Ⅰ
ギーズ侯爵は先にギュズラに戻ったマックスたちのことをずっと気にしていた。また、まだ一度も会ったことのないリーザニカにこの際あいさつをしておくのが礼儀だろうと考えてもいた。というわけでマックスが書いた手紙が届けられるなり、すぐに彼らを城に呼ぶようにと使いを出した。
侯爵夫人も王都で評判の貴族を迎えるということで、話に同席することにした。二人ともうわさの魔女に興味津々である。
こうしてマックスたちはその日の夕方に、使いの者に連れられて侯爵の居城にやってきた。キャーライトは、いつもの籠に入ってマックスがつれていった。通されたのは以前と同じ客間だ。マックスたちが頭を下げると、侯爵は座るように促す。
彼の隣には侯爵夫人が座っていた。パレードなどで遠くから見たことはあったが、実際に近くで見ると、彼女は本当に美しく侯爵と並んでいるところは感動的でさえあった。
「やあ、久しぶりだね。こっちは妻のロゼだ。ところで、重要な話とは?」
「それに」と夫人はその響き自体が音楽的な声で言った。「リーザニカ様のお姿も見えませんわね。どうなさったの?」
「あのー、それがですねぇ…」
前置きなく切り込んでくる領主夫妻に、マックスはきまり悪そうに言った。レオンも困惑顔である。
「大変なことになったんだ!」
キャーライトは籠から飛び出して長いすの前のローテーブルの上に乗った。侯爵夫妻はひどく驚いたようだった。
「あ、この猫はリーザニカ様の飼い猫で、キャーライトって言うんです」
「例のうわさにあったしゃべる黒猫です。通称はキャット」
「…ああ、本当にしゃべるんだね…」
しゃべる黒猫のインパクトは絶大だ。侯爵夫妻が納得したところで、二人と一匹は王都を出てから奇妙な遺跡の空間でリーザニカが連れ去られたことを詳しく話した。夫妻は信じられないといったように聞いていたが、マックスたちの真剣な様子は疑うこともできなかった。
「…なるほど、ずいぶんと大きな騒動になってしまいそうだね」
一通り話を聞き終わってから侯爵は呆然としたように言う。さすがに話がすぐに呑み込めないのか、沈黙が部屋に満ちる。それを破ったのは毅然とした夫人の声だった。
「でも、そんな得体の知れない輩がギュズラの、しかもこの町に潜伏しているなんて許せないわ!この際討伐しましょう!軍を出して町の人を避難させる必要があると考えるのが妥当なのね?そのあたりは私が責任を持つから安心してちょうだい」
「は、はい!」
なんとも頼もしい言葉にマックスたちは緊張気味に返事をした。侯爵夫人はギーズ家の軍のトップである。彼女からこの言葉を引き出せたのはキャーライトの狙い通りだった。
「…しかし、少し納得がいかないな」
一方、侯爵は腕を組み直して言った。
「遺跡に潜んでいるリシャール王子というのは、ずいぶんと昔の歴史上の人物だ。そんな彼がなぜ遺跡に潜んでいるのか。何の目的があって、リーザニカ嬢を連れ去ったのか…」
「そうなんです。このことと、じっちゃ…祖父のこととは実はあまり関係ないように思えてなりません。祖父の事件は、ほんの偶然だったんじゃないかと思うんです」
侯爵とレオンの言葉にマックスもうなずいた。そしてキャーライトに向き直る。
「なぁキャット、いい加減に教えてくれよ」
「…教えるって、何を?」
「ここまできたらもう隠し通せないぞ。リシャール王子は、リーザニカ様と何の関係があるんだ?リーザニカ様とお前は、本当は何者なんだ?」
黙っているキャーライトに対し、さらにレオンが畳み掛ける。
「リシャール王子は、リーザニカ様のことをつれていく前に『エルネア姫』って呼んでただろ。どういうことなんだよ?」
「エルネア姫?」
ギーズ侯爵夫妻は驚いて合唱した。キャーライトはブルブルッと全身を振る。
「…わかったよ!全部話すよ!もう隠しても仕方ないからな…あいつの言ったとおりだ。リーザの本名はエルネアで、昔はあいつの恋人だった」
