プロローグ
五時半を告げる音が響く。
俺はベンチから腰を上げ、食べかけのグミの袋をズボンのポケットに突っ込んだ。
この音が流れたら、公園を出ること。それが俺たちが遊ぶ時のルールだ。
俺は、ベンチの横に停めていた自転車のサドルを上げて、公園の出入り口へと向かった。
「帰ろ、心美」
心美はこくりと頷くと、ベンチから降りた。手にはピンク色の風船が握られている。ちなみに、膨らませたのは俺だ。
「よし、行こ」
心美の鞄を自転車の籠に入れ、家への道を歩き出す。
カラスの鳴き声が聞こえる。見上げると、空は赤く染まっていた。まるで、ブラッドオレンジジュースがこぼれたような赤色に。
「なんかオレンジジュースみたいだな。家にあるかな。ね、心美……あれ?」
後ろを振り返ると、ついてきていると思っていた心美が居なかった。
不審に思って今来た道を戻る。すると、公園の出入り口に人影が見えた。夕陽の眩しさと最近、不安定になってきた視力のために目を細めると、その人影が徐々にはっきりと見えてくる。
「……心美、何してんの?……え」
駆け寄り、尋ねる。が、俺は言葉を詰まらせてしまった。
「何で、泣いてんの?」
心美が泣いてるところなんて、初めて見た。生まれた時から見ているのに。何より女子に泣かれるのは苦手だった。
「大丈夫、なんかあった?」
「……風船」
「風船が、何?」
「……せっかく、くうちゃんに貰ったのに、飛んで行っちゃったぁ……」
心美の手元を見ると、先程まで握られていた風船が無くなっていた……の、だけど。
……これ言ったら怒られるかもしれないけど、小三にもなって泣いてる理由がそれ?
俺がそんなことを思っている間にも、心美の大きな目からは涙がこぼれ落ちている。
「え、それだけ?」
「……え?」
「いや、泣いてる理由。お前がちゃんと持ってなかったのが悪いんだろ?」
「だって、だって!虫飛んできたからびっくりしたんだもん!!」
心美は珍しく声を荒げた。
珍しい心美の様子に驚いてしまい、うまく言葉が出てこない。なんとか頭をフル回転させる。
「はぁ……まあ、風船なんかその辺で配ってるし。別に無くしても困らないだろ。どうせ萎むんだしさ。ほら、帰ろ?母さんたち心配するし」
我ながらナイスフォローだと思った。のに!
「……くうちゃんのバカ!」
心美から返ってきたのはその言葉。俺の幼馴染は普段こんなこと言うやつじゃないのに。特に、バカなんてこと言うやつじゃないのに。
心美は俺を睨むと、走って先に帰ってしまった。
そして、取り残された俺。呆然とするしかなかった。
「何が……だめだったんだ?」
しかし、考えても答えには辿り着かず、俺は重い足を動かして自宅へと向かった。
十三年経った今でも、この時心美がなぜ怒ったのかは、全く分からない。