侯爵家の息子の日常⑧
トレイルは、走り始めて、暫く経つとまばらになり、やがて俺一人になった。
獣人族らは、やはり速くて、ドッグも「お先に行くぜ!」と、あっと言う間に視界から消えた。
奴らの体力は半端ない…それに走るのが好きらしく皆嬉々として走って行った。
そんな奴らに付き合ってられん。
因みに俺は自分から走ったことはない。
まあ、いいさ。
時間は、まだある。
人生は長い…ゆっくり行くさ。
おお…大人な俺、超余裕。
実際、肉体改造した後の俺には、計算せずとも、まあ大丈夫だろうなみたいな感覚はあった。
太陽は、中天に昇りて、燦々と地上を照らしている。
脇を走る河川からは、時折り風が吹き、涼しさを運んでくれる。
おお…何だか、こうしてゆっくりと、自然の中を走るのは、殊の外気持ちが良いぞ…と気がついた。
オクタマ湖への道のりは、獣道にしては開けて整理整頓されていて、走りやすかった。
誰も見当たらないのに、誰かが整備してるのか…?
ゆっくりと走りながら観察する。
周りの草は刈られ、道は平らに、枠に丸太が埋まって固めているなど舗装され、迷いやすい所では矢印がペイントされてたり、標識が立ててあったり、危険箇所では立ち入りしないようロープが張られたりしている。
明らかに、定期的に誰かが来て管理している。
…こんな誰も来ないような河川敷を、ご苦労なことだぜ。
だが、お陰で走り易く、助かっている。
…
俺の知らない所で、知らない誰かが、苦労している…?
いったい誰のため?何のために?何故?
…
ああ…こんな余計なこと、今まで考えもしなかったのによう。…面倒臭い。…こんな瑣末な事など。
ミリーのせいだ。
ミリーから常に疑問を投げ掛けよ!と耳に蛸が出来るくらい言われたせいだ。
あの口振りだと回答まで期待していないらしいが。
明らかに、ミリーのせいだが、俺を心配して色々助言してくれているミリーのせいにはできない。
そんな格好悪いことは、できない。
とにかく知らない誰かのお陰で、今、俺が助かっている事実は、心に留め置く。
へ!何処の誰かは知らんが、ありがたいことだぜ。
貴族たる俺がやることは、ないだろうがな。
俺は、ある程度整備された土道を、軽快に飛ばして行った。
…
山岳路に入った辺りで、先行していた獣人達が次々と折り返して来た。
俺の感覚だと、もっと早めにすれ違うはずだったが、意外と遅い。
だが、よく見ると獣人らは背中に石像を背負って走ってやがる。
何だ、ありゃー?!
大きさは、皆マチマチで、見た目、ネックレスやバトンサイズから2メートルサイズまで見かけたが、一番多いのは等身大サイズだった。
ああ…確かあの石像群は、ミリーが趣味で彫っている仏様で、お地蔵様だ。
…そう言えば学校長が、折り返した証明用に持って来いと言ってたヤツってアレか?
体力自慢の獣人達が汗水垂らして、足取り重く走っている。
あの速さでは、タイムリミットギリギリかも知れない。
しばらくして一際背の高い地蔵を背負った一人の獣人が、先の集団から遅れて、息を切らせながら、走って来た。
よく観るとドッグだ。
汗水垂らして、辟易してる様子だ。
「おお…アッシュ、あの教官酷いぜ。可愛いから、教官も一口乗りませんか?と合コンに誘ったら、恋の試練とか、検証にちょうど良いと抜かして、こんなデカいのよこしやがった。あの教官ヤバいぜ。オマエも気をつけろ。」
ヤバいのは、オマエだ。
ミリーは、確かに可愛いが、成人したばかりで見た目も幼い。
オマエとは、分不相応だ。
生まれ変わって出直して来い。
「おお、そうか。俺のことは良いから頑張れよ!今のスピードだとギリアウトだ。そうしたら合コンもパーだぞ。」
「ウオー!ラブパワーだぁ!」
ドッグのスピードが上がった。
…
ドッグを遠くに見送ってから気がついた。
あ!もしデカいのしか残ってなかったら俺もヤバいじゃん。
この先で待っている担当教官は、絶対叔母のミリーだから、修行の一環としてデカいの渡されたら、俺も他人事ではない。
俺は、山路を急いで登りだした。