Ⅰ
マックスは間近で領主を見るのが初めてだったので、思わず見とれてしまったがレオンに足を蹴られて慌てて彼にならって頭を下げた。
侯爵はうわさに違わず美男子だった。
くせのついた金の髪を後頭部ですっきりとまとめ、背が高くて爽やかな印象である。ただの優男にみなされがちであるが、碧の瞳からは犯しがたい威厳があふれている。家の中ということで簡単な服装をしていたが、非常に存在感があった。
侯爵は親しみをこめた微笑を浮かべて立っていたが、二人が顔をあげると急に笑い出した。二人はなぜ彼が笑うのかわからず、まばたきをしながら突っ立っていた。
「やあやあ!二人とも、急に呼び出して悪かったね。お祭りの最中だったのかな?そこの鏡を見てみたまえ!」
マックスとレオンは侯爵が指したほうを見た。そこには全身が映る大きな鏡があって、振り返った二人の姿がしっかりと映っていた。それを見て二人も笑い出した。
鏡に映ったマックスは妙に古びた印象の幾何学模様の、袖が長い外套を羽織っていた。大きな幾何学模様は一般的に老齢者の礼服によく使われる図柄だ。それも手入れがあまり行き届いておらず、鮮やかな赤色もくたびれた布の感じを隠しきれていなかった。
一方レオンは成人男性用の典型的な晴れ着で、模様は変ではなかったが大きさがまるで合わない。全体にだぼだぼしているにもかかわらず、裾や袖が短く間抜けな印象だった。
出かける際にマリアに着せられたものだが、彼女も突然のことで混乱していたのだろう。冷静に見るとあり得ない装いだった。
「ええっと、その、これは母が…」
マックスは何度も舌をかみながらこんな服で来た理由を説明する。それを聞いて侯爵はまた笑った。
「母君のお心遣いには痛み入るよ。帰ったらよくお礼を言ってくれ。それから今度私が呼んだときは普段着で構わないともね。私は君たちの普段着を薄汚れているなんて考えないよ。みんな立派に働いている、その証拠じゃないか。領主として誇りに思うよ。それはそうとして、本題に入ろうか。座りたまえ」
彼はそう言って長椅子に腰を下ろした。二人はそれと対になっているもう片方の長椅子に緊張気味に座った。
「それで、レオン君、手紙は読んだよ。カリスト殿が亡くなった件で私に話があるそうだね?」
手紙ではカリストの怪死には触れず、ただ亡くなったことについて内々に話があると書いただけだった。
「いや、本当に残念だった。私も幼い頃ロゼと一緒に何度か遺跡の見学に行ったことがあってね。あの人には親切にしてもらったよ。色々昔話を聞かせてくれたのが面白かったな」
「お葬式の際には花を贈ってくださってありがとうございました」
それを聞いてレオンは少し驚いてマックスのほうを見た。彼は葬式の時放心状態であまり記憶がなく、侯爵から花を贈られていたことに気づいていなかった。その時の礼状は代わってオーガストがしたためていた。
「本当は私も参列したかったんだけどね…。ロゼに領民に騒がれでもしたらレオン君に迷惑だって言われてね。花を贈ることにしたんだよ。それで、カリスト殿についての話とは?」
「…実は、大っぴらにはしてませんが、じっちゃ…祖父は、殺されたんです」
「何だって!殺された!これはずいぶん物騒な話だ。一体どういうことなんだ?」
二人はカリストが死んだ日のこと、レオンが「灯火」にやってきてマックスと共にレオンの家に行った時のことを話した。その日を思い出したレオンは途中で言葉につまり、その大部分はマックスが話した。
マックスはその後カリストの死が普通ではなかったこと、襲撃者について念入りに調べたこと、しかし何の手がかりも得られなかったことを説明した。
「…確かに、話を聞く限り普通の出来事とは思えないね」
一通りの話を聞いた侯爵は言った。
「それで君たちは今もギュズラに、あるいはこの町にカリスト殿を手にかけた人物がいると思うのかい?」
「それは、わかりません。でも実は一つだけ、そいつにつながるかもしれない手がかりがあるんです。カリストさんは死ぬ間際、遺跡の鍵を取り出して『リーザニカ様』に渡せって言ったんです」
「リーザニカ?」
「そのリーザニカという人は」とレオンがようやく話し出した。「1000年以上生きてる魔女っていううわさで有名な王都に住む貴族だと思うんです。その人はきっと祖父が報告書を送っていた貴族と同一人物ですよね?」
「そうだよ」
侯爵はあっさりうなずいた。
「リーザニカ嬢は王都に住んでいて、ずいぶん前からギーズ侯爵家を通じてあの遺跡の管理を依頼しているんだ。魔女といううわさがあるのも事実さ。ただ本人は自分がここの遺跡にかかわっているということを公にしたくはないのだよ。だからレオン君は王都に住む貴族というだけで誰に報告書を送っているのか知らなかったんだろう?」
「はい」
「それがわかれば話は簡単だ。ここから先は私の手には負えないからね。君たちが直接リーザニカ嬢に会えばいい」
マックスとレオンはえっと言って長椅子の上で飛び上がる。
「直接会うって、でも侯爵様…」
