星の降る夜の話⑧
俺の言葉に感動したらしいバーレイ准尉は、親友の名前だけは教えてくた。
ハロルド・アンドレア・クシャ。クシャ男爵家の嫡男で、士官学校からの参加組の男だ。
クシャの狙いが仮に少尉殿ではなくとも、いまや夏季講習の女子の過半数は、少尉殿と友誼を結んでいる。身内と認識した者らに甘い少尉殿ならば、彼女らが貴族の圧力に晒されていると知れば…午睡で微睡んでいたとしても、途端に覚醒して、飛ぶ鳥を落とす勢いで駆けつけ自分が矢面に立つだろう。
フッ…流石、俺の(主たる)少尉殿。
フフン、誰に誇るわけではないが、自慢したい。
この少々お節介な処も、少尉殿の魅力の一つだが、意中の女子を得るまで諦めない拗らせている変態貴族を、今回相手することになってしまう。
しかも正々堂々戦わないことを明言した卑怯で臆病で嫌らしい変態で大変だ。
少尉殿の戦い方は、一見して定型ないオールラウンダーだが、無手の近接戦闘を好んで使われてる。
少尉殿の強さを、俺は認識してる。
信頼に足る強さをお持ちだが…心配だ。
少尉殿が、幾らお強くとも可憐でたおやかな女子であることに変わりない。
変態との接近戦は危険だ。
もし、罠に掛けられて、状態変化の毒霧や麻痺、服を溶かすスライム、動きを束縛する触手系の怪異などを使われたり、或いは仲間を人質に取られ、脅迫されたとしたら…?
救けるために、少尉殿は自分の身を犠牲にしかねない。
…
瞬間…羞恥に頬を染める少尉殿のあられのない姿を、想像して煩悶してしまった。
…うおあうあぁ!
…いかん。いかんぞう。
最近は、夏服の薄い服一枚だけでは服の上からでも身体のラインが分かり過ぎて、魅力的すぎて目のやり場に困っている。
…無防備に過ぎる。
うむ、清楚なのに艶やかさが混然一体となり、輝くような魅了を周りに放っている。
理性と欲望の狭間で、少尉殿の感触とか香しい良い匂いとか思い出してしまった。
…数分間、般若心経を唱え、煩悩を鎮める。
・ー・ー・ー・
しばらくして、バーレイ准尉が早速情報を取って来た。
…うん、仕事が早いな。
もしかして、コイツは、この手の任務に適性があるかもしれん。
「ルフナ殿、ハロルドは、今夜、女子寮の水場を散策、目の保養と称し、自然のままの花を愛で、その映像を記録してから、対象の同部屋の者3人を秘匿任務の依頼として呼び出して、その間に部屋に忍び込みて、対象と映像記録を公開する話題をしながら、男らしく強引に愛の営みを行うと申しておりました。」
…バーレイ准尉の報告に、応えたのは俺ではなく、別の女性だった。
「…それって、女子寮の風呂場を覗いて盗撮し、虚偽の依頼で人払いした隙を狙って、抵抗すれば映像記録を公開すると脅しながら、淫らな欲望をその女性士官にぶつけようという腹づもりか?」
このアレクサンドリア公女の淡々とした問いに、顔を蒼くしたバーレイ准尉が、震えたか細い声で答える。
「直接的な言い回しだと、そうなります。」
「最低です!」
「破廉恥極まりない。即効拘束すべき!」
「…正に女の敵!消滅させてやるわ。」
「下種め!」
実は俺一人では、人数が足りないと感じた俺は、応援にマリアージュ准尉を呼んだところ、この集合場所と決めた女子寮の外来者用の応接室に、大勢連れてきてくれた。
ありゃ…ちょっと、これは予想外、女性陣の人数が多いかな?!
