雨の降る頃⑥
校長室の樫の木の重厚な扉をノックすると、中から、入れとの声が聞こえた。
声に従い古びた大きい木製の扉を開いて中に入る。
広い。
踝が埋まりそうな赤い絨毯が敷き詰められ、奥に飴色のニスが塗られた持ち上げられそうにない大きさの机の向こう側に学校長はいた。
彼女の二つ名は、暴虐のペテルギウス。
その名の由縁足りうる行動は、入学式で一端を垣間見た。
あまり、お近付きにはなりたくないのが正直な所ですが、今世であっても上司は選べない。
ああ、そこら辺は、全くなんとかかんとかならないかしら?
僕の危機察知能力が、先程から警鐘を鳴らしている…全力で逃げるべきだと。
仕事でなければ、僕はその本能の通りに従っている。
気分は、動物園で凶暴で腹を空かしている肉食獣と一緒の檻に入っている感じであります。
愉快とは言い難い状況なれど、ペテルギウス大佐は笑っていた。
おお…なんてこったい。
肉食獣が獲物を前にして喜んでいる気がして、この現実から目を背けたいです。
しなも室内には、僕とペテルギウス氏しかいない。
窓辺からは、雨が打ち付ける音と稲光りが差し込む。
…まさか、いきなり、やられはしないだろうけど、この世界では、平気で始末屋が、表通りを堂々と歩いているような世界ですから油断は禁物。
さあさあ、とっとと用件を言って、僕を解放して欲しい。
「アールグレイ少尉、お前を呼んだ用件であるが、一件仕事を依頼したい。海岸沿いに怪異が蔓延っておってな、動きが速くて面倒な…ゴホン、実戦研修として最適な案件でな、士官候補生達に経験を積ませる良い機会だし、お前は単位が取得できる。」
僕は、ジト目で、ペテルギウス大佐を見た。
上司には基本逆らえない。
でも、これは明らかに仕事の依頼です。
僕、タダ働きはしませんよ。
安易に返答をせずに待つ。
…
自身がギルド員である、ペテルギウス大佐も、流石に心苦しかったのか、言葉を付け足した。
「ゴホン、依頼料は出す…ギルド案件だから格安だが、副総代として未熟な士官候補生達の引率をして欲しい。夏季期間は、どうしても教職員の数が足りなくてな。…残業までしてフル活動している。わたしも、こう見えて忙しい。引き受けてくれると、わたしも教職員一同もギルドも助かるのだがね。」
「…必要な資材の貸し出しの許可と、消耗品等の必要経費も持っていただければ。…あと補助員が欲しいです。」
ギルド案件は、依頼料が格安で割りに合わない。
せめて、必要経費ぐらいは持って欲しいところだ。
あと感情として単独では受けたくない…道連れが欲しい。
「…許可しよう。詳細はミリオネラ教官に聞け。」
ペテルギウス大佐は、話しは終わったとばかりに、机上の書類に目を通し始めた。
…
これ以上は、もう引き出せないだろう。
もっとも大佐の方も、ここまでの譲歩は織り込み済みなんだろう。決断が早い。
僕は、短時間で、汗をかいているのを感じながら、大佐の気が変わらぬうちに静かに退出した。
廊下に出て、そそくさと、猛獣の檻の前から離れる。
全身から嫌な汗が出て来て、夏なのにヒヤッとする。
ああ…インナーを着替えたいです。
学校内の安全な場所なのに、久しぶりに危機を感じて、ドキドキしました。
先ずは、寮で着替えて、職員室に向かおう。
あくまでも自分優先です。
でも、…グラナダ中尉は待っているだろうから、長い廊下を小走りで急ぐ。
僕は、前世よりかは、自分を大切にしているだろうか?