紅茶
「戻ってきます、必ず。」
そう呟やいたアールちゃんは、苦しそうに顔を曇らした。
いや、あの顔は悲しんでいたのかもしれない。
ああ、悲しみにくれるアールちゃんも……素敵。
萌えるっていうのかしら、アールちゃん見てると、こう胸のあたりがキュンと切なくて、そして暖かな気持ちになってくるの…。
キャー、こんな近くから見れるなんて、私、幸せ。
いっときますけど、レズではないですから。
私のアールちゃんへの気持ちは、もっと崇高なものなのです。
私の名は、ギャル・セイロン。アッサム伯爵家に仕える衛士隊所属の一衛士だ。
ついでに弱冠20歳のピチピチの乙女ですから。
それにつけても、クラッシュ様、ムカつくわー。あのハゲ。自分は鼻提灯出して寝てたくせに。説教とは片腹痛いわ。
くー、ハゲめ。
今は、アレを、アールちゃんと私で迎撃したあと、結界を張り直し休憩したあとの朝である。
朝食を4人で取りながら、本日の予定と護衛計画を確認する。
私は、迎撃の際の不手際をアールちゃんに詫びを入れた。
アレを逃してしまったのは私の術式が弱かったからだ。
アールちゃんは許してくれた。
なんて心の広い。その私を思っての優しい言葉にジーンと痺れてしまう。
これは、ますます推すしかないね。
それに比べてこのハゲはー。
「ギャル、聞いているのか。そもそもお前は、衛士としての心構えというものがなっていない。」
あっ、また始まった…。
クラッシュ様も、最初は憧れていたこともありました。
でも、これじゃー幻滅だわー。
単なる小言爺と化してるしー。でもね相変わらず僧房からは敬愛されてるし、騎士団からは今だにオファーが来るほどの人気だ。う〜ん、ハゲ侮りがたしね。
まあ少なくとも、間違ってること言ってないし、クラッシュ様の言葉は、全部自分の為ではなく相手の為を慮って言っていることが分かるからさ、別にいいんだけど。
でも近くで小言言われると、まるでオカンみたいでなんかイヤ。実家の母を思い出してしまう。
やはり偉大な存在は遠くから見てるほうが良いのかもしれない。
今日の朝食は、紅茶とコロッケサンドだった。
キャン殿下がパクつく。
うん、良く寝てくれたみたいで元気だ。
「クラッシュ叔父さま、今日の予定は何が入ってますか?」
殿下の言葉にクラッシュ様が答える。
「殿下、我輩のことは、クラッシュとお呼びくださいませ。遠縁とはいえ、今は伯爵家に仕える身です。公私の別はつけなければ。でなければ殿下が誹りや侮りを受けるやもしれません。いつの世にも細かいことを気にする小人はいるものです。我輩のことは何と言われようと気にしませんが、殿下が、そのようなくだらぬ輩に誹謗中傷を受けたとしたら、我輩そ奴らを激昂して物理的にプチっと潰してしまうかもしれません。一寸の虫にもゴブリンの魂とも言いますれば、くだらぬ輩にも家族はいるでしょう。殺生は我輩僧籍にいる身なればなるべく遠慮したいと存じます。」
キャン殿下の手が止まり、クラッシュ様を一瞬見る。
「ん……分かった。クラッシュ、これでよかろう。」
クラッシュ様が、満足そうにうなづく。
この主従のやり取りを傍で聞いていて、私は戦慄した。
クラッシュ様は嘘は言わない。
この男はやると言ったら本当にやる。
人間が物理的にプチッと潰れる様を想像した。
うげー、食べてるときに何てことを言うんだ。
食欲なくなっちゃったよ。
殿下も肝が太い。平気で美味しそうにサンドイッチを食べている。仕える主としては、丸なのかもしれないけど。
真向かいに座るアールちゃんに思いを馳せる。
アールちゃんを初めて見たときは、ビックリした。
肩までの若干ウェーブの掛かった金髪にパッチリとしたタレ目気味な碧眼、大きさはないが出るとこは出て引っ込んでるとこは引っ込んでる均整の取れたプロポーション。小さくて可愛くてふわふわしてて、柔らかそう。そんなふんわりとした印象と裏腹に姿勢が良くて、まるで身体に芯が通ってるかのようだ。
堅いギルドレッドの制服が、逆に似合っていて、とっても可愛い。
「アール・グレイと言います。ギルドから派遣されて来ました。階級は赤星無しです。よろしくお願いします。」
見た目だけなら16、7歳なのに、きっちりとした物言いが、私より遥かに歳上そうな感じ。
私より、歳下なのよねぇ。
アールちゃんは、あまり表情が変わらない。でもでも良く見れば感情の変化が分かるのだ。
悲しいとき、苦しいとき、嬉しいとき、怒ってるとき、私ほどのアールちゃんを観察してる者ならば分かる。
美味しいデザートを食べてるとき、観察してると表情が変わらぬとも、私には分かるのだ。美味しいと尻尾をパタパタとしてるアールちゃんの姿が見える。
敵を倒しているとき、やはり表情は変わらないけど、アールちゃんは悲しんでいるんだ。涙を流しているんだ。
味方が傷つくとき、傷つこうとしてる時、アールちゃんは怒っている。やはり表情には出ないけど怒っていると感じる。
かように喜怒哀楽がハッキリとしている。私ほどのアールちゃんウォッチャーじゃないと分からないけどね。
殿下に、この話しをしたら、「私も分かってたよ。」と言われた。むっ、私だけではなかったか、さすが殿下、只者ではない。
ならば、アールちゃんが、極たまに見せる笑顔が反則だよねって話しをしたら、そうだよねって、殿下と意気投合してしまった。以前くらった時は鼻血が出そうになったよ。
そんなアールちゃんが、テーブルを挟んで真向かいに座り、紅茶を飲んでいる。
ああ、この良い香りは紅茶の匂いかな。それとも…
アレと戦ったときにアールちゃんの直近に来たら良い匂いがした。
ほんの微かに香る柑橘系の香りだ。
フンフンと鼻を鳴らして近づいたら、アールちゃんから若干引かれた。大丈夫。あの顔は戸惑っているだけの顔だ。嫌われていない。引かれずに惹かれてくれないかなぁ。
私が、アールちゃんを眺めながら紅茶を飲む至福の時を過ごしていたら、今日の方針が決まったらしい。
何だか、クラッシュ様とアールちゃんの間で話し合い、殿下がそれを承認するような流れで決まったらしい。
会話の最後にクラッシュ様が私に問う。
「ギャル、おぬし、ちゃんと聞いていたか?」
も、もちろん、聞いていましたでさー。