火手
[火手]という武術がある。
半島発祥の武術とも言われるが、その由来は、技術的には手技に重きをおく空手に足技主体のカポを足したような技術的には特殊なものは無い平凡な武術であった。
だがこの武術の特筆性は、精神性にあッた。
なんとこの武術は、退がることがない。
前方向にしか進まない、後ろに退がったら負けの超攻撃型の武術なのだ。
発祥当時、自ら掛けた過去の呪いに未来を閉ざされた半島の一青年が、友人であった島の青年と協力して作り上げた当時は新興の武術であった。
この武術の理念は、前しか見ない、後ろは振り返るな、前進あるのみ、世界全体がこの武術発祥の地であるとした。
であるから、創始者である二人の青年の名前すら伝わっていない。
この攻撃一辺倒の、武術としては偏った武術は、常に未来、前しか見ない精神性の高さ、発祥を全世界とした視野の広さ、懐の深さから、瞬く間に世界へと広がった。
また、後ろに退がれない、攻撃しかしない、戦うには明らかに不利な制約を補う為、あらゆる技術が考案され、[火手]は改良されていった。
考案された技術の一つが、どんな体勢からでも攻撃できる手足、体幹を極限まで鍛え上げたバランストレーニング[千日手]である。
これは、[火手]を履修する上での基礎項目とされ、この基礎技術を習得すれば、いかなる態勢からでもバランスを崩すことなく、攻撃可能となる。
しかしその習得は難しく一生を掛けて履修する基礎とされた。
また一撃で相手を鎮める必要がある為、一撃必殺の爆裂掌と言う技が考案された。以後、攻撃の主体とされ、これは身体中の気を掌に集め、手の平が触った部位を爆発させるまさに必中必殺の技である。
つまり[火手]使いと対戦する際は、両手に拳銃を持った者と対戦することと同じと言われた。
触られたら爆裂して死ぬのだ。
無手なのに、対戦するリスクは島の刀使いと同視される程の危険とされている。
その危険性から同門の対戦はタブー視されるが、もし敵対関係にあり、対戦せざるを得ない時は、練習試合と見なされ、後ろに退がった方を死んだと見做し、負けを受け入れることを入門時に約定させられる。約定は幾つかあるが破った者は、破門であり技を封印される。
[火手]は、武術的欠点と制約の厳しさがありながらも、自由な気風と武徳とも言われる精神性の高さから、今では、世界十大武術の一つに数えられている。
何故僕が、今こんな[火手]の話を思い返しているかというと、…いるのだ。火手使い独特の気の気配を感じる。
しかも、何人もいる…少なくとも二人。
火手使いには、変人が多い。…と思う。
あの超攻撃的スタイルと、一撃必殺の爆裂掌といい、派手好きなバトルジャンキーに違いないよ。
しかも、唯の派手好きではなく、基礎鍛錬の地味な[千日手]まで習得してるだろう。入門には[千日手]の習得が必須だからだ。
十大武術に数え上げられながら、正規の入門者と言える内弟子は全体の僅か0.08%しかいない。
僕自身も、学生の時、火手使いの先生から手解きを受けるも、入門には至らなかった。
先生からは、「おまえのような我儘な頑固者には、合わんよ、自由に生きろ、入門は許さん。以上。」と断られてしまった。
でも、今でも手解きを受けた修練は続けている。
その先生を、今でも尊敬してるし、何しろ格好良いからね。
技は、陰から先生の修業を観て盗んでしまいました。
…先生は、もしかしたら気づいていたかもしれない。
僕の周りを取り囲んだ100人は、一定の間合いからは近づいて来なかった。
まるで、ギャラリーのよう。
一人だけ、僕に正面から歩み寄って来る。
黒の残バラ髪をした身長180cmはゆうにある30歳位の男だ。
無精髭を生やし、体格は鍛えてることが傍目に分かるほどた。ベージュ色のセーター、チノパンを履いている、此処にさえいなければ目立った所がない普通の一般人だ。
だが、眼を見て分かった。
火手使いの一人だ、しかも測りきれ無いほどの練度だ。
その男は、僕の眼を見て語りかけてきた。
「おまえ、火手使いだな。…ふん、同門の誼だ。勝負を開始したら、一歩退がれ。命は助けてやる。以後は目立たずにひっそりと生きろ。」
「…残念ながら同門では無いよ。[火手]は学生の時に手解きをうけただけ。でも、手加減してくれるなら嬉しいな。優しくしてね。」
無精髭男は溜め息を吐いた。
「馬鹿め。…生き残るチャンスを潰しおって。女子供をヤるのは性に合わんが、師匠の命令だ。悪く思うなよ。」
薄暮帯で、男の顔は良く見えない。
だが、両膝を僅かに曲げ、両手の平を僕の方にのばして向けた。
きっと、初手から全力手加減無しで来る。
性に合わないのは、嘘ではなく多分本当の事だろう。
だけど、そんなことで手抜きはしないタイプだ。
僕を軽くやってから、何事も無かったかのように自宅に帰り家族と晩餐しようと考えてるに違いない。
もしかしたら、今夜のおかずは何だろくらい考えてるかも…ちょっと舐め過ぎです。
ふん、髭男、おまえの流儀に付き合ってやるよ!
