Ⅱ
朝レオンの家に行き、本や日記を調べ、夕方「灯火」に帰って手伝いをするというマックスとレオンの生活はしばらく続いた。
そのうちに10月も終わりかけ、レオンはカリストから引き継いだ遺跡の報告書をギーズ侯爵に送った。
だが肝心の「リーザニカ」という人物については相変わらず何もわからない。
マックスは居間の歴史書を読みあさっていたが、わかったのはざっくりとしか知らなかったこの地の歴史だけであった。もっとも前世を思い出してから読書が苦にならなくなった彼にとっては面白く、収穫のあるものではあった。
彼らの住んでいるギュズラ地方というのは元々ギーズ侯爵の先祖が独立して統治していた頃の国土であった。それが今から500年ほど前に、今の王朝「ブランシュロ」に臣下としてくだり、侯爵となってギュズラ地方もギーズ侯爵領となったのだ。その頃の領主は臣下になったことにより遠く離れた王都に住むことになり、ギュズラにはほとんど来なかった。
このくらいなら、マックスも知っていた。だがこれより前の歴史はほとんど知らなかった。
この大陸に人が住み始めた初めの年を王国歴元年として、歴史ははじまっている。やがて人が増えて地域ごとに秩序が完成し始めると、そこに特定の君主を頂いた国が生まれる。神話で説明されている所の、「神の木から三枚の葉が落ちて、国になった」というくだりである。
その三国のうち最大領土の国を「ベルシーム」、海に面した国を「アクィーザ」、田園に興った国を「ストロファル」と言った。しばらくは平穏に暮らしていたものの、極めてありがちなことにやがてこの三国は争うようになった。
争いの頂点と終焉はある三人の王位継承者の時代に唐突にやってきた。最大の領土を持つベルシームの王が王女一人を残して急死したのだ。
このエルネアという名の、大人しい王女は隣国ストロファルのリシャール王子と恋仲であった。このまま二人が、以前から取り交わされていた約束の通り、結婚していれば大した問題にはならなかったのだがそうはいかなかった。王族の結婚は一般人のそれに比べて多くの意味を持つもので、リシャール王子とエルネア姫の結婚というのはベルシームとストロファムの統合、ないしそれに近いものを意味していた。
それはアクィーザを統べる者にとってとりわけ不愉快なことであろう。アクィーザはストロファルより国力があり、隙あらば吸収してしまおうと考えていた。
野心家かつ辣腕家という評判だったアクィーザの女王は、ベルシームの王の死をむしろ好機とみなした。
彼女は跡目相続でまだゆれていたベルシームに軍を進め、制圧するという強硬手段をとった。眼前の問題で躍起になっていたベルシーム宮廷人たちは右往左往するばかりで役に立たず、王位継承者のエルネア姫は奪われた。
姫は悲しみのうち、アクィーザのアレクサンデル王子と結婚させられ、事実上ベルシームは滅んだ。勢いに乗ったアクィーザはそのままストロファルに攻め入った。
混乱の中、怒りと悲しみにさいなまれたリシャール王子がアレクサンデル王子に対する呪いの言葉を残して自害。彼の両親をはじめ王家の者はみな殺され、ストロファルも滅んだ。三国による争いの時代は終わった。だがアクィーザもその後三年ももたなかった。
アレクサンデル王子と結婚させられたエルネア姫は出産が元で死亡し、生まれた子供もすぐに死んでしまった。その後、反意のある臣下たちの手によって、女王とアレクサンデル王子は倒された。無論殺戮の手はかつてストロファルに下したように、親戚筋にも及んだことは言うまでもない。こうしてアクィーザもまた滅んだのだった。
死んでしまった人にとってはそれで終わったことだが、そこに生きている人にとってはここからが本当の争いの時代であった。
混乱を治めるほどの強い君主は現れず、人々は元からある小さな集団の中で暮らしていた。あちらこちらで、小さな国が興っては消え、征服しては征服され、乱立し、ある地域は君主を頂き、またある地域では自治をしていた。争い、むしろ混沌の時代は300年近く続く。
その後、現在のブランシュロの原型となった王朝が立った。現在の王都を中心として、この王朝は徐々に、ゆっくりと国土を広げ、今では大陸の大部分を支配するに至っている。
そしてこの新たな国が広がるにつれ、争いの時代は終わりつつあって、遥か昔の人々が理想としていた統一的で平和な社会が、一部で現実になっているというわけだった。
マックスたちが住んでいるギュズラ地方は三国時代、ストロファルの国土であった。ということは、レオンの家の裏手にある前の王朝時代の遺跡というのはストロファルの王族の宮殿の残骸といえるものなのだ。
別の本にはもっと詳しくこのことが書いてあって、それによると、この遺跡こそアレクサンデル王子を呪いながら自害したリシャール王子の宮殿だということであった。町の人が、遺跡には呪いがかかっていると言うのはただの作り話ではなく、一応このような根拠があってのことなのだ。
ストロファルが滅びた後、宮殿もほとんどが破壊され、残ったリシャール王子の宮殿跡もわずかの伝説が残ったのみでその存在はほとんど忘れられた。その後訪れた混沌の時代に、ギーズ家が支配者として立ち、この地域は比較的早い時期から平和を享受していた。
「ふぅ~」
マックスは拾い読みした本をパタンと閉じてため息をついた。この地の歴史、遺跡についてはだいたいわかった。面白いのだが、彼は勉強のために読んでいるのではないのだ。
ちなみに国名や王族の名前を見ても前世の記憶に引っかかる部分はない。ここは本当に前の人生とはかかわりのない世界のようである。前世の記憶で活用できそうな知識があればよかったのに残念だなぁとマックスは思った。
