星の降る夜の話11
意識を殺し周りの景色と同化していると、男が一人近づいて来る気配を感じた。
…気取られてはいかんな
呼吸を極限まで延ばすようにして、樹々と一体化させて思惟の活動をスッと止めた。
この世界から一時的にルフナ・セイロンの存在を消すのだ。
少尉殿の隠形の術とは違う、物理的に全ての動きをスローな状態にしての気配殺しである。
…
「…ああ、私はどうしたら良かろうか?このような卑怯な手段をして彼女を手に入れたとして、あの娘に私が相応しいと言えるだろうか?いや、決めたはずだ!どんな悪虐非道な振る舞いをしたとしても彼女を手に入れると!だがしかし…」
フラフラと腑抜けたように漂い来たのは、予定通りハロルド・クシャであるが、最初の少尉殿に対する高飛車な態度とは真逆で弱々しい。
一瞬、別人かと思ったが、その端正な顔立ちはハロルド・クシャに間違いはない。
だが奴は撮影機材を手に取りながらもブツブツ言いながら右往左往して、いっこうに覗きに着手しようとしない。
もしかしたら、自分で中止する可能性があるのか?
…ならば、余計な手間が掛からずに済む。
俺は、多少の期待を込めて、しばらく様子を見ることにした。
…
…
…
俺は意識を植物に擬装しながらも…奴の独り言を否応なしに長々と聞かされて、イラッとしてきていた。
奴は、親友に悪行を大言壮語しながら、現場にて覚悟決まらずに、まだ彷徨い歩いているのだ。
むろん悪行を為さない方が良いには決まっているが、コイツのコレからの行動次第で俺の対応も180度変わってくる。
つまり、この先の展開は、この男次第で主導権を握られているに等しい。
…超イラつくぜ。
しかも、この男は、この期に及んで未だ迷っているのだ。
先の読めぬ展開に、気配を殺しながらも溜め息が出そうだ。
感情の波を無理やりフラットにする。
…我慢だ。我慢。
…
「オオ、バーレイ、私はどうしたらよかろうか?苦しい、この胸を締め付ける苦しみと痛み、切なさはなんなのか?君に迷惑は掛けたくはない。貴族として、一人の男として私は、どうしたらよいのか?」
…
この男の逡巡が30分を越えるに当たって、この俺の堪忍袋も切れる寸前であった。
しかも、今度は友達まで引き合いに出して、やるべきかやらぬべきか悩みだしたぞ。
おいおい、オマエの胸の苦しみは狭心症だ。
俺にも心当たりがあるから分かる。
日頃の不摂生の賜物だから生活習慣を改善して出直しな。
…
「オオ、アールグレイ、私の心を捕らえて離さない罪深きも美しい私の女神よ。君を得るためには、私はこの様な所業に手を染めねばならないのか?」
遂に奴は、月明かりに照らされポーズまで取り始めた。
きっと観ているものなどいないと思ってのことだろう。
…自己陶酔気味な苦渋の表情がウザくてイラつく。
まさに俺の沸点が沸きそうになろうとした時、新たな男の声が、遠間から微かに聞こえてきたのだ。
「….殿下、殿下、お待ち下さい。」
港の埠頭の方角から、新たに現れた男達は、成人仕立ての年齢を彷彿とさせた観るからに高貴な印象を受ける少年と、その護衛と思われる大男だ。
殿下と呼び掛ける野太い男の声は、タッパのデカい護衛の男だろう。
だがその新たな男達の出現に、事態は進展した。
声に気づいてハッとしたハロルド・クシャが、なんと殊もあろうに、俺が潜んでいた植え込みに飛び込んで来たのだ。
…何故、よりにもよって、ここに隠れる?!
流石に隣同士では、この俺の気配殺しも効かない。
俺もギョッとしたが、ハロルドのヤロウは、もっと驚いたに違いない。
それでも咄嗟に自分で口を塞いで声を上げなかったのは、レッドの面目躍如だ。
伊達に卒業までに半分以上辞めていく士官学校で生き残っているわけではない。
もちろん、常に冷静沈着なこの俺も声は出さなかった。
ハロルドと俺はお互いに身じろぎもしないまま、待つことなく、少年と護衛の主従が、目前に現れた。
…。
…。
なんなんだ?この状況は?
ハロルドにバレちまったのは、仕方なき事。
事態は常に変転するものだからだ。
俺は、自分を説得するように、そう言い聞かせた。
ハロルド・クシャが、今さら何を思おうと知ったこっちゃないが、まずは目前の状況の把握だ。
普通、この様な時間帯、この様な場所…女子寮の風呂場の外に人は集まらない。
少なくとも俺なら仕事以外で来ることは、絶対にない。
…つまらない誤解を受けたくないからな。
…少尉殿に誤解されたらしねるし。
なら、この主従は何だ?