「安心したまえ!王都になら私が連れて行ってあげるよ。実は近いうちに王都へ行く用事があってね。ロゼは行きたくないと言っているから私一人で行かなければならないんだ。何せこの前まで戦争に駆り出されていたからね。もう城を留守にしてニコラス…息子から離れるのは嫌だと言っているんだ。あれも母親だからそう思うのは仕方ないけどね。でも私だって嫌なのだよ!断れればいいんだが、そうもいかなくてね。面倒だが仕方がない。一人で行こうと思っていたのさ。でもそれでは道中ヒマだからね。君たちも一緒に連れて行ってあげるよ。ああ、旅費の心配なら無論必要ないよ」
「えっ!本当にいいんですか?」
「君は領主の言葉が信じられないのかい?」
「いいえ」
「では決まりだな。リーザニカ嬢に会う件は早いほうがいいだろうから近いうちに出発しよう。旅の仕度をしておきたまえ」
思ったより話の進みが速かったので、マックスは慌てていた。
「あ、あの、おれも、行くんですか?」
「マックス君は王都に行ったことはあるのかい?」
「いえ、ないです」
「ではいい機会だ。さっきも言ったとおりお金もかからないし、リーザニカ嬢に会うついでに観光してくるといい」
「いや、その、そうじゃなくて、家は、宿屋で、家を空けられるかわかんないんで…。それに遺跡とかリーザニカ様との話はレオンが中心なんで、おれは特に行く必要はないのかなって思って…」
レオンはつまらなそうにマックスを見たが何も言わなかった。
「でもカリスト殿の最期の様子、特にリーザニカ嬢の話を聞いたのは君だし、レオン君はさっきもそうだったけど、このことに関して話すのがつらいことも多いから君も行った方がいいと思うな」
侯爵がそう言っている間、レオンはしきりにうなずいてマックスを見ている。
「それに私もそうだけど、こういう大切な話は詳しく聞きたいと思うからやっぱり二人とも行くべきだ。リーザニカ嬢にとっては遺跡の話は特に重要だろうからね。宿屋は誰か人をやって君の代わりに働いてもらうことにしようか。従者全員を連れて出かけるわけにはいかないから、誰か手が空くだろう。こういう約束なら安心してもらえるかな?」
「あ、はい。ありがとうございます」
侯爵は優雅に微笑んだ。
「旅は人数が多いほうが楽しいよ。これで私も気分よく王都に行けそうだ。後日、人を遣わせて詳しい話を知らせるから、とりあえず旅の仕度をしておきたまえ。そんなに待たせはしないよ。故人の希望は速やかにかなえなくてはいけないからね。では、ごきげんよう!」
「ありがとうございました」
侯爵が出て行ったあと、二人は反対側の扉から客間を出た。客間を出ると彼らをここに連れてきた案内人が待っていて、来た時と同じように二人を「灯火」に送って帰っていった。
帰ってきた二人を真っ先にマリアが出迎えた。彼女は侯爵からどんな話があったかを非常に気にしていた。マックスはその話をする前に服装について侯爵から笑われたことを伝える。言われたマリアはそう言われればおかしかったねぇ、と今更気づいて笑い出した。
マックスはため息をつきつつ、近いうち侯爵に連れられてレオンと一緒に王都に行くことになったと伝えた。レオンはカリストの件で手がかりがつかめたのもマックスのおかげだから、彼がしばらく「灯火」を離れることを許してほしいとマリアとフェルナンドに頼み込む。二人は難色を示したが、侯爵の所から人を派遣してもらえるというので納得した。
旅支度はその日の夜から始めた。夕食後、厨房の片付けを手伝ったマックスは部屋に戻ると、オーガストから借りた旅行用のカバンに衣類を適当に詰め込む。同じように食堂の片付けをしていたレオンが戻ってきて長椅子の上で毛布にくるまりながらその様子を眺めていた。今日は客が多く、客室が埋まってしまったのでレオンはマックスの部屋に転がり込んだのだった。
「なぁレオン」
「何だ?」
「王都ってここよりも寒いのか?」
「そうだな…。ここより少し寒かったかな?ここは風が冷たいけど、むこうは雪が降るんだ」
「雪だったらこの町にも降るだろ」
「まぁ、そうだけど、こっちより降るかな?これから寒い季節だし、覚悟しておいたほうがいいぜ」
「ふぅ、そうか…」
「ま、何にしても、お前には本当に感謝してるぜ。これで事態は一歩前進だ」
「しかし、ちょっと信じられないな。おれがまさかこんな形で王都に行くことになるなんて」
「まったく、お前が侯爵様の前で家を空けられないから行けないかもしれないなんて言った時には焦ったぜ。確かにオレはお前にずいぶん迷惑かけてっけど、最初にあきらめるなって言ったのはお前だろ?最後までつきあってくれよ?じっちゃんに何が起きたのか、オレも知りたい!」
「ああ、そうだ!」
「よーし、オレも明日は家に戻って荷物を確認してこなきゃな。そうだ、久しぶりに森の手入れもしておくか」
「遺跡がある森の?」
「そうそう」
「手伝おうか?」
「一人でやってみる。いつまでもここにいるわけにはいかねーし、ちゃんと仕事を引き継いだって思いたいんだ」
マックスはうなずいた。
「お前がそう思うのが、カリストさんにとっても一番いいはずだ」
領主と領民の距離が近いギュズラですが、ことさら侯爵が親しげなのは、侯爵様とカリストさんが顔見知りだったから、という設定です。
鍵の継承者が昔は町の代表者だった名残…ってイメージです。