フォーチュン・クッキー(前編)
起きたら既に昼前だった。
…
…
やべぇ…。
なんてこった…俺としたことが。
どうやら熟睡してしまったらしい。
それは、護衛兼監視対象の少尉殿が無事に帰って来た安心感から、気が緩んでしまったに違いない。
このアプル・モーニン一生の不覚。
溜め息をつき、これはいかんなぁと額をもむ。
たるんどる、たるんどる。
こんな緩みきった精神状態では、一流処の始末屋に狙われてたら、一突きでお陀仏だ。
そして何故ファースト、ミドルネームを適当に付けたのかも一生の不覚。
単に名付けを考えたのが朝で、林檎が好きだったからだとは、誰に聞かれても言えんな。
ああ…今も二日酔いの朝のように頭に霞が掛かっているようでハッキリしない。
まあ、こんな時はスターターに火を点ければ良い。
精神と身体は連動しているから、精神が起きないのならば、まず身体を起こしてやれば良いのさ。
俺に取っては、それが一杯のホットコーヒー。
だが寮には、残念ながら機材がない。
…
ふむ…食堂に確か販売機があったな。
よし…買いに行くか。
食堂に行くまで誰も出会わなかった。
元々1000人以上収容できるスペースに現代では、毎年100人を切る士官候補生達が学舎として在校しているが、彼らも夏季休暇中であり、その合間でブルーからの昇格したレッドの夏季講習を実施しているからから、現在この広大なスペースにわずか40名弱しかいないことになる。
しかも、昨日は皆、力を出し切り疲労困憊中だろう。
海からの新鮮な潮風漂う外廊下を歩いて食堂に向かう。
女子寮と男子寮の接点は、学舎以外はここしかない。
どうやら、今回の夏季講習期間中は、課外は仕事抜きで気楽に過ごせそうだ。
いくら俺でも女子寮に潜入するのは、あらゆる意味で危険過ぎるからな。
警護は、女子に任せて俺はせいぜい食堂を巡回するぐらいに留めよう。
アールグレイ少尉殿は、嫌いではない。
嫌いではないが、日常生活において現人神が自分の周りにヒョイヒョイ気軽に現れて落ち着ける人間がいるだろうか?
あの光煌めく夏の日の涼風のように清廉、清楚で凛とした佇まいには膝を折りて拝みたくなる。
しかも可愛く、最近では色香まで醸し出している。
…あれは、まずい。
あの無自覚な身内に甘い警戒心の無さも危ない。
まるで地上に舞い降りた天使。
いや、十中八九、天の御使いか神の眷属に間違いないと俺は睨んでいる。
だが荒御魂か和御魂かどっちだ?
可憐なあの見た目だけでは判断つかない。
神の了見は、人たる身からは計り知れない。
そう、だから適度な距離感が大切なのだ。
近づき過ぎれば太陽の火に焼かれるように身を滅ぼすだろう。
少尉殿が優しいからといって、勘違いしてはいけない。罠だ…あの無防備さに油断して、惹かれてどうなるというのだ?
万が一彼女が俺に好意を持ってくれたとしても、俺の人生には先がない。
…
やはり高嶺の花とは、月のように遠くから眺めて愛でるのが一番なのだ。
…あまり近づき過ぎるは剣呑、剣呑。
少尉殿に対する取扱い諸注意を改めて、口の中でボソボソと呟いていたら、食堂の自販機の前に着いた。
残念ながら挽きたてをその場で提供する自販機は故障中…仕方なし。
俺は、その隣りの自販機で缶珈琲を買うのにボタンを押した。
何故か、オレンジジュースが出てきた。
おや?あらためてボタンを見たら珈琲と隣り合っている。
どうやら、ボーッとして押し間違えたらしい。
やれやれ。
その直後、胸の内が騒めくような気配を感じた。