走る 走る 走る
ルフナの顔は見えない。
岸壁で直立不動でいる彼の荒い息遣いだけが耳に聞こえる。
…
彼は、今、どう思ってるのだろうか?
…分からない。
けれども…その落胆の度合いは、察するに胸が潰れてしまいそうだ。
唇を噛みしめる。
…悔恨の情が湧く。
こんな至らない主君を持ったばかりに、彼に無駄な足掻きをさせてしまった。
しかも、僕は、これから更にルフナに酷い仕打ちをするのだ…御免なさい。
喉が痛いので、あまり喋りたくない。
彼の左肩辺りの服を摘んでチョイチョイと引く。
半分顔を後ろに向けたルフナの左耳に囁く。
「北へ、走って…。」
僕の左手の人差し指は、北を指している。
僕は、まだ諦めていない。
・ー・ー・
ルフナは、変わらずに僕を後ろに担いで走っている。
うんうん…君、苦労掛けるねぇ。
一晩中休憩無しで働かせて、精も根も尽き果てた明け方に、更にトドメとばかりに、まだ仕事を命ずる。
酷いブラックだ。
鬼畜生の所業です。
これを機に、「ヤッパリ辞めます。」と言ってもらっても構わない。
…もし僕なら、辞めてるね。(キッパリ)
ルフナが何故ここまで僕に滅私奉公してくれる理由が分からない。
もしかして、ルフナって…
メチャクチャ良い人!?
僕の体調については、底を打ったと感じられた。
山場を越えた感覚です。
高熱は引いてないし倦怠感はまだバリバリあって、未だにルフナにもたれかかっているけど、あとは無理しなければ、ぶり返さずに回復に向かうはず。
この未来予想は、僕の長年の経験の賜物ですから、かなりの確率で確定です。
船が出てしまったあの後、ルフナに指示出ししながら、ショコラちゃんの端末に連絡したら一回も呼び出し音が鳴ってないのに即出た。
「アールグレイ様、アールグレイ様、アールグレイ様、ご無事ですか?あなたのショコラ・マリアージュでごさいます。船長にエペ家の権力を持って、まだ待つように脅してやりましたが、屈することない頑固者で、時間ピッタリに離岸しやがりまして、警笛を合図で何度も鳴らすくらいしか譲歩させられなかったですわ。こうなったらお父様に連絡して…」
どひゃー!
あの狂ったような汽笛の連射は、ショコラちゃんでしたか!
ショコラちゃんが爆走してないか心配して、連絡してみたら、案の定です。
これ以上、発展すると怖いので、牽制のためにもショコラちゃんに、一つお願いしよう。
…
「…分かりました。このショコラ・マリアージュ・エペの名に掛けて!」
ショコラちゃんは、僕のお願いを快くきいてくれた。
船長が、頑なに出航の時間を守ったのは、オクタマ湖トレイルのタイムトライアルの合否に関わってくるから。
ギルドから予め決められた約束を破れば、信用問題に関わる。
船長からしてみれば死活問題だから、いくら侯爵家のお嬢様の我儘でも聞く訳にはいくまい。
しかも船内には、学校長もいて目を光らせている。
船を本土の港に、又着岸するのも同じ理由で無理だろう。
だが、逆に一見して合否に関わらなければ、融通は効くだろう…多分。
この世界は、実力主義で、権力もまた実力の一つだから、通用しやすい。
船は、北上していく。
僕らも、船を右側に見ながら、北へ走っていく。
前世では、幾つも川や運河があり、入り組んでいた沿岸だが、現世では、海に沈んでしまった影響からか、海岸線を真っ直ぐに行ける。
だが残念ながら、船に飛び移れる隘路はなく、ダイ島に戻れる橋は一つもない。
海側は既に陽の光りが漏れ、空はもう白じみ始めていて、夜空を駆逐している。
怪異は眠り、生命あるものは、未だ活動直前の、狭間の静かなる時間帯です。
辺りには、馬車も車も人も怪異もいない。
海岸線が走りやすいのは、ギルドが都市政府からの委託を受けて、整備してるから。
僕も何回か臨時で受けた事があるけど、古い橋を壊す作業は見所があった。
次回は、是非橋を掛ける作業に何らか形で貢献したい。
だから、普段一度は通ったことがあるので、道案内は可能、静かなる道をルフナが走る。
僕も、ギュッと振り落とされないようにしがみつく。
岐路に当たると、僕が指差して、行き先を指し示すと、ルフナが全力疾走で駆け抜ける。
ここからは、速さの勝負です。
海岸通りを、ひたすら北上する。
僕は、ルフナの耳元で、ひたすら声援を送った。
まあ、何の足しにもならないけど、気持ちですから。
「…頑張って!」
「…ルフナなら、出来るよ。」
「…信じてるから。」
「…無理しないで。」
…
…
…ルフナは、一度も休むことなく目的地まで走り抜いた。
凄い!凄いよ!
僕の予想外の出来事です。
彼は、途中心折れずに、失速もせず、ひたすらに走って、指定した目的地に着いた。
前世、今世通じて、こんな凄い男は、僕、見たことない。
普通、人は苦しいとき、まず肉体からではなく、精神から折れる…諦めてしまう。
だが、今回彼は、最後まで折れず、根負けした己れの肉体までも鼓舞して精神力で引っ張り、僕の懸案事項を一つ成し遂げてしまった。
…尊敬の念が湧き起こる。
いったい、ここまで成し遂げることが出来た、彼の原動力とは、いったい…?
