第三話
――今、コイツは何を言った?
何でもないことのようにサラリと語ったが、その内容が自分達三人だけでなく、この場にいる者全て……いや、この創作界隈どころか種族を問わず全ての世界に存在する者にとっての〝禁忌”であることが、理屈ですらない直感を超えた“真実”であることをリーダー格は強制的に理解させられてしまった。
彼だけでなく、二人の仲間や鍋の中の企画参加者達……そして、同じく煮込まれている魔物達ですら、これまでの雰囲気が嘘のように立場も種族も超えて絶句していた。
そんな空気に構う――どころか、気づいてすらいないかのように、猗音は講義を続ける。
「あの〝釘”は常に回転し続け止まることを知らない。存在を歪められた者・物はその周囲でなんの目的も終着点もないまま、常に他の同様に歪まされたモノと融合したりしながら、変質を繰り返しているだけなんだ。……古の人々は、その光景を見て『アレは、全てを飲み込みながら巨大化する〝闇”の化身だ』と判断したし、〝釘”によって歪まされた存在に触れたモノも連鎖的にその効果に巻き込まれるという意味では『巨大化する』という表現もあながち間違ってはいないんだが……」
そこから、はぁ……とこれまでの様子からは珍しく、わかりやすいため息をつく。
「周囲に纏わりついていた歪みしモノを少し削ぎ落したり、〝釘”の回転速度を少し落とせたくらいで『〝闇”を討伐した』と言い張るのはいくらなんでも誇張しすぎだ。全然科学的じゃない。……現在、〝闇”の知識や技術として出回っているものや〝釘”のデッドコピーも全て、本体の周囲で歪み続けているものの表面の薄皮一枚剥いでやっと手に入ったような代物だし、〝釘”は創作界隈の奥底に廃棄されただけで今も回転を続けながら周囲を歪めている。――間違っても〝アレ”は君達が利用するどころか、マトモに認識する事すら出来ない代物だよ」
――冷や汗が止まらない。
恐怖が全身を駆け巡っていたが、それ以上に……いや、だからこそなのか、絶叫するかのような気迫とともにリーダー格の男が猗音に言葉をぶつける――!!
「そのような禁忌にも等しき情報を、何故貴様が知っている!?この街に生きる創作者ではないようだが、だったらなおさら!部外者である貴様がそんなことを知っているはずがないだろうッ!!」
それは詰問、というよりも、『今の発言が全て嘘であると言ってくれ』という懇願じみたものだった。
だが、科学者を名乗る者は容赦なく一切の嘘を交えることなく、真実を突きつける。
「何故知っているのかと言えば……実際に見てきたからだが?」
何でもないことのように告げられた衝撃的な発言。
それを受けて、会場内にいる全ての者達が愕然とする。
リーダーが二の句を告げなくなっている中、今まで黙っていた陰気な目出し帽の男が絞り出すような声で詰問する。
「……そんな、訳がないだろう!!――貴様の情報が本当に真実なら、そんな〝禁忌”を目にした時点で、認識を通じて理性も人格も全て歪み、正気など瞬時に消え去っているはずだ!!……だが、貴様は!平然とした面をしながら生きてるだろうが!!」
そんな男の発言に対しても、特に気分を害した様子もなく猗音は答える。
「“見る”という言葉は存外無責任な行為でね。こちらに全くその気がなくても視界に入った時点で認識してしまう。それはすなわち、視点で捉えた対象による視覚的な影響を強制的に受けることに直結する。……そういう事態を避けるために、私は剝き出しの情報を裸眼に直接入ってくるのを防ぐこの特別製の眼鏡を愛用しているのさ」
そう言いながら、眼鏡をクイッと上げる。
そんな彼女を見て、禿光会の三人が押し黙るのとは対称的に、企画参加者達がどよめき始める。
「なるほど……猗音さんはそういう認識汚染系の相手に対するフィルターとしての眼鏡利用路線か~。ベタと言えばそうだけど、王道だしこれもやっぱアリだよね!」
「あのオッサンどもの言う通りに、全人類が眼鏡をいっせいに放棄したら、そういう危機に全く手出し出来んまま終わっちまうって事だよな!?……やっぱ、俺達の眼鏡ラブ♡は間違ってなんかなかったんだ~~~!!」
「……アレ?でもそうなると、猗音さんってもしかして、視力の入ってない伊達眼鏡ヒロインである可能性が出てきた……ってこと!?」
鍋内が騒がしくなり始める中、猗音はフフッと口の端から自嘲気味の笑みを漏らす。
「……もっとも、この眼鏡が防衛手段として有効に機能するのは心霊やら怪奇現象くらいの段階まで。あの概念兵器とでも呼ぶべきあらゆる存在を歪める〝釘”には思わず笑いたくなるくらいに全く通じなかったがね」
そう言うや否や、ピシ……ッ!という音とともに眼鏡にヒビが入り、瞬時に粉々に砕け散っていく――。
「――ッ!?」
その光景を見て皆が絶句するが、調子を崩すことなく「また代わりのを新調しないとな」と口にする猗音。
そんな彼女に、リーダー格がワナワナと震えながら叫ぶ。
「そ、それならばなおさらありえない!!ならば何故、貴様は"闇"を直視していながら正気を保てている、んだ……」
そこまで口にしてから、勢いが落ちていく。
正面から対峙していた彼は、場当たり的な言葉では覆しようのない"真実"を強制的に凝視させられる形となっていた。
眼鏡を外した瞳の奥――それは、明らかに人間のものではなかった。
見るだけでおぞましさを感じさせる色彩と、人工物じみた無機質さが渾然と混じり合ったあまりにも自然の生命から逸脱した眼光。
……あぁ、間違いない。
眼前にいるこの瓜子 猗音と名乗るナニカが告げた通り、"見る"というのは本人に自覚がなくとも影響を与える無責任な行為に他ならないのだと――。
リーダーと同様に、二人の仲間も短くヒュッ、と喉の奥から声を漏らしながら固まっていた。
そんな男達の様子を眺めながら、猗音は軽やかに問いへの答えを返す。
「――君達が見ているものが全ての答えさ。私という存在は"釘"の効果など関係なしに、最初からその在り方が歪んでいる正真正銘の"怪物"なんだよ」