託す想い
政治的情勢は、ますます混迷を極め、都市政府は機能不全に陥った。
一神教の光りの教団が、政治を壟断し、他の宗教を糾弾、駆逐し、焚書坑儒が行われた。
牧師、神父、僧が、埋められ、本が焼かれ、その炎は天を焦がした。
暗黒時代の始まりだった。
貧富の格差が広がり、都市全体がスラムと化した。
そんなさなか、庶民や困った人達を助け、活躍していたあの人を、快く思わぬ者らが、讒言を弄して、あの人に都市政府に対する反逆の罪を被せ、魔女と呼称し、指名手配されてしまったのだ。
私達は、体勢が整うまで、隠れるべきとあの人を匿った。
そんな折、光りの教団中枢部の枢機卿から、私に接触が合った。
深夜、暗雲に月や星が隠れた暗闇の雨の日だった。
何とか交渉できぬかと、私が指定された日時場所に赴き、そこで教団が秘密裡に行なっていた儀式と、人を人とも思わぬ拷問を見せられたのだ。
外では稲光りが光り、雷が鳴っていた。
人とは、どこまでも堕ちることが可能なのか?
人類の暗黒面を覗いて絶望感で声の出ない私の耳に案内役の枢機卿が呟いた。
「護民の騎士殿には、確か可愛い妹さんがおられましたな。それからお綺麗なお姉様も…是非当教団の儀式に参加していただきたい。政府に計らって、出頭してもらおうと、今、手配してるところです。叛逆者の魔女の仲間は、全員我が教団の聴聞室送りです。…ですが、魔女の隠れ場所を知っていて教えてくれれば、貴女達は魔女とは関係ないことを、この私が証言致しましょう。なーに、あの魔女も政府の要請に従って出頭してくれさえすれば良いのです。私達も鬼ではありません。ちゃんと淑女に相応しく丁重に扱いましょう。貴女が罪悪感を抱く必要はありません。だって貴女と魔女とは関係無いですから、当然貴女達が罪となることはないのです。これは貴女達と魔女の為でもあるのですよ。決して酷いことにはならないと神の名に掛けて御約束します。」
外では雨が、ますます酷く降り続けていた。
妙に甘い匂いが部屋に充満していた。
そう…私が枢機卿に、あの人の居場所を教えるのはあの人の為、私達の為でもある。
これは戦略的転進、今は互いの無事を図るのだ。
枢機卿も、言っていたではないか?
酷いことはしないと、神の名において誓ってくれた。
「本当に●●殿に、酷いことはしないと誓えるのか?」
「勿論です。私は嘘をついたことはございません。」
私は…枢機卿に、あの人が隠れている場所を教えてしまった。
稲光りの雨の中、私は逃げるように帰った。
悪いことは何もしていないのに、私の心は背徳の暗闇で塗り潰されていた。
「私は悪くない…私は悪くない…。」
自分に言い聞かせるように何度も呟いた。
外は、いよいよ暗く雨音が激しく聞こえた。
まんじりと寝れないまま、椅子に座ってテーブルに肘を着いて頭を抱えていた。
…私は悪くないはず、これは●●殿のためでもあるのだ。
雨音が静かになり、空がしらじみ始めた頃、扉を乱暴に叩く音がした。
「扉を開けろ!光りの教団である!●●●●●●はいるか?匿っているであろう?」
どういうことだ?枢機卿は連絡していないのか?
「扉を開けろ!逆らえばお前も聴聞室に連行するぞ!」
聴聞室…あの見るに耐えなかった拷問部屋か?
暗黒の光景が脳裏をよぎる。
「知らない!私は何も知らない!」
「嘘をつくな!●●●●●●を知っているだろう?」
「知らない!…そんな名前は知らない。」
「お前は、●●●●●●の親友だろう!知らないはずがない!」
「知らない!●●●●●●など私は知らない。」
「開けろ!開けないと扉を破って、いるかどうか改めるぞ!」
この時、何処からか鶏の朝を告げる鳴き声が高らかに聞こえた。
以前、聞いたあの人の言葉が、雷に撃たれたように甦った。
裏切り者とは… …私のことであったのか!
あの人は、全てを分かっていて…それでも、…それで良いと、覚えていてと言ってくれたのか。
あ、あ、あ
私は、テーブルに頭を打ちつけて、狂ったように喚きながら泣き叫んだ。
●●殿のあの時の言葉は、この不甲斐ない、敵に屈服した裏切った私を許すメッセージだったのだ。
…
いつしか扉を叩く音は止み、静かになっていた。
…●●殿は、私を許してくれたかもしれない。
だが、私は自分を許せなかった。
・ー・ー・ー・
あの人の裁判と死刑は、当日速やかに執行された。
光りの教団に抗議に行った私は拘束され、その死に目にも会えなかった。
●●殿が飼っていた魔法生物が主人に殉じたと聞いた。
…死にたい。
ああ…この世界に必要なあの人が亡くなり私がおめおめと生きながらえている。
…死にたい。
仲間は、誰も私を責めはしなかった。
…死にたい。
あの人の墓の前で問うた。
私は、これからいったいどうしたら良いの?
…貴女は私の生き甲斐だった。
大切なものは失って初めて分かる…私は恥知らずの裏切り者ばかりか、そんなことすら知らなかった愚か者だ。
…
…
…
墓前に日参すること一ヶ月、食事は、殆ど喉を通らなかった。
呆然と墓前で佇んでいたら、一服の風が吹いた。
(ジャンヌ…生きて。大好きなジャンヌが生きてくれるなら僕は嬉しい。笑っているジャンヌが好き。)
…聞こえた。
大好きな●●殿の声が、確かに聞こえた。
こんな私に生きろと、言いますか?
相変わらず、●●殿は、厳しいことを仰る。
私は、泣いて、そして笑った。
私に●●殿の代わりは務まらぬ。だが親友の頼みであるならば、きかねばならない…。
・ー・ー・ー・
「…こうして、私は、おめおめと恥知らずにも生きながらえているのさ。」
アルファの瞳が見開かれている。
あまりにも恥知らずの話しに驚いたのだろう。
全てを話し終えて満足した。
私は、裏切り者だが、親友との約束は果たした。
…
ああ、死が直ぐそこまで、近づいているのを感じる。
私以外、あの頃の仲間は、皆んな行ってしまった。
私が最後の一人だ。
ここで、突然暖かさに包まれた。
アルファが私を抱き締めていることに気がついた。
「ダルジャン伯母様、さぞやおつらかったことでしょう。今まで気がつかなくて御免なさい。…貴女は私の誇りです。」
ああ…ここで、初めて私は肩の荷が降りた気がした。…伝わった。
もう、貴女の名前を呼んでも良いでしょう?
だって、アールグレイ少尉殿から受け取った想いを次代に託すことができたのだから。
この子は、私の大好きな少尉殿に似ている。
少尉殿、今、貴女の親友のジャンヌが参ります。
ああ、早く貴女に逢いたい。
謝らせて下さい。
そして…優しく抱き締めて欲しい…
肘掛けに置いていた私の手の力が抜けて、ダラリと垂れたのを感じた。