「リシャール王子の恋人のエルネア姫っていうと、ベルシームの最後の継承者・エルネア姫かい?」
「そうだ」
「確かアクィーザの王子と無理やり結婚させられて、お産がもとで亡くなったって悲劇のお姫様よね?」
「…死んでなんかねーよ」
侯爵夫妻の言葉にキャーライトはぶっきらぼうに答えた。
「死んだことにして逃げたんだ。それから名前を変えて、今までずっとずっと生きてきた」
「じゃあ、1000年以上生きてる魔女だっていううわさは…?」
「さすがに俺もリーザも1000年は生きてねーよ。ざっと800年ぐらいだな」
「しかし、なぜ君たちはそんな年月を生きられるんだい?それに、どうしてリシャール王子がこの町の遺跡にいるんだい?」
「問題はそこだ。ところで、お前らフェニーチェって知ってるか?」
「フェニーチェ?」
一同はそれがなんだかわからなかったのと、キャーライトが話題を変えた意図がつかめないことで、首を傾げてしばし黙り込んだ。
「…それは、もしかして神様の鳥のことかしら?」
侯爵夫人が思い出したようにつぶやき、今度はキャーライトのほうが驚いた。
「そうだ。その話どこで聞いたんだ?」
「とても小さかった頃、お父様に聞いたんだわ。話自体は覚えてないけれど…」
「父親に?…そういえば、あんたは確かここの生まれじゃなかったよな?」
「ええ。故郷のことはほとんど覚えてないけれど、私はルジーンの生まれですの」
キャーライトは納得した。
「なるほど。ルジーンにはまだ残ってたか。フェニーチェの話はもうこの国には伝わってない。俺とリーザが100年か200百年ぐらいかけて廃れさせたからな。ただ俺たちはルジーンには行ってないから、きっとまだ残ってたんだ」
「で、その話がキャットたちにどういう関係があるんだよ?」
マックスはじれったそうに言った。
「フェニーチェって言うのは侯爵夫人が言ったとおり、神の鳥のことだ。この大陸の神話は知ってるだろう?」
「天上にある神の木。その葉が海に落ちてそれが大陸になった。大陸の上に、無数の小さな木の葉が落ちて、生き物が生まれた。という話だね?」
「そうだ。で、その話にはオマケがあって、それがフェニーチェの話だ。フェニーチェは神の木に住んでいるって言われている鳥だ。神話の中ではフェニーチェが木から飛び立ったり戻ってきた時に木が揺れて葉が落ちることになってんだ。だから昔はフェニーチェが、あらゆる生き物の生死を司るって、信じられていた」
「それじゃあ鳥が神様みたいだな」
「フェニーチェを創って木に住まわせたのは神様だ。神様が創ったのは、その木とフェニーチェたちだけだ。それで神様自身と、神様が直接創ったものだけは命に限りがない」
「つまりフェニーチェは死なない?不死鳥ってことか?」
「でも神話だろ?」
マックスとレオンが口々に言う。キャーライトは続けた。
「俺とリーザが実際に若かった頃、ざっと800年前はあれがフェニーチェなんじゃないかって言われている鳥がごくごくまれに、本当に飛んでたんだ。光の具合で色んな色に見える、でかくて綺麗な鳥だぜ。綺麗で珍しいから吉兆だって一般的に言われてたけど、飛んでる方角とか時間とかで凶兆にも解釈できるから不吉な鳥だって言う奴もいた。今はもういないけど」
「それは本当にフェニーチェだったのかい?」
「本当のところは誰も知らなかっただろうな。でもあの時代はみんなあれがフェニーチェだって信じてた。あの鳥の血を飲むと、フェニーチェと同じように死ななくなるって言う話もあったぐらいだ」
「…まさか!」
「…あれが本当にフェニーチェだったのか、俺にもわかんねぇ。でもあの日、俺とリーザはフェニーチェだって信じられてたその鳥の血を全身に、た~っぷりと浴びちまった。あの状況じゃあ、飲み込んでもいただろうな。そしたら俺はこんな風にしゃべれるようになった。それから不思議なことに、俺たちはほとんど年を取ることもなくなって、今日まで生きてるんだ。それにあの日、あそこにはリシャールの奴もいた」