瞠目するペテルギウスと翔んでもガール
港を出航したギルド船は、規定通りの航路を進み、北上していた。
…全ては、わたしの思惑通り。
だが学校長たるペテルギウスは、予定通りの順調な展開にも関わらず意気消沈していた。
…つまらん。
順調で喜ばしいこと…だが…予定通りとは存外退屈でつまらんものだな。
気分は上がらんが、最後まで油断はしない。
将とは、勝っても兜の緒を緩めてはならないからだ。
だから、わたしは、綿密に思考を巡らした。
…もし、もしも、[暴風]が、まだ諦めず、乗船する可能性があるとしたら、もはや海を渡ってくるか空を飛んでくるしかない。
…
…あり得ないな。
…
魔法は万能ではない。
風吹き波立つ不安定な海の上を走って、船に追いつくなど、わたしとてやったことがない。
水魔法や空間、重力魔法、浮遊魔法で海の上に立てたとしても…更に制御魔法や身体操作を駆使して走らなければならないのだ。
わたしのような魔法を駆使できる武術の達人でも、それは難しい。
いくら通常時の[暴風]の脚が速いといっても、あくまでも大地の上での話しで、海の上とは訳が違う。
あまりにも難度が高すぎる。
現実的に考えれば…考慮する余地もない。
空を飛ぶに至っては、不可能と切って捨てても過言ではない。
風魔法又は空間、重力魔法の超魔導師級の技倆が必須、複数の魔法を組み合わせて制御しなければ上手くは飛べやしない。
超超古代史に曰く、並の魔導師ではイカロスのように墜落するだろう。
空を飛ぶ難度は、軍隊で、専用魔道具を開発し使用し、長期間訓練してようやく一個小隊、飛ぶに成功をおさめたと聞くシロモノ…一朝一夕では飛べない。
現在、ギルドで空を飛べる魔法使いは、公的記録では僅か2人、どちらも魔導師級を超えた化け物だ。
どちらの方法でも[暴風]には不可能だと結論ずける。
もはや、結論は変わらない。
考えるだけ無駄…か?
だが…他に抜け穴的な方法はないか?
そんなふうに思考を巡らしていたら、艦橋の扉が突然、開いた。
現れたのは、ショコラ・マリアージュ・エペ准尉だった。
ああ…エペ本家のお嬢ちゃんが、また我儘を言いに艦橋まで来たのかい。
高位貴族特有の清々しいほどの自信ある、だが女性らしい柔らかさを持った心地よい声が広い艦橋に響く。
「艦長、わたくし、北にある人工記念物に指定されている廃墟ビル群を観たいの。お父様が是非一見の価値があると言うの。航路を直進してくれるかしら?もちろん良いですわよね。」
右手の人差し指を口元に着けての問うた姿は、可愛いらしく愛らしい。
艦長が、わたしに問うように見てきた。
ふん、何を企んでいるのか分からないが、今更結果は変わらない…好きにしな。
わたしが頷くと、艦長はホッとしたようだった。
あの可愛いらしいお嬢ちゃんの父親のエペ侯爵は、都市政府の重鎮である財務相であり、財務、外交で多数の役職を占めるエペ一族の本家総領で、彼女はそのお姫様だ。
当たりは柔らかいが、もしそれ故に侮り敵対すれば、生きるに難しくなるのは確実。
わたしは、相手に取って不足なしで全く気にしないが、艦長からしたら、断るには背水の陣を敷く程の覚悟が必要だろう。
…気に入らなければ、その細い首を握り潰せば片はつくが、今は無用な殺生は気が乗らない。
それにエペ一族は性質が温和で無害な穏健派に属する。闘うに興が乗らず、ますます気が進まない。
だが彼らは、通常、このような余計な我儘などは口にしないのだがな。
…そう言えば、彼らエペ一族の善意で助けてもらった借りも、幾つかあるのを思い出した。
…
…まあいい。
この時の判断を、ペテルギウスは、正しかったのか、間違ったのか、後々悩むことになる。
結局、どう思考を巡らしても、[暴風]には、不可能であると結論ずけた。
すっかり、気が抜けたわたしは、甲板に登ってきた。
うるさい程の汽笛が聴こえる。
ん?…何処かで誰かが魔神級の魔法を使ってるね…魔力による時空間の歪みを感じる。
しかも、これは空海の神霊まで影響を及ぼしている。
けど、膨大で嵐のような神霊力を感ずるだけで、何も起こっていないのが逆に不気味だ。
空を見上げれば、変わり映えのない青空が広がっている。
異変を感じたのか、ゾロゾロとレッド達まで甲板に上がってきた。
わたしは腕っ節は強いほうだが、魔法の方は得意ではない。
だが最低限の知覚方法は修得している。
魔法使いと戦うためには、魔法の感知は必須だからね。
指でV字を作って、横にして目を挟むようにしてから、魔法の膜越しに目を凝らす。
…
本土の空の一角に、…が見えた。
最初、自分が見たモノが信じられなかった。
人は、未だ空を飛べない。
では、アレはなんなんだ?!
蒼穹の青空を、少女が男を担いで、翔ぶように駆け抜けていく光景が、そこにあった。
まるで空に架けられた橋を渡るかのように。
そして、その少女の姿とは…
[暴風]!
ペテルギウスは、正面から衝撃を受けたかのように、よろめいた。
その少女は、あれよあれよという間に、空を駆け抜けると、木の葉が落ちるように、優雅に船上に降り立った。
担いでいた男を優しく脇に降ろすと、ペテルギウスの処まで赴くと、正対し、キビキビと敬礼をする。
反射的に、ペテルギウスが答礼を返すと、その少女は申告した。
「ペテルギウス学校長、アールグレイ少尉ほか1名は、オクタマ湖トレイルを無事完了し、帰隊致しました。」
…馬鹿な。
馬鹿な、馬鹿な、そんな馬鹿な!
あり得ない、不可能だ。
散々、脳内で緻密に検証した。
[暴風]が、ここに存在するは、あり得ないのだ!
間違っている…何が?
…
現実に、[暴風]が、わたしの目の前にいる。
これ以上、確かなことはないのだ!
…信じられん。
そこに、力尽きて倒れている仲間の手を借りたとはいえ、最低最悪のコンディション、時間縛りの己れの体力のみしか頼りにならない状況を、しかも、この渡るが不可能の海を飛び越えてくるなど、誰が考えようか!?
この、ちっぽけな少女が!
…
こちらを真剣な眼差しで見つめている少女が…陽の光りに照らされてキラキラと眩しく見えた。
この時、ペテルギウスは、初めてアールグレイに畏れをいだいた。
このわたしが、暴虐のペテルギウスと謳われた、このわたしが、気圧されるなどあってはならない!
ハハハ、やるじゃないか、[暴風]、いや、アールグレイ少尉よ。
…
…
…
ペテルギウス大佐は、感情を顔に表すことなく、周りを見渡した。
「うむ、ご苦労であった。…全員の帰隊を持って今期のレクリエーションを終了する。なお、教官の着任が遅れてる関係から、本日の授業は休講とする。帰った後は宿舎待機とせよ。以上。」
すかさず、レッドたちが敬礼した。
ペテルギウスは答礼すると、甲板を降りて行った。
畏れのあとに、燃えあがるような闘志と歓喜を秘めて。