Ⅲ
マックスは三回ほどゆっくりと瞬きをしてから、急に笑い出した。
「おいおいレオン、どうした?何考えてんだ?本人に直接会う、だって?冗談だろ?子孫に、だろ?」
「いや」
あくまで真面目な顔でレオンは言った。
「本人に、だ」
「バカな。300年以上も前の人だ」
「そうだ。でもその人が300年どころじゃなくて、1000年以上生きているとしたら?」
「はぁ?」
「そうだ、何でリーザニカって聞いた時にすぐに思い出さなかったんだろう?ぶっとびすぎで忘れてたぜ。それはきっとあの人に違いない!」
「何の話だよ?」
レオンは真剣な表情でマックスに向き直った。
「オレがここに帰ってくる前、はやり病にかかってしばらく病院に隔離されてたって話はしただろ?」
「ああ」
「あの時、隣の部屋の傷病兵と仲良くなってよく話したんだ。そいつは王都の出身で王都の話を色々してくれた。その中に、魔女の話があったんだ」
「魔女?何それ?」
「表向きは学者って肩書きで王宮の一角に住んでるんだけど、何十年経っても年をとることなく、1000年以上生きているってうわさらしい。人の言葉を話す黒猫を飼っていて、こいつも同じように1000年以上生きているって言われてる。表面上は王宮に閉じこもって歴史書のあら捜しをしているらしいけど、実は国王陛下を陰で操って国を動かしてる。いにしえの秘術を使いこなし、面白半分に歴史を作って楽しんでいる、とまぁこんな話だった」
「そんな人が本当にいるのか?」
「ここら辺じゃ誰も知らないけど、王都じゃ知らぬ人はいないっていう話さ。社交界にも出入してて、実際に見たことのある人もいる」
「で、そのご長寿さんの名前は?」
「リーザニカ。話の内容に気を取られすぎて、名前をあんまり覚えてなかったから、聞いてもすぐに思い出せなかったんだ」
「それは姓か?」
「わからない。でも一般的にそう呼ばれてて、本人もそう名乗ってるらしい」
「年は?」
「詳しくは誰も知らない。何年も年をとらないで生きてるってのは本当らしい」
「男か、女か?」
「うわさでは妖艶な美女だ」
マックスは信じられないといったように首を振った。
なんだそれ?この世界ってそんなファンタジックな場所だったのか?いや違うだろ。
「気をつけたがいいぜ、レオン。話ができすぎだろ」
「でも、今のところ手がかりといったらその人しかないだろ?リーザニカって名前だし。その人が本当に1000年以上生きているかどうかを別にしても、会ってみる価値はあると思う。じっちゃんの言ってた『リーザニカ』がその人じゃなかったらその時はその時でまた考えればいいさ!」
マックスは好奇心に押される形でうなずいた。
「ところでその人に会うにはどうすればいいんだ?」
レオンはちょっと考えてから顔を上げた。
「オレはギーズ侯爵様に頼むしかないと思うんだけど…」
「侯爵様に会うにはどうすればいい?」
「手紙を書いて話を聞いてくれるよう頼んでみるさ!侯爵様にはいつも報告書を送ってるんだし、軍に参加した時に会ったこともある。ただ侯爵様は忙しいから、失礼にならないようにまず執事にあたってみるか」
こうしてその日のうちに侯爵家の忠実な執事に宛てた手紙が書かれた。マックスとレオンが何度も推敲を重ね、ようやく満足のいくものを書き上げたときにはもう日が暮れていた。手紙は翌日の朝一番に、いつもカリストが報告書を送っていたのと同じように、レオン自ら城の門番の所に持っていった。
ギュズラ地方というのは元々「ストロファル」の国土であったがそれは「アクィーザ」によって破壊され滅ぼされた。その「アクィーザ」もすぐに滅び、しばらくは混乱の時代があった。ギーズ家はその混沌とした時代の中に登場し、徐々に、だが確実にこの地域を統一し始めた。
彼らは穏やかだが勇気があり、同時に忍耐強くもあった。争いの時代に荒れ果てた土地も、凝り固まった人々の心も辛抱強く慣らし解きほぐしていった。ギュズラ地方は本来の豊かで穏やかな田園地帯の風景を取り戻し、遠い地方ではまだ争いと混乱の時代が続いているというのに、人々はここでは平穏な暮らしを享受していた。
