侯爵家の息子の日常⑩
結局、叔母の地獄99の試練を受けて尚、生き残ったとして、俺の本質は変わらなかった。
たとえ、周りから変わったように見えても変わることがないのが、俺には分かった点が、試練達成の成果と言ってよい。
それで周りが誤解して、俺に都合が良いならば、そのままで構わない。
俺は、背中のアールグレイ少尉に全部、今迄のことを白状した。
俺は、少しだけ強くなっただけで、修行前と変わらず、ズルで卑怯で怠惰で無責任で無関心、自分が好きで、自分が嫌いで、未来に希望も期待も努力も何もしていないクソ野郎だ。
だが、アールグレイ。
あなたにだけは嘘はつきたくないんだ。
自分が見つけた、綺麗で、本当に綺麗で、好きになったものは大切にしたいんだ…。
「…アッシュ。」
そう、俺は、君のことが、初めて会った時から…
君からは、俺のことはダイと呼んで欲しい。
「…アッシュ!」
だから、俺のことはダイと…
アールグレイにしては、ヤケに声が野太く聞こえる。
「…アッシュ、おい!なにオマエ、ブツブツ言ってんだよ!船に帰って来てからおかしいぞ、オメー!」
…ああ、うるさいな!俺は今、大事なところなのに。
俺は、振り向いて言葉を掛けていたヤツの顔をハッとして見た。
アールグレイとは、似ても似つかぬ、醜い汚いドッグの顔がそこにあった。
・ー・ー・ー・
結局、俺は、そのまま一人で河口まで走り抜き、波止場に係留してあった船に乗船した。
途中で、河口方向から血相変えて、全速力で走って来る男とすれ違った。
…見掛けたことのある男だ。
名前は知らない。
「なあ、アッシュ、まだ2人帰って来てないらしいぞ。その内一人は、白狼の姫様らしいぞ…心配だなぁ。」
ドッグが、俺の方をチラリと見る。
「ああ………心配だな。」
ドッグは、スラム育ちで、下品で、浅ましく、目先の欲望に忠実だ。
外見もそれに相応しい厳つい傷ついた面構えだ。
だが、それでも、乱暴な口調の奥には、情に厚い部分が時折り垣間見える。
今も、俺に気を使ってくれているのが分かる。
…情に厚いのは、コイツの魂の本質、性なんだろう…どんな厳しい汚い環境でも、染まらず歪まなかったコイツの核だ。
だとしたら、俺の核とは、何なんだろう?
俺の判断は、間違っちゃいないはず。
俺の実力では、あの場所からオクタマ湖まで引き返して、背負って船に戻って来ることは、極めて難しいだろう。
結局2人ともタイムオーバーで、失格だ。
ならば、無理せずに、アールグレイはオクタマ湖でリタイアするべきだ。
ギルドの士官ならば、そう判断するのが正解だ。
それが、合理的判断という奴だ。
だから、俺は………人でなしではない。
だって、現実的に考えれば、人倒れに構って、自分の大事な予定を遅らせることはないだろう?
…誰だって、そうだろう?なあ?
「ケケ、ソウダゼ、オマエのイウトオリー!ケ。」
耳元から、賛意を示す虫悪魔の声が聞こえた。
…うるさい!
アールグレイには、ミリーが付いている…大丈夫だ。…大丈夫。
きっと、彼女は保護されている。
一段落着いたら、お見舞いに行けば良いさ。
ミリーに又頼んで、紹介してもらおう。
仕切り直しだ。
何度でもチャンスはある、やり直しは何度でもきく。そうだろう?
俺の前途は明るい。
手摺りに腕を乗せて、陸の方を見た。
真っ暗で、何も見えないし、動くものはない。
「なあ、ドッグ…俺たち、友達だよな。」
「ああー?気持ち悪いこと抜かすな。」
ハハ…何となく聞いたら、剣もホロロに否定されちまった。
「まー、強いて言えば、悪友程度ぐらいじゃねーのか?オマエ本当に大丈夫かあ?熱でもあるんじゃねーの?」
…
…
…
「いや、…気分は、そんなに悪くはない。」
耳を澄ませば、暗闇に風と波の音だけが聞こえた。
…
「なあドッグ、確か船の食堂に軽食が売ってた…奢るから食べに行こうぜ。」




