カール・イングラム・エヴァの健全な日常(中編)
アールちゃんとは、手を繋ぐほどに仲良くなった。
庶民の私如きが、アールちゃんの手を握ることが出来るなんて、あり難き幸せ、まさに有頂天です。
次なる目標は、ハグすることです!
…
せっかく夏季講習とは言え士官学校に入校出来たのに、方向性を見失っているような気もしないでもないが、日常には潤いとか張りが無ければ、生きるに値しないので、これはこれで良いのです。
アールちゃんも、私と同じ平民枠なんだけど、見た目からして気品が違うので、やんごとなき高位貴族の姫さまがわけあって身分を隠してギルドに潜入しているのだと思う。
お忍びと言う奴です…昔、時代劇で観ましたよ。
これはお約束で、知っていても指摘してはいけないのです。
だから、本当は本人に聞いてみたいけど、身分がバレたと分かったら、居なくなってしまうから…アウッ、思っただけで、胸が張り裂けそうな気持ちになります。
アールちゃんは、私のような下々の者にまで、等しく優しさを分け与えてくれる慈愛と、普段は寝ている猫のように控えめなのに、いざとなったら私の前に出て私を護ってくれる勇気を合わせもつ高貴な魂を持つ人だ。
生粋の庶民の私とは、魂の作りからして違う。
きっとアールちゃんの魂を直に見たら、その清浄なる輝きで目が潰れてしまうかもしれない。
あ、あ、…目が!目が!
…なんちゃって。
アールちゃんが人の姿を保ってくれてて良かった。
アールちゃんは、私のことを友達だと言ってくれた。
畏れ多くて膝がガクガク震えてしまう。
いっそのこと平伏して傅きたい。
だけど、それをすると、きっとアールちゃんは、傷ついた顔をしてガッカリするだろうことは、私にも分かる。
何よりお忍びで現れている意味がない。
だから、私は今日も猫を被る。
本当の私は、ガサツで粗忽な不器用者なのです。
周りから真面目だと定評がついているが、器用でないので丁寧に一つ一つやるしか仕方ないのです。
…不器用ですから。
時には、融通が効かないとか、若いのに頑固で頭が堅いと言われることもありますが、私には、これしかできないのです。
マニュアルから外れた時は、ドキドキです。
もっと臨機応変に対処出来れば良いのですが、常に基本に立ち返らなければ不安なのです。
これまでは、それでも通用しましたけど、今でもそれは私の基本ですが…最近は階級が上がり周りが貴族の方ばかりとなり、対応するため貴族の流儀を見よう見まねで真似るようにしました。
貴族の方々の美しい所作や容姿端麗なたたずまい、控えめで美しい言い回しは、非常に参考になります。
見本が周りにチラホラいるので真似るに難くはない…学ぶに良い環境です。
でもそれで更なる大きな猫を被るようになってしまいました…なんてことでしょう!
ただ、付け焼き刃ですから、ボロが出ないように口数少なく、目立たぬように静かにしてたら、周りから大和撫子などと多大な評価をいただいてしまった。
… … …
…墓穴を掘っている気がします。
皆々様、それは大いなる誤解ですから!
声を大にして訂正したい…今さら出来ないけど。
それで本当に良いのだろうかと迷い、週末に常日頃からお世話になっているギルドの受付嬢をしているダージリンさんに相談しに行った。
受付が暇な時間帯を狙って、ギルド本部を訪れるとダージリンさんは、いつもの定位置にいたので、気軽に、ちょっと立ち寄った風を装って声を掛けました。
もちろん手土産は忘れない。
ダージリンさんの好きな果樹園リリベルの洋菓子を持参する。
挨拶を済ませてから、雑談を装い相談したい内容を切り出すとダージリンさんは最初、「この子、何言ってるのかしら?」のような表情をした。
あれれ?
まるで私が見当違いのことを、言ってきたかのような反応です。
あらら?私の説明分かりにくかったかな?
なるべくダージリンさんが理解しやすいように、昨日から説明構成を事前に考えて、シュミレーションまでしてきたのに…これは予想外の反応です。
仕方なく、あらかじめ予想外の場合に決めていた切り口を変えて感情面メインに再構成した説明をしようとしたら…掌を向けられ止められました。
ん?この掌の意味は?一瞬で数十通りの可能性を走査しましたが、決定には情報不足…。
チラッとダージリンさんを見ると、いつの間にか、優しげな眼差しを向けられていることに気づきました。
そして言い聞かせるような言葉を掛けられる。
「エヴァ准尉、大人の女ならば、猫の一つや二つ被るのなんて当たり前。自分に都合良いならば、一生涯被り通しなさい。…まあ貴女の場合は、本質に近づいてるから気にしないで良いわよ。」などと、分かったような分からぬような叱咤激励されてしまった。
「だいたいエヴァ准尉、貴女、それでツラいと感じている?」
ん?…そう言えば、そんなに言うほどはツラくはない。
新しい知識や、経験したことない所作や言葉遣いを身に付けるのは楽しい。
ただ、大和撫子などど誤解されるのが騙しているようで、多少心苦しいのです。
「それって勝手に男どもが想像してるだけだから。…夢を見せておあげなさい。それに女の子の本質は皆んな大和撫子だと私は思っているわよ。私自身もね。もし異論ある野郎どもがいたら、私が張っ倒してやるわ。」
ダージリンさんは、ニコニコしながら、そうおっしゃいました。
後ろを、通りかかった男性の職員さんが、ギョッとした顔をなさって、そそくさと遠ざかっていった。
…そ、そうなんですか?ダージリンさんが大和撫子!?
人生の先達がそうおっしゃっているのであれば、…そうなんでしょうね。
途中経過はさておき、話したことで私の胸のつかえが取れた思いです。
つまり、私は私のままでいい…と言うことですか?と要約した内容を確認すると、ダージリンさんは、「よく出来ました。」と言わんばかりに、大輪の花を咲かしたような笑顔でニッコリ笑った。
呆っとした気持ちで、ダージリンさんにお礼を言ってギルド本部を後にした。
歩きながら、考える。
そうか…そうですよね。
私は私のままでよい…まわりが何と思おうとも。
至極当たり前のことです。
ああ…私、何で悩んでいたのだろう?
帰り道、潮風に吹かれながら、青い大空と青い大海原を見た。
白い鴎が、狭間を漂って飛んでいた。
今の私のこの気持ちは、何なのだろう?
期待と畏れと自信…出会ってそれ程に月日が経っていないのにアールちゃん達は、既に私の大切な何かになっている。
そして出会いがあるということは、別れもあるのだ…そう思った途端、果てしない郷愁に近い何かが風となって胸を吹き抜けた感じがしました。
…両手を握り締める。
よし!帰ろう。
アールちゃんの元へ、皆んなの元へ、今は帰るのだ。
私には、帰れる場所がある。
多分、それって幸せなことなんだと思う。
ダージリンさんとは別に、お土産を居室と生徒会役員の人数分買ってある。
お土産の果樹園リリベルの洋菓子を、アールちゃんに見せた時の顔を想像しながら、私は帰路に着いた。