こんな凄い人が、僕の家来でよいのかしら?
逆に、僕の方がルフナに、かしづきたいよ。
僕は、ここで漸くルフナの背中から降りた。
体調を確認するため、自分の内にsearchを掛ける。
「search。」
出力50%…徐々に上昇中。
いまだ多少振らつくけど、免疫系機能は回復している。
…ルフナのお陰だ。
感謝の念が湧く。
さあ、ここは、シバの地。
昔、ここから、海を渡りダイ島まで、橋が建てかけてあった。
空をなぞるように見張る。
ああ、今や、見る陰もないが…。
橋が崩れ落ちてから、数千年…今世では誰もあの橋を見たこともないだろう。
だけど、前世の記憶のある僕ならば、覚えている。
そして、この世界は魔法の世界。
核なる確かなものさえあれば、新たな存在すら現象できる。
それは…存在の概念の具象化と言う。
簡略に、存在概念の現世界への召喚魔法と考える。
そう、呼び出すは、前世で見た虹の橋。
僕は前世の記憶を、強烈に呼び覚ました。
僕は、前世で、海を渡る虹の橋を歩いた経験がある。
…歩いた、確かに、歩いた。
あの海の上に掛かる虹の橋の歩道を。
あの時は、車の音と排気ガスで辟易したけど、景色は怖いほど素晴らしかった。
そう、この世界で僕だけは、虹の橋が掛かり歩けることを、確かに実感して歩き渡ることができるのだ。
魔力を瞳に集める。
…
…見えた。
…僕だけの虹の橋が!
計画通りなら、まもなく、ショコラちゃん達を乗せた船が、仮想の虹の橋の下を通る。
ダイ島に行くなら、通常航路を多少外れるが、ショコラちゃんにお願いしておいた。
手前のロク島で右に曲がらずに、直進した先でUターンしてから、ダイ島に向かうように。
…汽笛が、何度となく鳴り始めた。
よろしい。
息を一気に吸い、周囲の空や海の神気を身に宿す。
そして息を静かに長くはいていく。
「召喚、rainbow bridge!」
僕を通した神気が、僕の意志を伴って辺りに拡散していく。
四つん這いになって疲労から伏しているルフナを見た。
君がいて、僕がいる。
君は、信じられないほどの長距離を僕を担いでこの地まで運んで来てくれた。
尊敬と友愛、誇らしい思いに身体中が痺れる。
こんなにも身体が動かせぬほどに頑張るなんて…。
頑張るのは、今度は僕の番です。
僕は、倒れ伏しているルフナ下に素早く潜り込み彼を担ぐ。
仮想の橋脚のたもとに駆け寄った。
さあ、君と僕ならば、あの空だって翔けていける!
念じると魔法陣が光り、僕らは仮想エレベーターで一気に高度200mまで、昇った。
扉を開けて出たら空の上だ。
僕らは空に続く歩道をダイ島方向へ駆け抜けていく。
因みに、この仮想の虹の橋は、僕にしか見えないし、僕にしか触れられない。
何故なら、僕の経験が基点となった概念の具象化だから。
但し、この現実世界には本来無いものだから、長くは持たないだろう。
橋の真ん中まで来た時…船が、橋の真下を差し掛かるのが足元の橋の仮想鉄格子の合間から見えた。
… よろしい。
僕は、橋の存在を信じるのを止めた。
そして橋が消えた。
…最初から存在していないから当たり前だ。
足元方向から風が吹き荒ぶ。
アッと言う間に落ちて行く。
… … …
… …
…
これは僕の望むところ。
僕は羽根のように軽いし、風とは相性が良い。
片手を伸ばし風につかまりて、空を泳いでいく。
…
そうしてルフナを担いだ僕は、同期生の皆が立つ甲板の上に、羽根が着地するようにフワリと降り立った。
うむ、到着です。
…周りを見渡す。
なんと、お出迎えは、あの学校長までいた。
皆が、僕に注目していた。
汽笛は、既に止んでいる。
「ペテルギウス学校長、アールグレイ少尉ほか1名は、オクタマ湖トレイルを無事完了し、帰隊致しました。」
僕は、ペテルギウス大佐に正対し、敬礼して帰隊報告を申告した。
…
…
…
ペテルギウス大佐は、感情を顔に表すことなく、周りを見渡した。
「うむ、ご苦労であった。…全員の帰隊を持って今期のレクリエーションを終了する。なお、教官の着任が遅れてる関係から、本日の授業は休講とする。帰った後は宿舎待機とせよ。以上。」
すかさず、僕たちは敬礼した。
学校長は、答礼すると、甲板を降りて行った。
…
完全に、学校長の靴音が遠ざかり聞こえなくなったとき、ショコラちゃんがぶつかるように、僕に抱きついて来た。
歓声が聞こえ、ジャンヌやアンネ、シンバや、同居室のアリス達も輪のようにして、僕を囲む。
うんうん、心配かけてごめんね。
今回限りは、僕も反省しました。
ルフナが助けに来てくれなかったら、今も道端で倒れていたかもしれないし。
それにしても、ルフナは大したものだよ。
虹の橋を渡ったときも、船に降りたときも、暴れず、声も出さずにいた。
彼…凄いよ。
あれ?でもルフナは何処?
興奮している皆んなを制して、居場所を探していたら、甲板の片隅でうつ伏せになって気を失っていたのを発見しました。
きっと、全力を出し切って、僕を救けてくれたんだよね。
ありがとう、ルフナ。