「刮目して見よ!」
広場中に、僕の宣言が響き渡る。
身体中が起動し、急速に活性化して行くのが分かる。
続いて、
「気道モード!」
身体の中にある七つの架空の円盤を腰の辺りから順次回していく。唸りをあげて高速回転する円盤から気が作られて身体を満たしていく。
突撃してくる髭男。
髭男の両掌に注意…軌道上から避けるように左右にステップを踏みポーズを付けながら、こちらも突撃。
何しろ、どちらも爆裂掌を使う。
同じ使い手同士の対戦では、5000年以上の歴史を経て定跡が既に決まってしまっている。
まず定跡から外れてしまった方が負ける確率が高い。
髭男が一瞬驚いたようにタタラを踏み、同じように定跡をたどり始めた。
気を込めている4つの掌が薄暮に蛍の光の如く、軌跡を残していく。
交差する刹那に互いに手を無数に交差させて差し込んでいく。掌に当たったら終わりだ。
同所に留まり、互いに連手。
無言の応酬。
退がれないことから、円を描くように進む。
強引に割り込み、弾かれ、無理な態勢に曲げて掌を避ける。
最後、僕が髭男の脇腹に撃つ直前で、身体ごと弾かれた。
身体全体を使った爆裂体という技だ。
つまり爆裂掌の身体全体版だ。
奥義級の技で、難易度はかなり高い。この技を見るのは二度目だ。
だけど…練度が低い。
弾かれただけで僕にダメージはほぼ無い。
ちなみに、自ら退がるのではなく、敵に弾かれて退がるのは約定に反しないこととされている。
だが、この攻防で髭男の実力は分かった。
実力伯仲するも、僅かに僕の勝ちだ。
爆裂体を使うとは、爆裂掌同士の攻防では、負けを宣言してるに等しい。奥義とは言え、あのように練度の低い技ならば対処のしようがある。劣化版爆裂体では初見殺しが精々だ。
周りのギャラリーにも、それが分かったのだろう。
騒ついた気配がした。
「おーーい。チェンジだ、チェンジ。代われ、交代だ。」
ギャラリーの壁の中から、小さい猿のような老人が出てきた。
僕と同じ位の背の高さだ…小さい。
いやいや、僕は女子にしては、そんなに極端に小さい方では無いからね。
更にギャラリーが騒めく。
[火猿]とか[狂猿]とか、言葉が聞こえる。
この御老人の事らしい。
「いかん!実力差があり過ぎる。試しの儀の規定に反する。」
壁の中から、また一人男が出て反対する。
既に陽は、半分隠れ、男の姿は影になっていた。
試しの儀?
「師匠、それゃないぜ、俺はまだまだやれるぜ。こんなお嬢ちゃん相手だと油断しちまった。火手を入門してないとも嘘もつかれたぜ。正々堂々と勝負すれば俺の勝ちだ。」
「あああんっ、男の言い訳は聞き苦しい、見苦しいのう。これがわしの弟子とは情けなくて涙が出てくるわい。お嬢さんの火手の練度は、見て分かるじゃろう。それこそ毎日修練に明け暮れ年を経なければ到達しないレベルじゃ。つまり毎日の蓄積で既にお前は負けておる。更に慢心があれば絶対に勝てんわい。おまえの負けじゃ負けじゃ、やーい、この負け犬が。わしに勝負を譲れば命だけは助けてやるぞい。…くくく。」
「ちぃっ、分かったぜよ。」
髭男とご老人が勝手に会話をして、立ち位置を入れ替えた。
「火猿殿、あなたが本気でやったら勝負にならない。他にも適当な者がいるはずだ。」
影の男が、発言すると、ご老人は渋々言い返す。
「分かった分かった。五月蝿いのう。ならば実力伯仲にすればよかろうよ。むん!」
ご老人は、気合いを込めて僕をジロジロと見始めた。
「インジビルアーイ!ふん、ふん、ふん、なるほど、素晴らしいわい、うほー。」
思わず胸を隠して半身になる。
「お嬢さん、なかなか良い身体しておるのう。…ひひひ。嫌らしい意味では無いぞ。その若さで、練度が並外れておるわいなぁ。そうさのう…わしは100分の1程度実力を出すから勝ってみせよ。どうだ、それならばよかろう?」
影の男は、本当に渋々ながら頷いた。
勝手に話しが進んでいく。
だがそんなことより、聞き捨てならない言葉があった。
僕の実力が、このご老人の100分の1だと言うのですか?
…いいでしょう。
「分かりました。勝負ですね。」
ちなみに、今日の僕に敬老精神は無い。