藪の中(クシャとバーレイ編)
彼女の声だと分かった途端、咄嗟に逃げ出してしまった。
このハロルド・クシャ、一生の不覚!
だがしかし、何かを考えるまでもなく、反射的に身体が動いてしまったとしか言いようがない。
愛情より友情を選んだつもりだったが、麗しい彼女の声を一声聞いただけで、そんな思いは瓦解してしまった。
とっくに諦めたつもりだったが、さよならは決めたが、なおさら未練はつのった。
ああ…アールグレイ、アールグレイ、あなたは何故にアールグレイなのか?
胸が痛い。
力尽くで手に入れるのを諦め、たとえ卑怯者の誹りを受けても彼女を私のものになるならば、脅迫も辞さない覚悟も肚を括ったつもりであった。
だがそれも諦め、潔く身を引くつもりであったが、せめて彼女からは、軽蔑されたくはないと泣き言を言う自分を自覚した。
この期に及んで、なおも見栄を張るとは、私は度し難いほど器の小さな人間だ。
他者の為にいち早く駆けつけた彼女とは雲泥の差よ。
ハハハ。笑ってくれたまえよ。
それでも私は…
彼女が好きなんだと、あらためて、自分の思いを知る。
もし…風呂場を覗いて写真を撮り、それをネタに彼女の優しい心につけ込んで脅迫する計画がバレでもしたらと考えたら、今更ながらガクガクと震えが来た。
い…いかん。
手元の楕円形の写真機を見る。
こんなのを持っているのが彼女にバレたらと思うと、彼女の軽蔑の眼差しを想像してしまい、恐ろしさで身がすくんだ。
「バーレイ、私達は友達だよな!」
隣りを走るバーレイが訝しげに、こちらを向いて目が合ったので、写真機をポイっと投げて渡す。
すかさず受け取ったバーレイに詫びを入れつつ説明する。
「それは、我が家に、先祖から伝わる伝統ある写真機だ。売れば数百万イエンするだろう。今回の件で迷惑かけたせめてもの礼だ!是非受け取ってくれ!この場で返却は絶対不要である!何故なら…私は大好きな彼女から軽蔑され嫌われたくないのだー!この私を恨んでもかわない。後から何度でも詫びよう。バーレイ、不甲斐ない私を許してくれ!頼む、頼む、この通りだー!絶対に私から貰ったとは言わんでくれ!!」
私の張り裂けんばかりの魂からの叫びが、森に木霊した。
並走している他の男達に聞こえてしまったかもしれないが、なりふり構っていられないほどに事態は切迫していた。
彼女は、優秀だ。
今はまだ気配を感じないが、すかさず追いついて来るだろう。
逃げ切れれば恩の字だが…この一ヶ月間、彼女の技の冴えや卓越する戦術眼を見たあとでは…到底逃げ切れるとは思えない。
眼から鱗がとれ、認識を改めた今となっては、最初何も知らずに小馬鹿にしていた自分を恥いるばかりである。
味方ならば、これほど頼もしいものはいないが、敵として追われている今となっては、これほど恐ろしいことはない。
無慈悲に怪異を一刀のもとに殲滅した彼女の畏ろしくも美しい身姿が思い浮かび、ブルッと身を震わせる。
釈明の余地なく、真っ二つにされるかもしれない…?!
いや…いや、彼女は優し過ぎるほどに優しい。
彼女の本質とは、真実に従順で公正な慈愛の人だ!
私は、写真機さえなければ、風呂場の前を彷徨いていただけの人に過ぎない。
彼女の優しさに縋れば…呆れ顔しながらも、「仕方ありませんね、今回だけですよ」と言われ、何とかなる…気がする。
バーレイは、受け取った写真機と私を交互に何度も見ていた。
すまん、すまんと心の中で詫びつつ、顔色は分からないが、バーレイが結局、返さずにいてくれたことに心底安堵した。
スマン、バーレイ、貴様の尊い犠牲は忘れない。
お前は、一生涯、私の心の友だ。
この恩は、いつか返すから。
…返すから…それは今は返さないでくれ!
私から貰ったとも言わないでくれ!
・ー・ー・ー・
クシャから、いきなり楕円形の機材を渡された。
正確な言い方ならば、コチラを見てポイと投げてきた。
咄嗟に受け取ってしまったが、よく見れば、以前、クシャが先祖伝来のと自慢していた高性能の写真機であるのが分かった。
分かった途端、顔から血の気が引いた気がした。
な、何故、これを今、我に?!
いったい、我に、ど、どうしろと言うのだ?!
「それは、我が家に、先祖から伝わる伝統ある写真機だ。売れば数百万イエンするだろう。今回の件で迷惑かけたせめてもの礼だ!是非受け取ってくれ!返却は絶対不要である!…大好きな彼女から軽蔑され嫌われたくないのだー!この私を恨んでもかわない。何度でも詫びよう。バーレイ、不甲斐ない私を許してくれ!頼む、頼む、この通りだー!絶対私から貰ったとは言わんでくれ!!」
まさに魂の叫びと感じたほどの、いっそ清々しいほどの自分本位の言葉に絶句する。
クシャの本心には違いないと納得した。
納得はしたが、了承したわけではないのに、真実の叫びの説得力に、理不尽であるのに関わらず、返すに返せなくなってしまった。
…考える。
先程の追っ手の掛け声は、アールグレイ少尉であるに間違いはない。
詰問調の短いキツイ口調なれど、優美で涼やかな声は聞き惚れるほどに耳に心地良い麗しいお声だった。
彼女ならば、軽やかな足取りで、直ぐに追いついて来るに違いない。
我は、天地神明に誓って後ろ暗いところがないが、もし、この写真機を持っているのを彼女に見られたら、大いなる誤解を受けるかもしれない。
しかも、入手先をクシャから封じられてしまったからには、友であるクシャから貰ったなどと説明できない。
…
…ん?ん、んー?!コレって…
突如、深刻な事態であるとの認識が理解出来た。
アバババー!?
慌てて苦慮し苦渋した…まさに我、絶体絶命であるではないか!!
ド、ド、ドウスレババー?
思考が渦巻くほどに混乱しながら、クシャとは逆側の横を、ふと見ると、ルフナ准尉が並走してると気がついた。
…
あ!…天啓である!
「ルフナ殿ー!!…あの秘蔵の酒三本分で頼む!何も言わずに処分をしてくれ!!」
言うと同時に忌まわしき写真機を投げ渡す。
ルフナ准尉は、ギョッとした顔付きをするも、だが即座に手を差し伸べて受け取ってくれた。
…流石である。
ギルドレッドの咄嗟の判断力と対応力が素晴らしいと今更ながらギルド員の優秀さに感じ入った。
咄嗟の簡易依頼だが、受けてくれたことに対し、泣きたい程に感謝が、心の底から湧いて出る。
…合掌して、どうか返さないでくれと頼む。
ルフナ准尉は、しばらく難しい顔つきをしていたが、コチラに返すことはなかった。
胸を撫で下ろし安堵する。
准尉には、大きな借りが出来た。
この借りは、酒三本では返せそうにない。