200年もすればギーズ家が王としてこの地域に君臨することに反対する者はいなくなり、むしろそれを望まれさえしたものだった。
もっとも代々のギーズ家の当主がすべて「いい君主」であったわけはない。暴君というのも時々出たが、そういう君主はすぐに追い出され、家督は親戚筋に移りながら引き継がれていった。
ギュズラを治めた大部分の当主は飛び抜けて有能でも無能でもないといったような、どちらかといえば凡庸で「人がいい」ことが取柄の領主であった。領民はみなこの愛すべき支配者に感謝と尊敬を捧げ、その支配が続くように祈りさえしていた。
だが単に「いい人」だけではこうも長く支配は続かない。ギーズ家の支配が続いたもう一つ重要な要因があった。それは軍事力である。
ギュズラ地方の北側には標高の高い山々が連なっている。ギーズ家の支配はこの山脈には及んでおらず、山脈は国境の役割を果たしていた。その向こうには一般的に「ルジーン」と呼ばれる国があって、昔からたびたび山を越えてギュズラ地方に攻撃をしてくるのであった。
この国はかつてのベルシームやストロファルとは接点がなく、現在のブランシュロとも繋がりがなく、山脈の向こうで独特の文化を発達させた独立国としてだけ知られていた。というのも山脈を越えるのは容易なことではなく、時々攻撃を仕掛けてくるとあっては積極的に関わろうなどとは思わないのが普通である。
「ルジーン」の攻撃はギーズ家にとって最大の悩みの種であった。彼らは自衛のために軍隊を組織して襲撃に備えることにした。一族の中には軍事的な才能を持つ者も多く、領民たちの防衛意識も高かったので、ギーズ家の軍は強かった。実戦に基づいた訓練など、その伝統は襲撃がまれになった今なお受け継がれていて、小規模にはなったがやはり実戦に強いという評判である。
ギュズラに住む人々にとっては心強いギーズ家の軍事力は、その他の人々にとっては脅威そのものであった。もっとも「いい人」であるギーズ家の当主たちは自衛以外にその力を使うことなど考えてもいなかったのだが、平和から長らく遠ざかっていた他の地方の人々には彼らの「平和的な」真意は理解できない。
特にかつてのベルシームの一部に興り、徐々に大陸を支配しつつあった現在のブランシュロの原型となった王家にはことさら危険に映った。彼らはギーズ家がいつ攻撃を仕掛けてきてもおかしくはないと考えていた。
ギーズ家はこのまま敵対視され続けると、やがてギュズラの平和も壊されると感じていたので、先手を打つことにした。すなわち交戦の意思は無しと表明して、領土を保障してもらう代わりに、ブランシュロ王家の臣下に下ることにしたのである。
こうしてギーズ家は侯爵として臣下に下り、王家から要請があればその軍事力を提供した。
ブランシュロに下って後の何代かの当主、またはその家族はギュズラを離れ王都で暮らしていたが、穏やかで人がいい歴代侯爵たちは不思議といつまで経っても宮廷の雰囲気に馴染まなかった。根本的に合わないようだった。それでも一角の勢力を持ったこともあったが、あるとき何かの陰謀事件に巻き込まれ、嫌気がさしたのだろう、王都の屋敷を売り払ってギュズラに帰ってきてしまった。
長らく当主が留守だったにもかかわらず、主人にいつも忠実な代官や勤勉な領民たちによってギュズラ地方は平穏な生活が保たれていた。それ以後のギーズ侯爵はもっぱら領土に引きこもって王都にはよりつかなくなり今に至る。
代々のギーズ侯爵はこのことから、出世欲のない変わり者として、同時に人がいい領主として好意的に見られる一方、侮りがたい軍事力を持つ将として警戒されているのだった。
レオンたちが会いたいと思った人物はまさにこのような伝統の延長にある人物であり、現在の当主パトリックはまだ若いが、ギーズ家の伝統的な気質なり、評判なりをすでに備えていた。