「リーザニカなんて人はどこにも出てこないや。まぁ、歴史書に出てくる昔の人じゃあんまり意味ないけど」
彼は立ち上がって本棚に今まで読んでいた本を戻して、次はどれを読もうかと背表紙をなぞりながら考える。
その時ドタドタと階段を駆け下りる音がしたと思うと、レオンが勢いよく居間に飛び込んできた。
「マックス!見つけた見つけた!」
「どうした?」
「リーザニカって人だ!ほら見てみろ!」
レオンは古びた本をテーブルの上に広げた。
「ここにリーザニカって人が出てくるんだ」
マックスは急いで開かれたページを覗き込むが、薄くなったインクと虫食いの部分を除いても、それを読むことはできなかった。それは何か記号のような、知らない文字で書かれていたのだ。
「…読めない」
「あ、そうか、そうだった。実はこれ先祖の日記なんだけど、これに使われてる文字って特殊なんだ。遺跡への道をオレたち管理者しか知らないのと一緒で、鍵と一緒に伝わってる日記用の文字だ」
「暗号みたいなものか?」
「そうそう」
「で、これにリーザニカって人のことが書いてあるのか?読んでくれよ」
レオンはうなずいてマックスの正面に腰を下ろした。
「え~と『王国歴8…』この辺はちょっとインクが薄くて読めねぇ。さすがにこういう所とか、虫喰ったりしてる所は読めない。それで…『王国歴8**年。6月*日。父の死により、我ジュリオ、鍵を継承する。この鍵はリーザニカ様より***。代々我が一族の血を持って継承すべきもの。遺跡はその血と鍵を持って封じられしもの、と聞く。父の死を聞きて、リーザニカ様は****来たり』この先は読めねぇ。ほら、インクがにじんで黒くなってる。下の方は破れてるし」
「ああ、本当だ」
「でも確かにリーザニカって書いてあるだろ?これより前の日記はさすがになくなってるから、これが家にある一番古い日記なんだ。この日記には時々この名前が出てくる。いいか…」
そう言ってレオンはその日記のほかのページを拾い読みした。そこからはリーザニカという人が特別遺跡を気にかけていて、時々この町にやってきていたこと、しかもひどく人目を忍んでいることがわかった。
「リーザニカって名前が出てるのはこの日記だけだ。このジュリオっていう人が書いた日記は他にもあるけどそれには書かれてなかった。でも似たような人の記述はあったから単に名前を伏せるようになったんだと思う。どうもお忍びで来てたって感じだし」
マックスはそこまで聞いて顔を上げた。
「前にお前が言ってたけど、その『リーザニカ』って姓かな?」
「この日記の話だけじゃわからないけど、オレもそう思う。どうも内容からしてここに書かれてるリーザニカって人はオレが報告書を送ってる王都の貴族だと思う。ちなみに、この日記に出てくる『リーザニカ』は女みたいだ。うちが代々鍵を伝えてるのと同じように、代々監視させてるんじゃないか?」
「でも、お前はその貴族のこと、何も知らないんだろ?」
レオンはため息をついた。
「オレ、何にも知らないうちに鍵を継承しちまった」
「うーん…貴族のご婦人が何でこんな田舎のいわくつきの遺跡にこだわるんだ?しかも今読んでた日記って、王国歴の800年代の物だろ?300年以上は前の話だろ?300年間も遺跡を監視させてそれだけでお前の一族に生活費やってんだろ?よくよく考えたらその貴族って相当金持ちでヒマを持て余してるんだろうな。そんなにここの遺跡が気になるんなら、自分たちが移住して見張ればいいのに、それもしない」
「そう言われれば、そうだな…」
「王都の貴族のことはおれは知らないけど、300年以上も前にこの遺跡に興味を持った奥方様かご令嬢の気まぐれで今も家から金を出すなんて、よく考えたら変だろ?でも現実としてはその『変』なことが今も続いている。ってことは変に見えて実は変じゃないってことだな!わかりやすく言うと、自分たちではない誰かに、ずっと、それこそ300年以上も、遺跡を監視してもらわなきゃならない理由がある。そう考えたほうが自然だな。しかもその『理由』たるや、何か特別な、一言では言えない秘密めいた『理由』だ」
「で」とレオンは勢いよく言った。「その理由は?」
マックスは首を振った。
「いい所まで来たと思うけど、おれがそんなこと知ってるわけないだろ?お前に聞こうと思ってたんだ」
「でもまぁ、少しは進歩したな。じっちゃんが言ってたリーザニカって人も、多分日記にあったリーザニカの子孫だろうし、後は報告書を送ってる王都の貴族と何とか連絡が取れれば、もっとわかるはずだぜ」
「あ~あ。その日記に出てるリーザニカって人に会えれば一番いいんだけど。300年以上も前の話しだし、無理だな」
レオンはその言葉にしばし硬直したのち、ハッと身体を震わせた。
「…い、今何て言った?」
「え?」
「今何て言った!」
マックスはレオンの反応に戸惑いながら繰り返した。
「300年以上前のリーザニカ本人に会えれば一番だなって…」
「リーザニカ…、確かにそうだ!」
「な、何だよぅ…」
「マックス、お前の言うとおりだ!本人に、この日記に出てくるリーザニカに直接会えばいいんだ!」
王子と王女が急に何人か出てきました。備忘録的に整理しておくと
ベルシーム(一番広い国) エルネア姫
ストロファル(田園地帯の国)リシャール王子
アクィーザ(海に面した国)アレクサンデル王子
ざっくりいうとエルネアとリシャールが相思相愛だったのをアレクサンデルが横やり入れたという悲劇です。