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アールグレイの日常  作者: さくら
アールグレイ士官学校入校する
489/618

ルフナ・セイロンは困惑する

 走りながら思う。

 今も儚げな少尉殿が苦しんでいるのを想像すると、心配で胸が張り裂けるほどに苦しくなる。


 俺は、走る速度を上げた。

 心臓が狂おしいほどにバクバク音を立てている。

 俺が速さを上げて、苦しめば苦しむ程に、少尉殿に早く会えて、救けることが出来るかもしれないから全力を振り絞る。

 

 人事は尽くす!

 だが、天命は神のみぞ知ると言う。

 俺には信心はないが、少尉殿を救けてくれるならば、この際どんな神でも構わん。

 だがもし、あのお優しい少尉殿が不幸になるような結末ならば、俺は神を赦さない。

 俺は、走りながら神に祈った。



 …辺りは真っ暗で、僅かに数メートル先が見えるくらいしか視界は効かない。

 自分の苦しげな呼吸音しか聞こえず、耳は用を足さない。

 喉が痛いが、無理矢理呼吸に使う。

 今、端末が鳴っても聞こえず、喋ることさえ叶わないだろう。

 だが、それでいい。

 俺の全てを、少尉殿を救けるのに傾注するのだ。

 

 少尉殿は、俺たちに表面冷徹を装いながら、危ない橋を渡ってはいけないと命令しつつ、自分は危険を省みずに、躊躇なく窮地の人を救けに行くお人だ。


 …あんな人、世界の何処にもいない。


 俺は、少尉殿を思うだけで哀しくなってくる。

 この切ない気持ちは、何なのだろうか?

 少尉殿は、救けを求める人に手を差し伸べる。

 だが、傷つき倒れた少尉殿を救けるのは誰なのだろうか?


 星空に問いかけても返答はない。


 …




 …俺だ!俺が助ける。

 誰も助けないならば、この俺だけは少尉殿を助けたい。

 俺のような碌に才能もない体力も衰えた、実力ない30男が、あの麗しい未来輝く少尉殿を助けるなどと、面と向かって言うことも出来ないほどにおこがましいかもしれない。

 

 少尉殿が俺に振り向いてくれなくても構わない。

 あの少女が不幸になるのだけは、許せない。

 ただ、それだけだ。


 俺は更に速度を上げた。






 ・ー・ー・ー・








 …時間の観念が薄れるほどに走った気がする。

 実際は、4、5時間くらいだろう。

 既に真夜中を回っている。


 俺は、道端に倒れている少女を発見した。

 港方向に向けて、うつ伏せに倒れている。

 よく見ると身体を引き摺ったような跡が、オクタマ湖方向に延々と続いていた。

 

 なんて人だ!

 倒れても、諦めずに、ここまで這って来たんだ…。

 驚きと共に鼻の奥がツンとなる。


 駆けつけて、慎重に抱き上げる。

 少尉殿は、驚くほどに軽く、手に掛けた何処其処も柔らかかった。

 …口元に手を当て呼吸をしているのを確認する。

 仰向けにして、僭越ながら心音と脈拍を確認する。

 緊急事態なのにドキドキする。

 いや、これは救護行為だからと、誰ともなしに言い訳する。

 呼び掛けて意識を呼び覚まそうとしたら、薄らと少尉殿が瞼を開けた。


 上半身を支えて、水を飲ませ、額を触ったら体温が熱い事が分かった。

 そう言えば、抱き上げた少尉殿の身体全体が熱っている。

 少尉殿に尋ねたら、常備薬の熱ざましの薬は飲んだと言うと、気絶するように、また眠りに着いてしまった。


 ここで、俺はようやく、船に連絡することを思いついた。

 端末を取り出して掛けると、呼び出し音がしてないのに、マリアージュ准尉は即出た。

 ちょっと驚く。

 「アールグレイ様は見つかりましたか?ご無事ですか?現在位置は?…」

 怒涛の立板に水の如くの質問に、俺一人ではないことに改めて思い至る。

 だが息が上がって、直ぐには答えられない。


 周りを見渡すが、真っ暗で目印になるものはない。


 俺は息を整えると、訥々と質問に答えていった。

 途中、アリッサ少尉に代わった。

 彼女の具体的で細かい質問に答えると、しばらくの間、向こう側で協議してる様子が窺えた。


 「もしもし、ルフナ准尉?結論から言うと、アールの症状は、いつもと変わらないから心配いらない。寝てしまったのはブレーカーが落ちたものだから、そのまま休ませてあげて、身体を担いで戻って来なさい。貴方を信用はしてるが、不埒は真似は厳に慎む様に。水を飲ませたのは良かったわ。あなたの今居る位置は、速さと時間を計算すると、ちょうど道の真ん中あたりね。貴方がアールを担いで、行きと同じ速さを保てばギリギリ間に合うかもしれない。」

 アリッサ少尉の言葉には、確信があった。

 質問の内容から、医療の心得もあるのかもしれない。

 蜘蛛の糸のようだが今はそれを信用して従うしかない。

 俺は、大切に少尉殿のお身体を担いだ。

 グタッとしていておいたわしい。

 

