ご夫妻と私の両親に言われたからです。その、私は公爵家の娘ですし、先ほども申し上げたとおり、ユゼル殿下の従姉に当たります。殿下も私も婚約者がいない身ですので、後々問題にもならずちょうどよいと……」
どうやら、私の行動に誤解を生むものが含まれていたようだ。その点については反省したい。
だが、1つ目はまだしも、2つ目は王太子であれば分かることであり、3つ目は割と誰でも考え得る理由ではなかろうか。
それに、そもそもの前提がある。
「ユゼル殿下は、私本人の言動に色を感じたことがあるのですか?」
「それは…………よく考えたら、ないな」
「ええ、そのはずです」
何しろ、色を含めた記憶がない。
私と王太子の間にあったのは、ただひたすらに幼馴染としての、あるいは従姉としての関係である。
確かに、他の者よりも近しい間柄であるが故の振る舞いはあったかもしれない。けれど、その関係以上の振る舞いはしたことがないはずだ。
つまり、私と王太子の間には、どこまでいっても、幼馴染であり従姉弟の関係があるだけだ。
私と王太子の会話を見守っていた伯爵令嬢が、では、と両手を胸の前で握る。
「では、リリアーナ様は、わたくしのことを認めてくださいますか?」
「それは……ええ、私個人としては喜ばしい限りですけれど。ただ、一臣民として申し上げるならば、認めるかどうかといったお話は、王太子妃として立たれた後のものかと思います」
私と伯爵令嬢は、今までほとんど話したことがない。そのため、判断するに当たっての基準や内容は、どうしても客観的なものに頼らざるをえなくなる。
けれど申し訳ないことに、私は、これまでの学園生活で、彼女が優秀だという噂を聞いた覚えがないのだ。あえて挙げるのであれば、彼女と王太子が親しげだというものは耳にしたことがあるけれど、あれはどちらかというと批判的な内容であったし、王太子と親しいことだけで王太子妃にふさわしいという話にはならない。
もちろん、王太子としての教育を受け、次期国王として期待され認められている王太子が王妃にと望んだことそれ自体が、彼女への評価に値するという見方もある。
とはいえ、彼女が望んでいるものは、王太子ありきの賛同ではないのだろう。
そうなれば、やはり、今の段階で彼女を王太子妃にふさわしいと認めることはできない。
もっとも、私が認めようが認めまいが、王太子や国王夫妻が認めれば王太子妃にはなれる。
……まあ、国内において権力や発言力を持つ公爵家の者に反対されるというのは、あまり好ましくないとはいえ。
厳しいようだが、彼女の問いに誠実に答えるならば、どうしても今述べたような答えになってしまう。
落ち込んでしまっただろうか、と伯爵令嬢を伺い見ていると、皇太子から「リリアーナ嬢」と名前を呼ばれる。
それにしても、今までの学園生活を振り返ってみても、彼から名前を呼ばれたのは1、2回程度だったはず。
卒業の近づいた今になって、どうしてその回数を急激に増やしているというのだろう。世の中不思議なこともあるものだ。
はい、と軽く返事をしながら声の方へと体を向けてーーーギョッと目を見開く。
「アルベルト殿下!?なぜそのような……」
慌てて声を上げるが、自分を見つめる碧色の瞳の強さに言葉が途切れる。けれど、脳内は疑問符で埋め尽くされたままだ。
だって、どうして。なぜ彼は跪いてなんてーーー
「俺と婚約してくれないか」
「…………え?」
何を言われたのか、一瞬分からなかった。
今、彼は何と言った?
目の前にいるのは、隣の大国の皇太子。
一年間の期限付きでこの国に来た留学生。
話したことはほとんどなく、挨拶を交わす程度の間柄。
それなのに、彼は、今ーーー
「それは、私と婚約するということでしょうか?」
ようやく理解が追いつき始めたというのに、混乱する頭から出たのは、結局何の変哲もないただの確認だった。
それに対し、皇太子はしっかりと頷き、
「そうだ。俺は、あなたと婚約したい」
一切揺らぐことのない真っ直ぐな瞳に見つめられ、思わずその美しい碧色に魅入られる。
その一方で、どこか冷静な部分が、どうしようどうしようと騒がしく……していたので、つまるところ、冷静な部分など一つもなかった。
けれど、仕方ないだろう。
だって、婚約である。婚約を申し込まれたのである。
今まで、友人や知人から婚約の話を聞いたことはあれど、自分自身が当事者になったことはなかった婚約である。それも、あのアルベルト殿下にされるなんて。
アルベルト殿下といえば、我が国の何倍かも知れないほどの広大な大地を持ち、ありとあらゆる分野で周辺国の先をいく、豊かで栄えた国の皇太子である。
自分の国を貶すつもりは全くないが、現実として、1年間の留学とはいえ、なぜこの国を選んだのかが分からないほどの大国出身なのである。
もしかして何か裏でもあるのかと疑ったが、この国では力あるとはいえ、彼の国視点で考えれば、私の家に裏を見出すほどの何かがあるとも思えない。
それなら、用済みになったらペイッと捨てられるように?けれどそれなら、仮にも公爵家の者をわざわざ選ばないだろう。
だが、そうなってしまうと、この申込みは、本当に、純粋に、私と婚約したいからということになる。
……いや、でも、あのアルベルト殿下である。
容姿端麗で、文武両道で、もはや手が届くなどと考えることも烏滸がましいほどの高嶺の花である。
学園の女子生徒たちにも、彼を慕う令嬢は大量にいたけれど、それが実を結ぶなどとは可能性でさえ誰もが抱いていなかった。かくいう私もそうだ。彼と同級生以外の関係を結ぶなど、あまりにもあり得ないこと過ぎて、考えたこともなかった。
だって、何度も言うが、あのアルベルト殿下である。
彼が、私の婚約者になる?本気で?