いつもの女性陣のメンバーにアレクサンドリア公爵令嬢や獅子王族のシンバ王女までいる。
おそらく俺に声を掛けられた時点で、マリアージュ准尉は、その概要から男対女の構図になることを察したのだろうな。
こうした政略、戦略的な察しの良さは、流石、侯爵令嬢と言わざるを得ない。
これは俺には無い感覚で、敵にまわした場合のマリアージュ准尉の恐ろしさを感じた。
会議室として借りた応接室には、ブリザードが吹き荒れるかの荒天模様で、男である俺は非常に居心地が悪い。
バーレイ准尉などは、無意識に壁際に後退り、デカい身体を縮こまらせて、ショボンと俯いていた。
「ソニア・バーレイ士爵。」
アレクサンドリア公女が、感情が読み取れない声でバーレイ准尉の名前を呼んだ。
この公女様は、高位貴族のわりに好奇心旺盛で洒落っ気があり、話しが分かる性格なのは、ここ一ヶ月で読み取れた。
だが、それは決して甘い性格と同義ではない。
因みに、世襲貴族の家督を継ぐ嫡子は、成人と同時に、慣例で都市王から士爵位を賜わる。
謂わゆる騎士とは階級は同じだが、戦闘力が天地ほど掛け離れていることから、身分証的な騎士と庶民からは揶揄されている。
「貴公は、ハロルド・クシャ士爵が、これから行おうとしている行為が、貴族として相応しい行為と思うか?」
シンと静まり返った室内に、アレクサンドリア公女の女性にしては低い声が、やけに響いた。
ここにいる全員がバーレイ准尉に注目した。
バーレイ准尉は、口をパクパクと何度も開閉させながら、声を出そうとして出せない息苦しい様が傍目から見て窺えた。
そして最後には膝を着いて諦めたように項垂れた。
その消沈した様子は、見ていて気の毒なほどで、すまねぇ、こんなつもりじゃなかったんだが。
「ルピナス公爵家は、ハロルド・クシャの継嗣相続を認めない。」
公女の、まるで、ご機嫌ようと普通に挨拶するような言い回しの意味に、マリアージュ准尉以外の全員の顔色が変わった。
つまりクシャ男爵家の存続は許して良いが、ハロルド准尉は、たった今、貴族社会から切られたのだ。
継嗣の決定権は男爵が持っているが、寄親である公爵家の意向に逆らえまい。
貴族は、これだから…怖えぜ。
他人事ながら、背筋が凍った。
ああ、俺、平民を選んで良かった。
ハロルド・クシャのやろうとしてることは、確かに一見して下種な行為だが、元々は結ばれぬ恋愛の苦悩から悩みに悩んで、煩悩と現実を履き違えのかもしれねぇ。
男として、奴には同情するぜ。
「ハロルドの想いの相手は、アールグレイ少尉だな。」
続いての公女の断定的な物言いに、バーレイ准尉は瞬時、驚いたように顔を上げ、それからガックリと項垂れた。
「ソニア・バーレイ士爵の処分は、ルフナ准尉を通じて本件を私に報告し、貴族の尊厳を傷付ける行為を未然防止した功により、不問とする。意義ある者は挙手にて応えよ。」
公女は、辺りをいかにも儀礼的に見渡した。
「さて、次に実際に、どう現場を押さえて現行犯で捕まえるかだが…」
あまりにも、淡々と議事が進行していたが、見過ごせない事実に、俺は慌てて待ったを掛けた。
「ちょっと、待ったー!」
今度は、一斉に全員の視線が俺に集まる。
うお、結構女性陣の圧が強いなぁ。
この嫌らしい男めがみたいな軽蔑の冷たい視線ではないと思いたい。
「…何だ?ルフナ准尉。意見なら挙手をせよ。議事が停滞する。」
「その…クシャが襲う対象が、アールグレイ少尉であるのは、本当なのか?何故分かった?」
公女が、この件を知ったのは、つい先程に過ぎない。何故襲撃対象が少尉殿であると断言できたのか?
あの様子は、ハッタリではなかった。
この公女には、真実を見通す眼でも付いているのか?
俺の言葉に、公女は真顔になり、そして女性陣同士で互いに顔を見合わせた。
な、なんだ?
「…プッ、フフッ。」
突如、公女が口元を扇子で隠して、顔を背け、背中を振るわした。
だが、笑っているのが明白だ。
室内の先程までの緊張が嘘のように霧散していた。
公女が笑いを堪えている様子に、周りの女性陣も笑うに笑えないような困った顔をしている。
それでも公女は、ひとしきりクスクスと堪えながら笑った後に、単刀直入に答えてくれた。
この公女様は、きっと根が親切なのだろう。
「…まあまあ、世の殿方ときたら、本当に鈍いのですね。ハロルドがアールグレイ少尉に恋心を抱いているのなんて、一目瞭然ではありませんか?」
…そういうものなのか?
シンバ王女だけは、分かったような分からないような顔をしてたが、他の女性陣は、納得していたようだ。
…そんなものなのか?
…分からん。
本当に、意味が分からない。
だって、人の恋心が分かるなど、まるで魔法ではないか?
人の表層意識をなぞる読心術なら分かるが、既に対抗手段は開発されてもいる。
人の恋心など分かるはずもない。
だが、公女様は分かるらしい。
…
ちょっと待てよ。
…
ならば、俺の場合は…どういう風に見られているのだ?気になってドキドキしながら、それも聞いてみた。
「…そんな無粋なこと言えるわけないでしょう?それとも、ルフナ准尉は皆んなの前で言われるのが趣味なのですか?」
アレクサンドリア公女の、少し呆れた声を聞いて、俺は質問を取り下げた。
聞くのが恐ろしい気がしたのと、俺の事などは、この際、後回しでよいほどに、優先すべきことがある。
今は少尉殿の危機であるから、早急に手を打ち、クシャを海の藻屑とせねばならない。
奴には同情したが、対象が少尉殿ならば話は別だ。
俺は、少尉殿の為ならば、鬼でも邪にでもなろう。
「因みにルフナ准尉、未然防止と確保が最優先でハロルドの生死は問いますからね。」
なるほど…公女様は親切な上に、冷徹な貴族としては、意外なほどにお優しい。
生命を大事にする少尉殿とは、生徒会役員同士気が合ってるかもしれん。