釣りと夕暮れ
短いエッセイですが、秋の夕焼けに想う感傷というか哀愁というかを表現できたらなと思い、参加させて頂きます。
秋は夕暮れ
そのような言葉から始まる随筆を、昔むかーしの偉くて賢い人が残しているみたいだが、残念ながら私はカラスが山の寝床に飛んでいく姿を見て「いとあわれ」や「いとおかし」と思える感性は持ち合わせてはいない。
だが、夕暮れのそれも海の水平線に沈む夕陽は好きだった。
私は釣りが好きで、以前は良く海釣りのそれも磯釣りが大好きで、沖磯によく行っていた。
磯釣りの多くは早朝からの釣行が多いが、私は夕方から瀬に上がり翌朝までの夜釣りを好んで行なっていた。
だから、水平線に沈む夕陽を良く見ることがあった。
その夕陽をじっと見つめ続けるという事は釣れていないということであり、あまり釣りとしては良い状態じゃないのだが10分から15分ほどかけて海に溶けていく夕陽を見ると、どこか安堵とお疲れ様とでもいう気持ちが自然に浮かぶものだった。
海の水面に沈んだ太陽の輝きが鮮やかなオレンジや紅色、あるいは朱といった赤を基調とするグラデーションを雲が受け止め、視界一面に艶やかな世界を映し出す。
頬を潮風が撫でて、磯の香りと共に通り過ぎてゆく。
耳に聞こえてくるのはザッザッーという潮騒のみ。
嗚呼、アニュイ……
おっさんの戯言である。
でも、そうなるんですよ本当に!
で、そんな感じで自分の世界に入っている時にウキがシュパーと入って竿を立てるタイミングを逃して魚に逃げられちゃうぞというのが私の釣りパターンでした。
そのようなときに限って大物なんだよな。
でもあれは絶対にフグとか食えない魚に違いないと思うか、あるいは、そうじゃ無くても美味しくない魚のはずだと断定するようにしていた。
でも、もしかしたら…… という気持ちもあるわけで、急いで新しく仕掛けを作り直して再び投入するも、そこから朝までまったくウキが変化しないってこともあったなぁ……
哀愁って自分のための言葉だろうって、帰り途中の魚屋のレジの前で思うこともあったよなぁ。
このようなしみじみと想う事を「いとあわれ」とでもいうのだろうか……
魚屋の 前に出で立つ 釣り人の 気持ちも空に 秋の夕暮れ
え?
なんか、おかしい?