Ⅳ
レオンが手紙を出してから三日ほど経った。
その日二人はレオンの家には行かず、朝から「灯火」で雑用をこなしていた。リーザニカという人物については調べがついたし、ここしばらくマックスは家の仕事をしてなかったし、レオンは部屋を借りているので何もしないのは悪いと思っていた。
昼過ぎになって仕事が一段落したところで、昼食を取っていた彼らは入口の受付にいるオーガストに呼ばれた。
「お客様じゃ。ギーズ侯爵様の使いだと言っていたぞ」
「わかった。この前レオンと手紙を書いたんだよ。カリストさんのことで手がかりが見つかったんだ。きっとそのことだな」
入口まで行くと、マックスたちと同年代ぐらいの姿のいい若い男が立っている。彼は二人を見ると手紙を出したレオンとマックスというのは君たちですか、と言った。次いで極めて義務的にレオンが持っている遺跡の鍵を確認した。
「侯爵様がお目にかかりたいとおっしゃったのでお迎えに上がりました」
「え?今からですか?」
「はい。心配はいりません。長くお引止めしませんから。夕方にはお送りします」
マックスとレオンは顔を見合わせた。
「けっこう早いな」
「ああ。ところで、二人で行ったほうがいいのかな?」
「侯爵様は詳しい話をお聞きになりたいとのことですので、ぜひお二人を連れてくるようにとおっしゃいました」
「わかった。ちょっと待っててください!」
マックスとレオンは奥へ走っていって、マリアに侯爵様に呼ばれたので出かけてくると言った。マリアは驚いたがすぐに、そんな薄汚れた服で侯爵様の御前に上がるのはとんでもない、と言い出してどこからかオーガストとフェルナンドの、年一回着るか否かと言う礼服を取り出してきて、手早く二人に着せる。
「な、何か変な感じ…」
「レオン、大きさがあってないぞ」
「マックスだって、柄があってないぜ?」
「いいから!あんな汚れた服よりましでしょ?侯爵様に失礼のないようにね」
マリアはそう言って二人を送り出した。彼らを連れて行く使いの者は奇妙に着飾った二人を見て笑いをこらえているように見えた。
同じ頃、侯爵の城ではこれから遠乗りに出かけるという侯爵夫人を侯爵が息子と見送っていたところであった。
夫人のロゼは際立って美しい人である。キラキラと陽光を反射する銀の髪、淡い青の瞳、大理石のような白い肌、画家や詩人はいつも彼女を女神にたとえていた。
今その美しい侯爵夫人は乗馬服に身を包み、黒い愛馬に颯爽とまたがり、主人の馬についていこうと必死になっている従者たちを引き連れて遠乗りに出かけたところであった。
彼女はギュズラの生まれではなく、山の向こうの「ルジーン」の貴族の娘であった。しかしルジーンと言えば時々ギュズラに攻撃を仕掛けてくる「敵国」である。
というのも、20年ほど前ルジーンの貴族であったロゼの父は失脚して政治の世界から追われ、貧苦に落ちこんだ。祖国に愛想尽かした彼は山を越えて亡命することを選ぶ。だが山越えはつらく、命からがら、ギーズ侯爵領に入った時にはロゼと彼女の父が生きていたのにすぎなかった。この時ロゼはわずか4、5歳ほどだったので生き残ったのは本当に奇跡だといえよう。
この親子は、本来ならば処刑されてもおかしくない状況であった。しかし伝統的に「人がいい」先代のギーズ侯爵は彼らの身の上話を聞いて哀れに思い、食客として迎えたのだった。
密偵ではないかとどこかで疑っていたかもしれないが、山越えの無理がたたってロゼの父はすぐに死んでしまったので、その疑惑もいつしか忘れられた。
ところで、パトリックは結婚して侯爵家を継がねばならない。そうなるとロゼをいつまでも保護するのは難しかった。
しかし王都によりつかず、そこに人脈がほとんどないギーズ家の息子の花嫁探しは、娘の花婿探しも同様、いつの時代も困難だ。ロゼの場合も事態は変わらない。亡命貴族の、しかも孤児である彼女にはきちんとした後ろ盾も持参金もなかった。
この面倒だが避けては通れない問題を最も簡単に解決する方法はパトリックとロゼが結婚することであった。当人同士はさほど意識してなかったものの、ごく自然にそうなると思っていたようであるし、先代の侯爵が熱心に話を進めた。彼はロゼを引き取った時からこのことを考えていたのかもしれない。
こうしてパトリックとロゼは結婚した。幼い頃からギーズ家にいて、家の中も領地のことも熟知し、早くに亡くなったパトリックの母のかわりに家の中を切り回していた彼女は、これ以上の花嫁は見つからないという評判だった。
彼女がギーズ侯爵家にとって欠かせない人物である理由はもう一つある。それは彼女の軍事的な才能だ。
内向的でのんびりとしているパトリックとは対照的に、ロゼは幼い頃から「おてんば娘」の評判をとっていた。
絵画や音楽にはあまり興味を示さず、馬を乗り回し剣や弓矢をおもちゃがわりにしていた。愛読書といえばギーズ家に伝わる兵法書だった。先の戦争で軍に参加したレオンの話では、夫人は剣の達人だという。もっともこのような話はあくまでも軍での彼女の顔であり、家庭の中ではごく普通の妻と母親の顔も持っていた。
侯爵家が抱える軍は昔に比べれば規模が小さくなったものの、その評判は従来通りで、ロゼは騎士団長としてこの軍を指揮している。女性が軍のトップというのは今はさほど珍しくもないが、この話はギュズラ以外の地域でも有名だった。
指揮官としての彼女はまっすぐすぎることが欠点になっているが、彼女の片腕としてよき理解者として、それを補い支えている副官はパトリックであった。これもまたギーズ侯爵夫妻の仲むつまじい様子を伝える有名な話である。
夫人の出発を見送った侯爵は自分の書斎に戻った。何通かの手紙に目を通し、そのうちの何通かに返事を書いく。そこに執事が入ってきた。彼は侯爵が生まれる前から先代に仕えている忠勤者で、侯爵は彼のことを親しみをこめて「叔父上」と呼んだりもしていた。
「パトリック様」と執事は呼びかけた。
彼はどうしてもかつての主人の息子を「旦那様」と呼ぶことができないのである。
「お連れするようにと申し付けられました領民が参ってございます」
「ああ、わかった。ありがとう。客間に通してあるね?」
「はい」
連れてこられたのはマックスとレオンに他ならなかった。綺麗に磨かれた床の上に居心地悪そうに立って、辺りを眺めている。さほど豪華ではない質素な客間だが、二人にとってはその広さだけで驚くに十分だった。
「この部屋って、おれの家の食堂と同じぐらいはあるよな?」
マックスは「灯火」の食堂を思い起こして言った。
「厨房も含めて、って意味か?」
「そう。こんなに広いのに何でこんなに片付いてるんだろう?」
「それが贅沢ってやつじゃね?」
そこに彼らが入ってきたのと反対の扉が開いてギーズ侯爵が入ってきた。
結婚前の侯爵夫妻だったら不遇な令嬢が溺愛される系ストーリーの主役張れそうですよね。が、このお話ではすでにハッピーエンド後の生活といったムードになってます。