日常
身体がキツイ。
あれから、折り返し地点で、ほぼ全員に抜かれたと思う。
教官と話しがあると言い訳して、笑顔で皆を見送る。
ジャンヌだけは、訝しげな顔つきをしていたが、強く先に行くように言ったら、何も言わず従ってくれた。
もっとも、皆、だいたいが自分より大きなお地蔵様を、顔を引き攣らせながら、受け取り、背負って帰るのだ…他人を気遣う余裕など無いだろう。
お地蔵様の大きさの違いと関連性が分からない。
教官に聞いたら、「…気分だ。」との返答であった。
…マジか?割と本当そうで怖い。
僕は、今は、腰が砕けたように座らず、目眩がして立つ事すらおぼつかない。
常備薬を飲んで、身体の症状が治るのを待つ。
その横で、教官が呆れた猫のような顔をして、僕を見つめていた。
お陰で、前世で飼っていた猫を思い出してしまった。
教官は、僕を助ける気は、まるでないよう。
我、関せず…益々、猫に似ている。
…
…しばらくすると、症状が緩和された感じがした。
きりがないので、気合いを込めて立ち上がり出立する。
陽射しより、森林の陰を選んで、縫うように進む。
身体がフラフラして、まるで雲の上を歩いているよう。
溜め息をつきながら、俯きて一歩一歩確かめるように進んで行く。
先を見るのが怖い。
道筋が無限回廊のように、感じた。
この歩く苦しみが、今まで調子に乗った、驕った僕への罰のように感じた。
ハハハ…渇いた笑いが込み上げる。
ああ….こんなものさ、僕なんて、こんなものさ。
ツライ、ツライ、このまま歩いて行ったとしても、間に合うわけではない。
…分かっている。
でも、歩いている間は、間に合う夢をみることが出来る。
僕は、僕のくだらぬ矜持とも言えない意地のために、こんなツライ思いまでして歩いているのだ。
…諦めちまえよ。
自分に向かって言い聞かせる。
そうすれば、楽になることができる。
そうだ!…自宅にペンペンさんとシロちゃんと一緒に帰ろう。諦めて、帰って寝てしまえばよい。
そうすれば、万事解決。
咳がでて、喉が痛い。
ツバキを呑み込む毎に痛みが頭に響く。
ツラくて、一人で、泣きそうだ。
今、こんなにツライのは、きっと世界中で僕一人だけだ。
…ボッチだ。
だが、ツライときは、人はいつもボッチだ。
ツラくて苦しいとき、人は常にボッチなんだ。
繰り返される思考のループに意識が朦朧としながらも、急勾配の下り坂から、なだらかな平地へと、道が変わったことに気づいた。
日没前に、何とか山々を降ることができた。
それでも、まだ…残りは概算で70km以上ある。
人生の長さにウンザリする。
それでも道は続いていく。
歩いて行かなくてはならない。
身体中が気持ち悪い汗塗れで、気が狂いそうだ。
乙女には、とても耐えられそうにない。
…
それでも、立ち止まり中腰になって、ツラさに耐える。
…
(…俺の人生なんて一生こんなもんさ。)
前世、自分が考えていた言葉の記憶がフラッシュバックして甦る。
無情と絶望が心を染めていく。
夕暮れのオレンジ色に照らされた河川敷の道を、一人、アールグレイがトボトボと歩いて行く。
影が長く、とても長く足下から伸びていた。
ああ、アールグレイ、おまえの人生は、一生そんなものさ。
宵闇に声が響いた。
…ああ、そうか。
僕の人生は、一生こんなものなのか。
だったら、だったで、自分で、何とか生きて行かねばね。
…never give upだ。こん畜生め!
ああ…乙女にあるまじき汚い言葉遣いです。
僕は、誰が見てるわけでもないのに、不敵な面構えをしたつもりで、作り笑いを浮かべた。
だが、…もしかしたら、この時、僕は絶望で泣いていたのかもしれない。
そのまま、僕の意識は暗転した。