婚約者ということは、将来的に婚姻を結ぶということで、つまり、それは、彼が夫になるということだ。
彼が、夫?私の?そんなの、そんなこと、……本当に?
混乱して、どうすればいいかと上手く回らない頭で、とりあえず目の前のこの引力から一旦離れないとまるで冷静になれない、と視線を何とか逸らしてーーー今度は王太子と目が合った。
王太子は、驚き過ぎてもはや悟りましたというような穏やかな表情を浮かべている。
きっと私と同じように、なぜ皇太子が私に婚約を申し込んだか理解できないのだ、と仲間を見つけたような一種の安心を覚える。理解できない同士が集まったところで何の助けにもならないのに、人間という生き物は、自分と同じ人を見つけると安心してしまうものなのだ。
すると、その穏やかな表情のまま王太子は口を開いた。
「ごめん、リリー。僕が間違えていた」
……はい?
「リリーは間違いなく、僕に恋なんてしてなかった」
「いや、……え?」
何の話だ。今気にするべきはそこではない。
「なんかもう、リリーが自分を好きだとか勘違いしていた自分が恥ずかしい」
「何の話ですかユゼル様」
思わず王太子に釣られて幼い頃の呼び方が出てしまった。
私たちは同じことを疑問に思っていたわけではなかったのか。どうしてそこに話が戻るのか。
そう思って尋ねるが、返ってきたのはきょとんとした顔だった。
「何って……。リリー、分からないのか?」
「分かるって、何をです?」
聞き返すと、今度は伯爵令嬢が微笑ましいものを見るような顔で言う。……だから何なのだ2人して。
「リリアーナ様。可愛らしい顔をなさっていますよ」
「……か、可愛らしい?」
「はい。とても可愛らしいです。ーーーご覧になりますか?」
そう言って差し出された鏡を覗き込むと、
「…………えぇ…」
そこにあったあまりもの光景に、両手で顔を覆って座り込む。淑女としてはしたないと言われようとも、この時ばかりは耐えられなかった。
だって、何この表情。何かの間違いではないのか。むしろ間違いであってほしい。……これが私?本当に?その鏡、壊れている可能性はありませんか……?
現実逃避のあまり、普段であれば疑いもしないことを疑いたくなる。
けれどそこへ、無情にもアルベルト殿下が追い討ちをかけてきた。
「ーーーどうやら、可能性はあるようだな?」
ハッとして顔を上げると、座り込んでしまったことで、より近づいてしまった距離。至近距離で合った、期待を含む彼の瞳。
きっと、さらに赤くなって説得力をなくした顔で、それでも私は、僅かばかりに残った矜恃を持って口を開いた。
「……か、考えさせてください」
けれどやっぱり、残っていなかったかもしれない。どうしよう。
ー後日談ー
「アルベルト。リリーと婚約するんだって?」
「随分と耳が早いな」
「まあ、リリーのことだから。それにしても、君とリリーが婚約するなんて、寝耳に水すぎると学園中が驚いているよ。卒業直前にして学園生活最大の衝撃をみんなに与えたな」
「卒業直前になったことは、俺にとっても望んだことではない。できることなら、もっと早くから婚約を結びたかった。……まさか、ユゼルに向けていたのが家族愛や友愛だったなんて、な」
「う、悪かった。でも、結果的に婚約したんだから、アルベルトくらいは許してほしい。僕は今、同年代の貴族子息から大量の抗議を受けているんだよ。『王太子と婚約が内定しているって話だっただろう!?』とね」
「なるほど。まあ、ユゼルの婚約者候補だと見られていたからこそ、リリアーナ嬢は誰とも婚約していなかったんだろうからな」
「リリーは、性別問わず同年代から絶大な人気があるからね。王太子という存在にみんな遠慮していただけで、もし、アルベルトと婚約しないまま僕とシュナ嬢の婚約を発表していたら、今頃熾烈な争奪戦が始まっていたはずだ」
「であれば、やはり、あの時立ち合わせてもらって正解だったというわけだ」
「そういうことになるね。……おっと、どうやらリリーが戻ってくるみたいだ……って、もしかして既に気づいていた?」
「リリアーナ嬢のことだからな」
「そっか。さすがだね。ーーーなあ、アルベルト」
「うん?」
「リリーはきっと、僕の力などなくても、彼女自身で幸せを掴める人だと分かっている。だけど、彼女は、僕の一番の友人で、家族で、大切な人なんだ。……だから。だからどうか、リリーのことを、よろしくお願いします」
「ーーーもちろんだ。俺の身に持つすべてで、生涯かけて彼女を幸せにすると誓おう」
「うん。頼みます。……じゃあ、また」
「ああ。またな、ユゼル」
ありがとうございました。