カール・イングラム・エヴァの健全な日常(前編)
私の名は、カール・イングラム・エヴァ。
名前だけ聞く分には、性別は男と誤解されること甚だしく、文字上で初めて会う方には、期待可能性薄めだけど女の子であると認識していただきたい。
この名前は、お父さんとお祖父さんが、私が産まれる前から、それぞれ決めてたらしいと、お母さんから聞いた。
止めてよ、もう!
女の子に付ける名前じゃないでしょう?!
更に、父、祖父から男の子の如く、厳しく育てられた私は、野外活動が多く、幼かった頃は、男の子と間違えられること多々あり。
これは絶対に、個人の資質ではなく、育ちや名前のせい!
どうやら、お父さんとお祖父さんは、跡取りの男の子が欲しかったらしい。
跡取りと言っても、うちは市井の無名な武術道場を営んでいるだけで、無駄に広い道場と通いのお弟子さんが僅かにいるだけで、家計は常に火の車。
そんなに立派な家柄と言えるものでもない。
けど、武術における執着は、並々ならぬものがある我が家では、弟が産まれるまで、私に自由は無かった。
しかし、姉思いの弟よ、あなたが産まれてくるのは、ちと遅かったようです。
待っている間に、あなたの姉は、こんなに逞しく育ってしまいました。
いまさら軌道修正は、難しく、私は女の子らしくない冒険者ギルドに入ることになりました。
見た目は、お母さんの資質を受け継いだのか、割と小柄で可憐に見えないこともないのが唯一の救いです。
ああ…もう少し早く弟が産まれてくれれば、私にも女の子らしい、お花屋さんや、ケーキ屋さん、パテシエの道もあったろうに。
そしてゆくゆくは、誰か素敵な人と恋をして、プロポーズされて、お嫁さんに…。
今でも偶に夢に見るけど、当時の私に選択権はなく、武者修行と生活費を稼ぐために、成人すると直ぐにギルドに入れられてしまったのだ。
因みに、お父さんやお祖父さんも現役のギルド員で、偶に私の知らない、父、祖父の知り合いから声を掛けられることが度々あって、見張られてる気持ちになることがある…父、祖父の知り合いの多さに辟易し、仕事場では迂闊なことが出来ない。
最初は嫌々ながら、冒険者を務めていた私だけど、私には合っていたらしく、割と毎日が楽しく順調に依頼をこなしていったら、若手の有望株と見做され階級が自然と上がっていった。
既に、弟が産まれたときに、父、祖父からは、自由であると言い渡され、釈然としないまま了解は、したけれど、今更職業を変える気にはならなかった。
そして、真面目な勤務ぶりが評価されたのか、或いは父や祖父の知り合いのコネなのかは不明だけど、レッド昇格のチャンスを得、見事に勝ち取ることが出来た。
…
ああ、今思い出しても身の毛がよだつ、レッド昇格選別の儀と言われているハクバ山探索講習は、吐いて倒れるほどに厳しかった。
応募、推薦枠が広げられ、化け物揃いのブルーの中でも若手の有望株の猛者達がこぞって参加したが、途中であまりの厳しい訓練内容にボロボロと逃げ出す中、私は、何とか最後まで生き残ることができた。
あの講習では、離れに作られた立派な露天風呂だけが、唯一の癒しであったな。
あのお風呂が無ければ、気が挫けてしまったかもしれない。
ギルドも、たまには気が効いたこともする。
あんな人外魔境の地で、あんな大規模な風呂設営など、大変であったろうに。
福利厚生費を効果的に活用している。
感心しました。
運良くレッドに昇格した後で、第0回目の試作探索の回は、もっと厳しかったと聞いて、全身が総毛立ちました。
地獄のデスロードと揶揄された昇格試験講習からしばらく経った頃、夏季講習の案内通知が来ました。
…講習ですか?
…
私は、スッカリ講習に対してトラウマですよ。
しかし、これは仕事の一環だから行かねばなりません。
でも不審感を抱いた私は、事前準備を怠らず、情報収集と対策を、いつもの3倍以上みっちりやりました。
…それでも、今現在受けている夏季講習の授業は、訳わからず、苦しかった。
でも、周りの皆も、それは同じだよね?と自分を励まして日々励んでいる。
毎日が一杯一杯です。
それなのに、私は生徒会役員に選ばれて、それを受けてしまいました。
だって勧誘に来た子が、取っても可愛くて、見惚れて、うんうん生返事しているうちに、了承してしまったのです。
しまったー!!
私に、そんな余裕などあるはずないのにー!
ああ、でもこれは勧誘員のアールちゃんの責任ではない。
アールちゃんには、私に気遣いこそすれ、無理強いする様子は全然見られなかった。
今なら分かるが、これは他の2人の役員の差し金であるのだろう…アールちゃんの人の良さと超可愛い魅力を勧誘に活用したのだ。
アールちゃんに、好意的に微笑まれて、お願いされたら、断るのは至難の業です。
お陰様でアールちゃんと仲良くなれたので、恨むきにはならないし、私でも同じ立場なら同様の手段を画策したと思うから仕方ないなぁと、今では思う。