 走っていて気がついた。

 行きの際の切迫感はない。

 少尉殿のお身体も羽根のように軽く負担はない。

 だが、担ぐということは、触るということだ。

 少尉殿のお身体は、何処もかしこも柔らかくて、手に触る箇所に困る。

 その上、小柄な見た目に反し、意外と胸があるのを背中で感じる。

 更に芳しい香りまで微かにするのだ。

 時々聴こえる少尉殿の吐息が、妙に色っぽい。


 アリッサ少尉の言葉が、頭を反芻する。


 いやや…お、おれは、崇高なる少尉殿に対して不埒な考えなどは…していない。

 これは、男なら仕方ない自然現象なのだ。

 俺は、般若心経を唱えて、心落ち着かせようとしたが無駄だった。


 途中、大切な少尉殿をおぶっているのに万が一、蹴つまずいて倒れてはいけないと、魔法[night vision]を発動させる。

 これは暗闇でも活動できる様に、サンシャの際の反省を活かして習得した魔法だ。

 昼間のようにとはいかないが、人の姿はハッキリと見える。

 これで、益々スピードを上げられる。





 …







 これは、果たして苦行なのか?

 俺は、全力で走ることで無念無想を保とうとする。

 少尉殿は、途中気付いて、おぶっているのが俺だと分かると安心したように抱きついてきた。

 …

 俺は、もう死んでも良いと思った。

 全力を出して苦しいが、俺は今、幸せだ。

 幸せの小さな神様が俺の背中にチョコンと乗っていて俺に無限のエネルギーを流し込んでくれるよう。

 背中に全集中して、その暖かみを感じる。

 少尉殿の治癒を祈るが、不心得にもこの幸せがいつまでも続けば良いと思ってしまう。


 

 …




 

 「ルフナ…ストップ、降ろして…。」

 幸せに酩酊しながら数時間…少尉殿の弱々しい声が聞こえた。

 俺は指示通りに道の脇の樹木の影に優しく少尉殿の身体を静かに降ろすと、少尉殿はその場でバッグから替えの下着を取り出して、着替え始めた。

 …

 …

 おそらく熱で、警戒心が低くなっているのだろう。

 この手のことに結構少尉殿は無防備だが、それでも男の前で着替えるなど迂闊ではない。

 月の出てない暗がりであるのも油断に一役かっているかもしれない。

 でも、魔法[night vision]を発動中の俺には、少尉殿のメリハリのある身姿がハッキリと見えてしまっていた。


 …


 俺は、その姿をしばらく茫然と眺めてしまったが、少尉殿が下着に手を掛けるに、流石にハッとなり顔を背けた。

 

 少尉殿の、下着を脱ぎ掛けた姿が脳裏に焼き付いている。

 その後、衣擦れの音が聴こえるのが想像に拍車を掛けた。


 ふ、不可抗力だよな?


 だが…うおおお…!

 俺の人生に一片の悔いなし!


 堪えない感動に、星空に誓ってると、チョイチョイと袖口を引っ張られるのを感じた。

 恐る恐る振り向くと、そこには軽装着までちゃんと着た少尉殿が、俺を見上げ両手を伸ばして、はにかむような…無防備な幼い笑みで言ってきた。

 「…オンブして。」




 

 

 …







 些少の罪悪感と大いなる感動をグルグル胸のうちで回しながら俺は、30年生きていて、これ程幸せを感じたことがあろうか?と自分に問うた。

 …いやない。

 昔、今より幼い少尉殿と邂逅して以来、せめて身近にいても恥ずかしくないように毎日修練したことも、全てが今日の為であり、報われた気持ちだ。


 もし、毎日不断の修練を怠っていれば、途中で俺は倒れ、少尉殿を助けること叶わなかったに違いない。

 今日までの辛く苦しかった修練の日々は、全てはこの時の為にあったのだ。

 

 俺の背中で、少尉殿はモゾモゾと動くまでに回復したが、未だ半覚醒なのか、俺に抱きつきて身体を預けてくれている。

 俺は今…幸せだ。



 …



 潮の匂いがして、船の汽笛の音が聴こえた。

 空は白じみ始めている。

 間も無く、ゴール地点である港であり、同時にタイムリミットが近いことも分かった。

 

 汽笛が狂ったように何度も繰り返し鳴った。

 更に全力を出し、背中の少尉殿がしっかりと俺に掴まったのが分かった。

 

 俺の今のこの気持ちは、何なのだろうか?

 ゴールは近い。

 もしゴールしたら、少尉殿と、こんなに密接に接することなど二度と無いだろう。

 …惜しい。

 そんな気持ちがないと言ったら嘘になる。


 …


 だがそんな気持ちが仇になったのか、俺はギリギリ船の出航時間に間に合わなかったのだ。


 …遠ざかっている船を見つめる。

 …だが、この時、俺が考えていたのは、船に乗り切れなかったことはどうでもよく、まだ少尉殿と一緒にいられる喜びだった。

 背中に乗っていた少尉殿が、俺を慰めるようにギュッと抱き締めてくれた。

 …

 …

 …

 超有り難き幸せ!

 俺は、天にも昇る心地だった。

 嗚呼、少尉殿と二人ならば、どんな事態でも何程のこともない。






 

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