06 清楚な文学美少女はその名を呼んだ
ちょうど「あわゆき姫」の棚より少し手前に、あの日と同じ清楚な白いブレザー姿。真剣な眼差しで本を見詰め、手に取ってぱらぱらとめくり、また戻す。
その美しい横顔のシルエットに、思わず見惚れてしまう。
どうする、声をかけるべきか。それとも、気付いてくれるまで待つか。……いや、俺のように十人中十人が「いいひとそう」以外の印象を持たない系男子のことを、聖女様たる彼女が憶えているものだろうか?
とは言え、こっちから声をかけるためのハードルは雲の上までそり立っている。
そうこうしているうち、彼女の姿は本棚の列の奥へと消えていった。
まずは、落ち着こう。こんなときはやっぱりシマエナガさんだ。俺にハードルを飛び越える白い翼を授けておくれ……!
彼女の後をさりげなく追いながらスマホを開くと、お昼にチェックしたなろうのユーザーホームがそのまま表示される。
実は今日は、更新した時間が良かったのかPVがいつもの二倍あった。そのおかげもあってか、ブクマが三件も増えていた。一日の最高記録だった。
せっかくなので、画面をスワイプして更新してみる。
〝感想が書かれました
……ごくり、唾を飲み込む俺。そうだ、ここでヤツがいつものようにディスってくれたなら、落ち着けるかもしれない。我ながらおかしな思考だと自覚しつつ、震える指先で赤文字をタップする。
そこには期待を裏切ることなく、ricebirdの感想が書き込まれていた。
▼良い点
主人公が聖女に向ける叶わぬ想いの心理描写が秀逸。繊細で、切なくて、胸に響いた。
▼一言
投稿時間もいつもの深夜じゃなく、今回のように人の多い朝か昼か夕方のほうがいい。
たくさんの人に読まれた方が、きっと物語も喜ぶから。
投稿者:ricebird
「……え……」
静寂のなか、思わず普通の音量で声を漏らしてしまった。数人の利用者がこっちをチラ見して、すぐに目を戻す。
言羽さんにも聞こえてしまったのだろう、いちばん奥の本棚の向こうから顔だけひょこっと出し、俺の顔を見て目を丸くして──それから微笑んで会釈してくれた。
硬直する俺に向かって小さく手招きし、その美しいお顔は棚の向こうに消える。
──たくさんの人に読まれた方が、きっと物語も喜ぶから。
言羽さんが「あわゆき姫」を譲ってくれた時の言葉。印象的だったからよく憶えてる。
それとまったく同じ言葉をricebirdが……いやそんな馬鹿な。もしかすると何かの小説で使われたフレーズを、たまたま二人が同じところから引用したのかも知れない。
二人とも「あわゆき姫」をおすすめにしているのだから、好みも似ている可能性が高いし。
ためしにフレーズを検索してみる。……何ひとつ、ヒットしなかった。
もしかすると二人は知り合い……いや、「この本を知ってる人に会ったことない」と言っていたから、その線もないだろう。
そこで思い立って『ricebird』で検索してみる。企業やお店の名前が並ぶなかに、見覚えのある小鳥の画像が表示されていた。
……ちょっと……待て……
翻訳してみる。
▶ricebird
名詞:文鳥
彼女のカバンの名札付きマスコットも、文鳥だった。
いやいやいや、でも、ありえない。そんなワケない。だけど、これはもう本人に確かめてみるしかない。
一番奥の本棚の向こうで、彼女は待っていた。
貸出不可ラベルが貼られた、分厚く古びた文学全集の並ぶコーナー。蛍光灯の灯りが本棚に遮られて少し薄暗く、そして甘い香りが微かに漂う。
藤田くん──俺は自らの足で、清楚領域3メートル以内に足を踏み入れてしまったよ……。
「申し遅れました、わたし、文月 言羽といいます。聖条院女学館の三年です」
とつぜん始まる小声の自己紹介──あふれる育ちの良さと、文学少女感がさらに増幅されるフルネームにたじろぎつつ、どうにか「鈴木です、二年です」とだけ伝えた。彼女の方がひとつ、年上だった。
「……読みました?」
続けて彼女は、俺の顔を下から覗き込むように問いかけてくる。
「あ、この場所はめったに人が来いないから……ときどき文芸部の後輩と、ここで内緒話するんです。何のお話かは秘密です」
それから、いたずらっぽく笑った。こんな顔もできるのか。新しい表情を見るたび、可愛いの最高値が更新されていく。
だけど、今は確かめなきゃいけないことがある。
「読みました。あの日のうちに一気に読み切りました」
「わあ、うれしい……! ちなみに、どんな感じでしたか……? 感想とか……」
俺は、いちど深く息を吸って、頭の中を整理する。そして。
「はい……やわらかで読みやすい文章で、展開の面白さにはぐいぐい引き込まれて……描写されている景色はくっきり脳内に拡がるし、登場人物たちも生き生きと話して、動き回って……」
最初はにこにこしながら聞いていた彼女の表情が、少しずつ驚きに変わっていく。
「……そして最後にすべてがひとつに繋がって、世界をひっくり返す快感と感動の渦……!」
俺が聞かせた感想は、ricebirdに感想返信で伝えたのとほぼ同じ内容だった。彼女は両手を口元に重ねて、白い肌を桜色に染め、レンズの向こうの長いまつ毛を震わせている。
「もし……かして……壊崩 狩刃さん?」
彼女がおずおずと口にした、そのすさまじく厨二めいて恥ずかしい名前こそ──俺の「小説家になろう」における作者名だった。
【ほそく】作者名はよく考えて決めましょう……。
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